プリンス 7 つの質問 06 エスむら

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1.あなた自身を紹介してください。

 

 こんにちは。この度は素晴らしいお声がけ感謝しております。まずは自己紹介ですね。ネット上ではエスむらと名乗らせていただいています。国籍は日本。ライティングやWeb制作に関わるお仕事をしています。10代のころよりプリンスの魅力にとりつかれ現在に至っております。若いころはプリンスのコピーユニットを組み、よく分かりもしないまま打ち込みと生音で恐れ多くもプリンスにアプローチしていました。若さだなあ、お恥ずかしい。

 高校からはプリンスのお導きで芸術系大学へと進学しましたが、当時プリンスが肌身離さず付けていた「十字架のネックレス」とほぼ同じサイズ同じデザインのものを探してお守りとし、ポケットに入れて受験に挑みました。今だったら「シンボルマーク」を握ってるところなんでしょうね。

 大学に入ってからもプリンスファムとしては引き続き天国でした。なにせアートスクール。プリンスへの理解力はひときわ高い。DJなどが在籍(?)するFMサークルに入り、そこで様々な方面の音楽への造詣が深い先輩方の知識と経験の洗礼を受けました。プリンスは主軸の王として私の中で君臨しておりましたが、同時にネオアコースティックやニューウェーブ、アノラック、UK、USの「へっろへろのへなちょこインディーズギターポップロック」や、「ゴリゴリのパンクノイズテクノ」などを好んで聴いており、クラブへ行ってはへろへろと踊っているような大学生でした。まあ綺麗なイギリス人男子が好きだったんですね。高カロリーなゴージャススペシャルフルコースみたいなプリンスミュージックと、まるで対極のさらさらお茶漬けみたいな音楽を聴き、ビジュアルも正反対なものを同時摂取して心のバランスをとっていたんでしょうか。もともとの嗜好性がどこにあるのかもはやわかりませんが強引ゴリ押しのプリンスに押し切られ寄り切られ身も心も降参してしまいました。降参せざるを得ないです。あの魅力と才能には。

 その後仕事とは全く別物で、個人のプリンスファンブログ「Something in the water」を2012年より開設。プリンスへの溢れる愛をただただ無駄に垂れ流しております。またライフワークでプリンスの音の構造を紐解く作業をあらゆる楽器から解体分解アプローチ。まあいずれも趣味です。趣味だけれども本気。「プリンス」は私という人間の基本。人生をかけたライフワークとしているので、ある意味「生活」より命がけ。もうこうなったら言いきれます。

 

2.あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 あれは遡ること30年ほど前。クラシックや古いジャズや映画音楽、ミュージカル音楽などで育った外界を知らぬ若いエスむらはWham!に一時的に罹患。今でこそ大阪のオタクの聖地となっている当時電気の街「日本橋」へ父親と出向き小さなレコード屋でカセットテープを買った思い出。カセットについてきたオマケの下敷きが嬉しかったもんです。その後正式にプリンスに罹患するまでの短い期間、ジョージマイケルとアンドリューリッジリーに下地をならしてもらっていたのかなと今では思います。

 そしてついに運命の時が高校時代のエスむらに訪れます。それはプリンスとの現在まで続く長い蜜月時代のはじまりでした。人からもらったでっかいラジカセでいろんなラジオ番組を聞くのが好きだった当時の私は彼に突然遭遇するのです。当時やたらめったら流行っていたのは「Batdance」でした。プリンスのBatdanceがチャートをにぎわしていた頃、比較的どの番組でもこの曲を耳にする機会がありました。そのやたらめったら世間でかかっていた流行歌の「Batdance」の音楽としての異常さに雷に打たれるような衝撃を受けました。

 

「ヤベー」でした!あれは相当ヤバい音楽でした。

 

「なんじゃこりゃー???」です。

  あんなにポップでアバンギャルド(何か昔聞いたような言い方)な音楽がみんなが普通に聴けるラジオから流れてくるとはなんとも異常で素敵なこと。これがあのプリンスなのか…。そう、なぜ「これがあのプリンス」と感慨深かったのか。当時の私の友達はマイケル・ジャクソンファンやデヴィッド・ボウイのファンやドラム担当の軽音部やら、なかなかに音楽的に恵まれた環境でありました。そんな中にいて、「プリンス」と言う人のビジュアルや置かれているスタンスを必要以上にエスむらに叩き込む学友。それは今考えると超英才教育だったのかも。プリンスにどうしても惹かれていく私に友人はプリンスの情報を毎日濃厚(牛乳)に注入していってくれたのです。

 彼らは愛を持って「プリちゃん」とか「殿下」などのニックネームで呼びプリンスや私にちょっかいをかけてくれていたけれど、エスむらはどうもその愛称が使えなかったなあ。今でもあんまり使えない。プリンスはプリンスだしなあ。この中にデヴィッド・ボウイやUKミュージックに造詣の深い友達がいて、彼女のプリンス観などはとてもとても深かった。エスむらの薄く浅いプリンス観が申し訳ないくらいプリンスをディープに捉え語ってくれて、「ああ~プリンスってやっぱすごいんだなあー」と彼女を通してプリンスの偉大さや深さを再確認するという状態でした。

 大学に進学すると、範囲の狭い電波を飛ばして番組を流すという小さな小さな地域FMサークルに所属します。エスむらは番組をふたつ持たせてもらい、青春時代ひたひたに浸っていたUK、US音楽(かなりインディーズのもの)をひたすら流す番組と、プリンスオンリーの番組を持たせてもらいました。プリンスの番組ではオープニング曲もエンディング曲もプリンス、ジングルもプリンス、もちろん話す内容もメインでかける曲もプリンスです。なんとくどい番組でしょうか。ここには素晴らしく複雑で面白おかしい先輩方が周りに沢山いて、彼らはプリンスやプリンス以外のことを沢山教えてくれました。クラブに連れていってくれたり、レカストー(編注:レコードストアのこと。プリンス支持者はレカストーと呼ぶ)に連れて行ってレコードの掘り方を実践で教えてくれたり、アルバムやアーティストの話をしょうもない事を交えながらいろいろしてくれました。音楽的プリンス的環境に関してとても恵まれていたんだなあ。幅広くフラット&ニュートラルな文化観や音楽観を持たせてくれた家庭環境や学生時代の先輩学友のおかげで、プリンスに対して先入観も思い込みも嫌悪感もなく向き合うことができたため、プリンスの音楽性の深さと凄さにただただ驚くことが出来るというラッキーパターン導入だったのです。

 学生時代の当時の自分に教えてやりたい。あなたは十数年後、こんなところにいるのよ…と。あなたがプリンスや音楽に抱いていた損も得もない純粋な「愛」だけの世界は、ここにつながるのよ、と。

 

3.あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 いろいろあります。困るくらい。海外で見たライブもコピーユニットも、ファムの集い(笑)もそりゃどれもこれも濃厚です。一番なんて決められないから順不同でいうと、国内のものはひとまず置いておいて、ロンドンとノルウェーオスロでの海外でのプリンスライブ体験でしょうか。そのうちのロンドン公演が「海外のアリーナ初体験」でした。ロンドンのウェンブリーアリーナという莫大な大きさのアリーナでプリンスを見られるというラッキーエクスペリエンスは、先のデヴィッド・ボウイファンの友達のおかげでした。

 彼女は丁度この時期イギリスに長期留学しており、私は彼女の住んでいるフラットに間借りする形で数カ月エセ短期留学をさせてもらっていたのです。エスむらが日本の家とイギリスのフラット(間借り)を行ったり来たりしている最中、プリンスがACT2ヨーロッパツアーを開始することになったのです。これは!友達が留学している間にいかなければならない!チケットは彼女にとってもらいました(笑)ライブの様子などは写真では撮れない、ならスケッチブックを持っていこう。毎日持ち歩いていたスケッチブックに記憶出来得る限りのプリンスのライブのモーメントを記録するんだ。ライブ後は灰になるのは分かっているんだ。その時得た感動と情報をもれなくつぶさにこのスケッチブックに書き残すのだ…。そう思いリュックにスケッチブックを突っ込んでいざ当日友達とウェンブリーに向かうのでした。

 ロンドン市内からちょっと遠めのウェンブリーアリーナへ向かう電車の中はプリンスのTシャツ着ている沢山の人が。あなたも、あなたも、そこのプリンスTシャツのあなたもライブに行くのね。高鳴る胸をおさえてニヤつく頬をひくつかせ、到着したかの地に降り立つとこれまた物凄い人が。これ全部プリンスのライブ見に来た人なのか!交通整理、人員整理などで活躍していたのが馬に乗った警官だったってのがとてもイギリス感満載で感動しました。もうこうなりゃなんだって感動する境地だったのですけども。

 さてしばらく並んだ後、いよいよウェンブリーのゲートが開きます。この時のオーディエンスはエスむらたち含め、ダービーの馬の気分。ゲートが開くと同時に私達は走り出しました。状況も分からんまま前方へ行かねばという思い込みだけでイギリス人と突進。思ったよりアリーナ前方に行けたのか?ぎゅうぎゅうです。イギリスはアメリカに比べると背丈など小ぶり。とはいえ日本人のちびっこ二人には相当な壁です。背丈が、前方の背中が、四方の圧がすごい。友人は私より小さかったため前方の長身のイギリス男子に視界を阻まれておりました。

 しかし。プリンス(いや彼に変装したダンサーのマイテだが)は上空から登場するし、プリンス本人は舞台後方からトコトコ出てくるし、大きなスクリーンもあるし、アリーナは流動的だったので立ち位置はどんどん変容していくのでいくらでも見えるのです、プリンスが。観客の楽しみ方も日本とは違います。日本の消防法なんてどこ吹く風の生ライター頭上フリフリや肩車、アルコールを摂取しながらのキス&ハグ。プリンスもものすごく喋ってくれるし。自由だった。

 ロンドンのウェンブリーに引き続きノルウェーにもムーミンじゃなくプリンスにまたも会いにいきました。チケットもないのに(ソールドアウト)ダフ屋からでもなんとしてでも買ってやるという無茶な気持ちで挑んだ突撃プロジェクト。ダフ屋で買う=ある程度はぼったくり覚悟、でしたがそこは関西人。いくらか値切って(もちろん関西弁で)チケットを手にし風邪っぴきの友達をホテルに残し(ひどい)ひとり会場に入り込んだのです。

 ノルウェーは金髪長身碧眼の地、少数派の黒髪黄色人種のアジア人が一人大きなスタジアムに乗り込んでプリンスでノリノリなのが目立ったのでしょうか、すごく周囲から見られました。「あらあの子、東洋人よ。しかも一人でプリンスライブに来てるわ」とこっちを見ているノルウェー女子に図太いポジティヴィティを発動して踊りながらニッコーとほほ笑むと、向こうもニッコーとほほ笑み返してくれたんだ。これぞプリンス的世界。すごく感動したね。そこはアウェイではなかった、プリンスを愛する人たちが集う場所。いい思い出です。

 社会人になってもご迷惑にも「プリンス・スペシャル・ミックスCD」を作っては友達に押し付けるという嫌がらせをしたり、ご迷惑にもプリンスの絵を描いてご紹介エッセイ&レビューなどを作っては押し付けるという、時間とヒマがたっぷりあったからこその暴挙を繰り返しておりました。みんな優しかったなあ。受け入れてくれたどころか面白がって付き合ってくれたもんなああ。毎日プリンスをダシに笑い転げてプリンスってスゲースゲー!って大盛り上がりしていたそんな素敵な青春時代。ありがとうプリンス、ありがとう友達。

 時系列が前後しますが、高校時代例の友人を半ば強引に引き連れて初めて生プリンス体験をした1990年のNudeTour in 甲子園球場スペシャルな思い出のひとつです。半ば強引に、というのも学生にとっては相当高額な外タレのコンサートチケットを「ほれ!取れ!見れ!」と迫っていたのですからね。でもみんなプリンスに興味を持ってくれていたのかちゃんとチケットを買って一緒に行ってくれました。

 行きの道中はいつも通りプリンスをおちょくりながらキャッキャ言っていた彼らも、コンサートが終わり茫然自失の帰り道では「…プリンス凄い。凄かった。エスむらいつもいつもプリンスをおちょくってゴメンよ」的なことをしんみり言ってくれたんだよな、確か(記憶による美しい改ざん?)。プリンスは愛されていた。

 それからプリンス体験として強烈なのはやはり国内で人知れず盛り上がっていたプリンスファンの集い。プリンスファンクラブやプリンスパーティーなどですね。ここで私は自分史上とても大事な人たちと一杯出会いました。誰かが誰かの橋渡しになりつながりが生まれる。知らなかった世界が広がり新しい体験をする。そんな得難い経験をさせてもらいました。プリンスコピーユニットもここが発祥です。素敵な青春の体験と記憶がここにはあります。感謝しています。

  そして最近生まれたプリンスの旅立ちに伴って生まれた新しい出会いと絆。ブログをやっていたため全国に新しい出会いと絆はありましたが、それはプリンスに興味のある人やプリンスファンだったりが大多数です。しかし2016年4月 21日以降、全く交わらないであろうジャンルやエリアの方たちと出会うことになります。プリンスが旅立って間もない数か月後の9月に、フィギュアスケーター羽生結弦選手がショートプログラムでプリンスの「Let’s Go Crazy」を演じたのです。そこで得た体験、体感。それらはプリンスがいなくなってこの身に巨大な穴の空いたようなエスむらを優しく温かく癒してくれました。上質な感動がありました。ブログ内でも「羽生結弦カテゴリー」を作ったほどです。ここはこれからも常に更新されていく予感がします。

  そこで生まれた新しい絆はエスむらにとって本当にかけがえのないものとなっています。羽生選手から受けとる優しさと感動と感謝。羽生選手のファンの方から受けとる優しさと感動と感謝。今も続くこのリレイションシップをより強く美しく育てていきたいという思いがあります。もちろん強引な思い込みもゴリ押しもせずに。

 実はもうひとつ、これが本当の「いちばんのスペシャル体験」というものがあるのですが、それは私の心の中の宝箱に秘めておきます。この体験をエスむらにさせてくれた方には永遠の感謝を送ります。ありがとうございます。死ぬまで大事な宝物です。

 

4あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか?

 

 これまた酷な質問を。プリンスの曲ナンボほどあると思ってるんですか。まあそれでもソレを頑張ってひり出し語り読むという楽しみ、それがこの質問の趣旨ですもんね。多分いずれかはどなたかと被るであろう超名曲。奇をてらえばいくらでも奇をてらえる楽曲が多数あるプリンスカタログの中からでも恐らくベタな選曲となっていることでしょう。でもいいのです。それでいいのです。私の人生を彩る素晴らしいプリンス楽曲のうちの一曲なのですから(前置きが長い)。

 

【The Ballad of Dorothy Parker】

順不同ですが「ドロシーパーカー」これは外せません。ポップス史上外せないと思っています。外したら怒ります(私が私に)。あの進行なき進行、ありえないコード感、ヘンテコなものばかりで構成されているはずのこの楽曲が超絶スタンダードに仕上がっている奇跡。歌詞もまたシックで良いのです。この楽曲は少年から青年、青年から大人の男に成熟して極めていく過程の、何度かある頂点の一部なような気がします。くぐもった音の秘密も近年明かされましたが、だからと言ってあの曲の「奇妙さ」は解消されるわけではありませんでした。白昼夢を見ているような気分になりますね。いつ何度聴いても毎回「おかしな」感覚に陥る楽曲。

 

【Adore】

これは私が天国に訪れる際の出囃子と決めているので外せません。これがないとエスむらはあの世に行けないからなのですね。もし誰もこの曲を私の忌の際に用意していない、用意し損ねていたとしたら脳内自動再生BGMとして勝手に自分内で鳴り響かせるつもりです。聴き込めば聴き込むほど彼が隠したガラス玉がキラキラあふれて出てくるのです。なんだこの音。なんでこんな音量で入れているんだ。この音ここで一回きり!?そういった贅沢すぎる仕込み具合。見つけた後でも遭遇するたび何度だって心がワクワクする、本当に素晴らしい楽曲です。

 

ただ長い長い曲なので一番聴きたい最後のこのセンテンス

Be with me darlin' til the end of all time

I'll give you my heart

I'll give you my mind

I'll give you my body

I'll give you my time

For all time I am with you

(最期の最後まで、僕と共にいてほしい

僕の心を、マインドを、カラダを、時間を君に捧げる。

どんな時も僕はあなたと共にいる)

 

 ここまで息がもつかどうか私の気力と努力の致すところでございます。ここに辿り着くと、生きている今現在にでさえ疑似昇天してしまうほどです。この曲は天国、神、極地。しかも綺麗なだけではなく彼らしいひねりも優しいユーモアも十分感じられます。こんな粋な曲であちらの世界に行きたいなあ。

 

【Black Muse

 迷いに迷って、でもあまり迷わず「Black Muse」です。迷いに迷って、というのは莫大なプリンスのカタログを一から手繰っていけばそりゃ迷うよな、ってことで、それをしないであまり迷わず感覚的に選んだらこれになった、という言い訳です。これは比較的新しい、というか最新、そして最後のプリンスのアルバムからの一曲です。私の中では「Art Official Age」「Phase One」「Phase Two」はもう一緒くたに「最後のアルバム」ひとくくりになっており、その最後シリーズはどれを選んでも名作名曲、珠玉ぞろい。素晴らし過ぎてどれか一曲なんて無理難題。「Art Official Cage」もいい、心が引き裂かれそうな「June」もいい「Groovy Potential」の瑞々しさも「Look At Me,Look At U」の洗練と成熟も…。そんな中でもこの「Black Muse」は外せないのです。

 彼の行きついた芳醇な音楽世界。衝撃で揺さぶられ涙が出ました。豊かで輝かしく優しくキラキラとまぶしい。この広く柔らかい赦しのような優しさはなんでしょう。この胸を締め付けられるような切なさはなんなのでしょう?

 「Black Muse」はここからプリンスの先の世界があったのだと想像できる音楽なのです。彼には先の世界は見えていた、ビジョンは開いていたのだと感じる、だから私には辛く切なく優しく響くのです。この先の世界が見たかったよ、プリンス。

 

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5.素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

 正直90年代までの彼がおすすめするミュージシャンは信じられなかった(笑)。実力もあったのだろうし可能性もあったのでしょう。プリンスの趣味が見え見えでそこも可愛いっちゃ可愛いのですが、あまりに彼の趣味が過ぎて正直信用ならんかったのです(笑)。

 ところが彼がアフロになりだしてからの嗜好性はとても信用できるものに感じられました。なんでだろう?邪念が消えたのか?アンディ・アローもジュディス・ヒルもキャンディス・スプリングもキングも本当に信用できた。良かった。アンディ・アローの「People Pleaser」のMVのカッコよさたるや!

 

ついにプリンス、自分の本当のカッコよさをストレートに開放するようになったのか!と思ったものです。またこの時期のプロジェクト3rdeyegirlの与えてくれるドキドキわくわくスリル感はたまらなかった。プリンスの真実を見通すサードアイへの信頼は私の中で更に一気に高まったのです。

 その中でまあ誰か一人絞ってくれよと言われればリアン・ラ・ハヴァスでしょうか。彼女はエスむらのもともと持っている嗜好性ともマッチしまくって、こんな素敵なアーティストを紹介してくれたプリンスに大感謝をしたものです。「プリンス!すごいよ!ありがとう!」と。 

  大体エスむらは青春時代プリンスと並行して英国音楽、米国音楽を好んで聴いていたので、リアンの暗めな空気感がなんとなく肌に合いました。ロンドンの曇天のようなくぐもったスモーキーで湿り気のある温かな歌声やビジュアルも好みだった。この内向きな湿度とウォーミーさはプリンスの楽曲とものすごく合うような気がします。上手いし。

 

6:プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

 そりゃあ色んなことを教わりました。男とは女とは、人間とは。愛とは生きるとは。覚悟とか格好よく生きるという姿勢もプリンスから見せてもらいました。やり続ける意志と行動力とかも。

 でもそうだな、「最も重要」とは違うかもしれませんが、プリンスが見せてくれ教えてくれた大事なことは「多様性」。これですかね。世界を多角的に見るってこと。一極や白黒善悪の二極で判断したらもったいないよ。間違っちゃうかもよ、っていうスタンスを彼から教わりました。起こる事象を一面一方向からばかりでなく、あらゆる角度から見てアプローチして感じるということ。思い込まずニュートラルに物事をとらえる。そうすると世界は多様性にあふれているんだと知ることになります。この見方が出来たとき「人種」「性別」「国籍」あらゆる壁は溶けてなくなるのかも。究極の「赦し」の境地かもしれません。

 このプリンスの見せてくれた「多角的なものの見方」「世界の多様性」って即分かったことじゃありません。何年も何十年もプリンスを聴き続けてプリンスにその見方を見せてもらってじわじわ知ることになりました。それこそ何十年もかけて彼は私達に教えてくれたんだと思っています。何十年もかけ、繰り返し繰り返し伝えないとみんなには本当の意味が伝わらないと彼は分かっていたから。あらゆる大事なことを、何事も同じようにプリンスは語り続け歌い続けてくれたんじゃないでしょうか。

 

7:次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 プリンスという文化はこちらが押し付けて教えるものではないと思っています。押し付けたところで押し付けられた人は拒絶してしまいます。勧められ素直に従って疑問も引っかかりも感じないままプリンスの世界に入ろうと思う者をプリンスは弾き飛ばします。いまブログを何年かやっていますが、ここでも「来て来て!読んで読んで!」というスタンスはあまり持たないようにしているつもりです。ここは本当にデータ的なものもなくただただ感覚的なことをだらだらつぶやいているだけの場です。それも同んなじことを繰り返し繰り返し。なぜ同じことばかり繰り返すのか?自身の確認と咀嚼。一回もしくはたったの数回では感情と理解の消化は無理だからだよ!っていうのと、人は一度きりでは興味の無いものに自発的に興味も持たないし、記憶にも残してはくれないから。

 私は彼の世界の入り口まで導くことしかできない。逆に言えば、ほんの少しプリンスに興味を感じた人を入り口まで導くことはできる。プリンスに引き寄せられ抗うことができなくなってしまった人がプリンスのことを更に知りたくなったとき、ちょっとした入口や取っ掛かりとなるような場。「ふうん」と何気なく読み進められるような場、優しく誘導しご紹介し楽しくお招きし、更にプリンスの魅力と引力に「?!?!」となってもらう。ブログはそんな場になってほしいと思っています。お茶でも出しますよ。

 そしてもうひとつずっと心の中に持っている夢。プリンスの楽曲を構成するものを解体分解し、自分のできる範囲内で目の前に広げ、この音の重なりはこうだとかこの進行はこういうもので出来上がっているだとか、小さな発見を実際の音を使ってみんなと分かち合い驚き合い喜び合いたいのです。

 プリンスの楽曲を構築しているものを本格分解するには音楽的な体力知力気力がいります。私にはそれほどの大きな力はないですが、ツンツンと突いてポロリと落ちたキラキラ光る宝石のひとかけらを手にし、みんなと「うわぁ…」と言って眺めたい、そういった夢があります。何年かかるかわからないけれどいつか実現したらいいなあ。

  こうやってプリンスについての7つの質問をいただいた以上、答えを言葉にし形にしなければなりません。それらしい答えを探し自分でも納得のいく言葉を紡ごうとする。こういった機会もプリンスがこの世界から姿を消したからなのかと思うと多くの混乱と葛藤もあり悲しくなります。でも「プリンスについて考え、語り、伝える」ということはプリンスがこの世にいようがいまいが関係なくやっていくべきことなのでしょう。彼のレジェンドを伝えつなげるという行為は私達にとって使命のような気もします。ここでの言葉に嘘はありません。素晴らしい機会をいただいたと本当に思っています。

 何回ライブを見たとかいつからのファンだとかこんな特別な体験をしたとか。そういった比較から生まれる上下関係や感情なんてものが、もっともプリンスファムのスタンスとしてはかけ離れた感性だと思っています。どこでもだれでもいつでもプリンスの世界に入っていけるのです。

 

プリンスが見せてくれた世界は私の人生を確実に動かしました。

そんな人がきっと世界には沢山いるのでしょう。

この世界をもっと広く豊かに広げたい。

Next Generation. Another world.

 

 次世代へ。そして他の世界へ。「プリンス」が広がっていけばいいなと思っています。自身のブログも揺れる気持ちや迷いや確信を行ったり来たりしながら運営しています。これからも長い人生をかけて「プリンス」をライフワークとしていく所存ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

Something In The Water

http://somethinginthewater.blog.fc2.com/

 

エスむら Twitter

https://twitter.com/esumurablog
 

プリンス 7 つの質問 05 中島 和夫

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1. あなた自身を紹介してください。

 

僕の名前は中島和夫。日本の豊田市という車のトヨタで有名な街に住んでます。そしてそのトヨタ関係で働いてます。趣味は旅をする事。ミネアポリスにも行きました。そして勿論音楽を聴く事!プリンスを聴いている時間が1番幸せです。僕の妻もプリンスFamです。彼女とはプリンスのコンサートで知り合いました。会場入りする列の僕の前にいたのが彼女だったのです。こんな偶然あるでしょうか?

 

2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 14歳の時、テレビでAMA1985を見ていてパープルレインのパフォーマンスに衝撃を受けました。正に全身に電気が走った様な衝撃です。そこからプリンスに興味を持ち色々当時の音楽雑誌で情報を調べましたが「We are the worldをキャンセルした」とか、「インタビュー嫌い」とか、ネガティヴな情報ばかりで、とにかく普通じゃ無い人だという事は分かりました。当時の自分は普通じゃ無い人に興味があったので益々プリンスの事が気になりました。

 その後ラジオでラズベリーベレーを聴きました。こんなポップな曲も作れる人なんだと一発で夢中になりました。今までこんな音楽やパフォーマンスは体験した事が無かった!すぐレカストー(注:プリンスの支持者はレコードストアをレカストーと呼ぶ)に走りレコードを買いました。AmericaのMVを見た時にそのライブバージョンはアルバムバージョンと全然アレンジが変わってて凄くカッコ良かった!アルバムも凄いがライブも凄い。こんな人は他にいないと感動しましたね。

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 2002年に日本で行われたOne Nite Alone Tourの仙台公演です。この日本公演では1番小さい会場でした。手を伸ばせば届きそうな場所でプリンスが演奏しているという夢の様な出来事に感動しました。他のレギュラーショウとは違いプリンスもNPGもリラックスした衣装でセットリストも違ってましたね。ニッカコスタのPush&Pullを初披露したのもこの公演です。The Work Pt.1でのダンスコンテストで日本の有名コメディアンのダンスを踊ったFamがいたのですがプリンスがそのダンスを真似してみせたのはその日最高に楽しい出来事でした。(編注:そのダンスとは「変なおじさん」、そう、日本が世界に誇る天才コメディアンにしてブラック・ミュージックをお茶の間に広めた志村けんさんのダンスを、あのプリンスがカバーした瞬間だったのです。)

中島氏のTwitter https://twitter.com/metallilkazu/status/1244471348086202369

 ラストにDay Of Wildで場内を熱狂の渦に巻き込んでこれでコンサート終了と会場から立ち去ろうとした時、何とプリンスがアコースティックギターを手にステージに戻ってきたのです。そして弾き語りでLast Decemberを演奏しました。その演奏はとても美しかった。会場全体が感動の涙を流したのを覚えてます。

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? なぜあなたはそれらの特定の曲を選んだのですか?

 

Rasberry Beret  

自分がプリンスfamになるきっかけを作ってくれた曲。

プリンスの表現力豊かな歌は他の誰にも真似出来ません。

(カラオケで歌おうとして全然歌えず改めてプリンスのすごさを知りました)

MVも大好きです。ティーンの頃あのヘアスタイルを真似してました。

 

Walk In Sand

 「Nothing's better than 2 walk in sand Hand in hand with u」という歌詞を聴く度に妻と浜辺を手を繋ぎながら歩いてる場面を想像して幸せな気分になります。曲も凄く良い曲ですよね。

 

The Ladder

辛い事や挫けそうな気分になった時にこの曲を聴きます。この曲の歌詞は僕を奮い立たせてくれます。

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

 エリック・リーズです。今までエリックを聴くまで僕はホーンという物に全く関心がありませんでした。エリックのサックスを聴いてこんなファンキーなホーンがあったのかと驚きました。プリンスの音楽にエリックのサックスは凄くフィットしてると感じます。プリンスと一緒にプレイしてる曲は勿論、エリックのプロジェクトであるマッドハウス、そしてソロアルバムも大好きですね。

 彼の名演といえばたくさんありますが中でもザ・ファミリーのMutiny、映画サインオブザタイムズでのHot Thing、チャーリーパーカーのカバーであるNow's The Time、マッドハウスからはファンキーなSix、Ten、Thirteen、スローなThree、ソロアルバムTimes SquaredからLines、The Dopamine Rushが素晴らしいと思います。これらの曲を聴くとエリックがプレイヤーとしてだけじゃなくアレンジャーとしても優れた存在である事がわかると思います。

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

 彼の音楽から学んだことは人生は常にチャレンジし続けなければならないという事です。Daddy Popで歌われている様に人は過去に生きてしまいがちです。そうなら無い為にも彼の音楽をこれからも学んで行きたいと思ってます。

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

日本ではプリンスは元より海外の音楽に若い世代が触れる機会が殆どありません。しかしSNS等でプリンスの存在を知り興味を持ってくれた若い方の存在もあります。プリンスの素晴らしい音楽を伝えられる様なツールがあればどんどん活用して行く時期なのかな?と思います。

 

 

プリンス 7 つの質問 04 Naomi Takahashi

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1. あなた自身を紹介してください。

 

  Naomi Takahashiです。現在はNew York City (Republic of Brooklyn) に住んでいますが、出身は岩手県盛岡市です。1990年にNYに移住したので、NYの方が日本で住んでいた年月よりも長くなりました。本業はしがないオフィスワーカーですが、副業でダンサーとフォトグラファーをやってます。ダンスは10代の頃に初めて、当時はJazz & Hip Hopをやっていましたが、今は体に優しいベリーダンスをやっています。

 日本でジャズをやっていた頃は地元でセミプロのグループでよくプリンスの曲を使って振り付けをしてパーティーで踊ったり、自分たちでステージを企画して踊っていました。コスチュームのアイディアはプリからよくもらっていました。今はベリーダンスですが、フィンガーシンバルを使って踊ることもあり、このダンスをやるようになってプリが80年代のはじめの頃から結構フィンガーシンバルを使った曲を作っているのに気がつきました。

 写真は主にスポーツ特にNFL (National Football League) のゲームを撮影しています。これはこの道50年以上のベテラン日本人フォトグラファーの方のコネでゲームに入れていただき、フィールドで写真を撮影しています。バスケットボールの写真も撮っていましたが、メインはカレッジとストリートだったので、NBA (National Basketball Association) ファンだったプリンスを撮影するチャンスはありませんでした。(涙)あとは、ダンスの写真。アクションフォトグラファーです。

 

 2.あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 ダンスをやっていた関係で、日本のミュージシャンよりはアメリカのミュージシャン特にR & B, Hip Hop, Funk, と比較的black musicがメインでした。でも、中学生、高校生の頃はアメリカのロックが好きでKiss, Aerosmith, のほかストーンズなんかも聞いてました。ダンス仲間はMJファンが多かったのですが、私はどうしてもMJの魅力がイマイチわからなかったんですよね。なぜか他の子達ほどのめり込めなかった。当時、まだMTVとかベストヒットUSAとかなかったか、出始めた頃でしかも盛岡にその番組が来るのは東京よりも時差があった。その分、FEN (Far East Network) でCasey KasemのAmerican Top 40 を毎週聞いていたんです。ただ、盛岡から受信するので、途中で電波が途切れたり雑音が入ることが多かったのですが、頑張って聞いていました。

 そんなある日、プリンスの1999 & Little Red Corvette がかかって、「これ誰?」って興味を持ったのです。なんか、あの声に惹かれたんですよね。当時は英語がほとんどわからなかったんだけど、なんか気になった。でも、ラジオなんで彼がどんな顔をしているかわからなかった。多分地元のレコード店には彼のレコードがなかったんじゃないかな?それで、東京にダンスのレッスンを受けに行った時に、輸入レコード屋に寄ったのです。(タワレコではなかったのは確かで、渋谷のどこかの輸入盤のレコード屋さんでした)その時にプリンスの1999のアルバムを見つけたんだけど、イラストで顔が見えなかった。

 

 それで、次に手にしたのが"Controversy" のジャケット。彼の顔を見た瞬間衝撃で、アルバムを持ってた手からアルバムが落ちました。なぜかわからないけど、勝手にEarth, Wind & FireのリードヴォーカルだったPhilly Baileyのようなクリーンカットな丸顔を想像していたので、ロングヘアーで目元の鋭い顔を見た時にあまりの自分勝手な想像とのギャップに衝撃だったんだけど、もう一度気をとりなおしてアルバムを手に取ったら.. the rest is history. 完全にノックアウトをくらいました!

 その日、そのお店で"For You", "Prince" "Dirty Mind" "Controversy" & "1999" のアルバムを買い漁りました。その後は東京にダンスのレッスンを受けに行くたびに洋書の店や輸入盤のお店を必ず訪れてプリや他のミュージシャンのマガジンやアルバム/CDを購入しまくってました。

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 当時、ワーナーブラザースジャパン公認のプリンスファンクラブがあり、私の会員番号は200. 後で友達になったファムには199だったらよかったのにねと言われたけど、"200 balloons" という曲もあるからいいかな?と。

 プリンスの初来日公演のパレードツアーは横浜に見に行ったのですが、座席が天井桟敷(と言っても天井はなかったですが)。プリは肉眼ではほとんど見えす、big screenで彼を見てました。しかも、音がエコーして上の席は音が二重になってたんだけど、プリと同じ空気を吸っているんだというだけで感動でした。パープルレインでは泣いてしまいましたね。

 その次のLovesexy Tourでは初日の仙台公演のチケットをコネで最前列のど真ん中で見ることができました。あれが彼に一番近けた時でした。誰もが"He looked at ME!" と思っていた。初日ですっかり声を枯らしてしまい、その後の東京ドームでのコンサートでは声が出ませんでした。(涙)

 もう時効だから書きますが、当時プリンスファンクラブの掟で、追っかけはしない。出待ちはしない。というのがあったんですよね。でも、私は地方に住んでいるし、一緒に行く友達はファンクラブのメンバーじゃないし、どちらかというとMJファンだからいいだろう。と勝手にホテルで2人でコーヒーを飲みながらプリンスが出てくるのを待っていました。出てきたのは、Erick Leeds, Atlanta Bliss, Miko Wever and Sheila E! 当時は英会話を習っていたけど、ほとんど英会話はできない状態で、サインをもらうのがやっとこさ。Mikoとは一緒に写真を撮りたかったけど、"Can you take photo with me? " を"Can I take your photo?" と言ってしまって、結局彼と一緒に写真は撮れず、彼と当時の彼のガールフレンドの写真を撮って終わり。私は身長150 cmと小さいのですが、シーラは多分私よりも小さいんじゃないかな?って思った。

 その後、セキュリティーの目を盗んで、プリが泊まっているロイヤルスウィートのドアの前まで行ったんだけど、もしかしたらそのドアの向こうにプリがいるかもしれない!と思ったら、それだけで体が震えて結局ドアをノックすることもできなかったし、ノートをドアの隙間から入れるということもできずにそのまままたエレベーターでロビーまで降りてきました。I felt totally defeated.

 後で思うと、誰もドアの前にいなかったので、多分プリは部屋の中にはいなかったと思います。その数ヶ月後にファンクラブのメンバーでそのホテルのプリが泊まった部屋を貸しきって、当時のワーナーの担当者佐藤淳さんからプリ来日時の様子を聞いたのを覚えています。その日はみんなで雑魚寝。私は畏れおおくって、彼の寝たであろうベットには寝ることはできませんでした。(苦笑)

 NYで彼を見たのはMadison Square Gardenで1回きり。何度かチャンスはあったのですが、チケット代が高くて見に行けませんでした。それが本当に後悔していること。でも、当時は生活するだけで精一杯だったので、$200 とかチケットで払えなかったです。

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? なぜあなたはそれらの特定の曲を選んだのですか?

 

この質問が一番難しい質問で、トップ3を決めることは困難なんですよね。全ての曲がそれぞれ色々な思い入れがあるから。でも、頑張って絞り込むとしたら、順不同ですが、以下の曲かな?

A. Little Red Corvetteですね。この曲と1999が彼を知るきっかけになった曲なので。。。LRCは晩年よく演奏していた"sloooooooow dooooooooown" の比較的スローなヴァージョンが特に好きです。

 

 

B. Sometimes it snows in April: この曲は映画を見た時も涙が出てきて止まらなかったんだけど、彼がpassed awayしてからは余計聞くのが辛いけど、beautiful な曲の一つですね。歌詞の内容が彼が亡くなってからあまりにも彼に対する気持ちに類似している気がします。迷いましたが、Nothing Compare 2 U も聞くのが切ない曲の一つです。

 

 

C. Sexuality: 彼のセクシュアリティー& 身も心もfreeにというのが表れている。

I would Die $ U, Freeも相当悩みました。

番外編. Guitar: これはプリンスの本音そのものの曲じゃないかと思います。"I love you baby But not like I love this guitar"

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

 Sheila E, The Time, Vanity 6, :プリンスのalter ego(もう一つの人格)だから。シーラはソロ活動する前から彼女のお父さんと一緒に活躍していましたが、プリンスが手がけたアルバムは彼の分身って感じ。ヴァニティは女性版プリンスって感じ。The Timeはプリのファンクな部分を上手く表現しつつも、モーリスの個性が光るバンドになっている。

 Andy Allo & Janelle Moneaは彼のprotégéで彼の音楽を引き継いでいると思います。アンディはプリンスとの間で色々あったみたいだけど。。。

 Lenny Kravitz & Andre Cymone! 彼らはプリンスのロックとR&Bのクロスオーバーを上手く引き継いでいると思います。Andre Cymoneは数年前にライブを見ましたが、Dance Electricを演奏してくれて最高でした。観客のほとんどがプリンスファムだったですけどね。

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

 プリンスは私にとって神に近い存在ですね。彼は人種も性別も越えた存在です。特に彼のandrogynous(中性的)なイメージは特に私自身のandrogynousと一致したんです。ほとんどの女性ファンはプリンスの彼女になりたい。って思うと思うんだけど、私は彼自身になりたかった。彼のように自由に自分を表現して男性、女性にこだわる必要はなく、自分に素直にそして気持ちに忠実にというのが彼から受けたものなんですね。

特にI would Die 4 U で" I'm not a woman I'm not a man I am something that you'll never understand" の歌詞が自分に非常にしっくりきた。

 そして、sexuality では" Sexuality is all you'll ever need Sexuality, let your body be free" で自分のsexualityに素直になって構わない、そして体をフリー(自由)に!というのが、やはりしっくりきた。

 Controversy では"Am I black or white" そして"gay or straight" と。結局はblack & straight なんだけどカテゴリーに当てはまらないという感覚が共感できるし好きです。なんか日本にいるときは息苦しさを感じていたけど、彼のミュージックと存在で救われていた部分は大きかったですね。

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 これも難しい質問の一つですね。プリンスのリアルタイムファムはほとんどが40代以上なので、自分たちの子供や孫に彼の曲を小さい頃から聞かせて曲に慣れさせる。という方法もありますが、友達の子供たちを見ていると難しいものがありますね(苦笑)

 プリンスの曲は時代を先取りした曲も多かったのし、素晴らしいものが多いので、今のプリンスをリアルタイムで知らない世代でも古臭いと思わずにカバーすることはできると思うんですね。ただ、彼をリアルタイムで知っているとやはりカバーを聞くと「どこか違うな」って思ってしまうんじゃないかな?と。あと、トリビュートバンドもパープルレインの格好が多いので、下手するとプレスリーになってしまうかな?という恐れはありますね。なんか曲よりも「キャラクター」になってしまうのは避けたいですね。

 ただ、Googleで2019年のMost searched guitar soloでPrinceがトップだったのを考えると、ミュージックをやっている人たちは彼の才能は年代関係なくわかっているので、今後もソーシャルメディアとかで彼の映像(特にライブ)を発信すれば興味を持ってくれる人たちはいるかもしれないですね。

 なかなか日本語でプリンスを語れる人が周りにいないので、久々に日本語でプリンスを語ることができて嬉しかったです。いつか日本のファムの皆さんとお会いできるのを楽しみにしております。

 

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プリンス 7 つの質問 03 時田 幸成

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1. あなた自身を紹介してください。

 この様な機会に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。時田 幸成と申します。千葉県在住で、東京でハイヤー運転の仕事をしています。年に数回ですが、プリンスのコピーバンドを息子と職場の仲間とやっています。

 

2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 私が14歳くらいの頃(1983~)、日本ではアメリカやイギリスの音楽が大流行でした。ある日、大好きな音楽ランキングのテレビを観ていたら、とても気持ち悪い音色の音楽が聴こえてきました。それは【プリンス】というミュージシャンの【デリリアス】という曲でした。テレビでは彼が彼のお尻を半分出して寝そべっている写真も映し出されました。『嫌だ!気持ち悪い!』と思い、僕は絶対にこの【プリンス】という人には関わらないようにしようと決めました。

 当時、マイケルジャクソンやデュランデュラン、デビッドボウイを好んで聴いていた私にとって、 プリンスは完全に異質なものでした。当時、日本では女の子が特に、プリンスの外見を見て『気持ち悪い』と思いました。卑猥な曲に注目が集まったため、尚更彼が敬遠された事実があります。それはとても長い期間続きました。現在では気持ち悪いイメージは薄れましたが、80年代に10代だった人達にはプリンスは、かなり刺激的な存在だったのです。

 しばらくして、私の親友が1本のカセットテープをくれました。『パープルレイン』というアルバムでした。『え!プリンス…俺、 プリンスは気持ち悪くてダメなんだよね』と彼に伝えると、彼は『聴いてみなよ』と言ってニヤリと笑いました。自宅に帰り、もらったカセットテープを聴き始めました。なんだかもう、中毒になりそうな衝撃が身体中を貫きました。体内からプリンスが湧いて来るイメージです。まるでバスタブから這い出てくる【When Doves Cry】のPVのように。私のプリンスfamの経歴はここからスタートしたのです。

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 それは合計6回体験したライブです。初体験は1986年 9月9日【Parade tour】の最終日。プリンスの初来日公演です!その日は曇っていました。午後の授業をサボって、僕は同じクラスでプリンスのカバーバンドを組んでいたメンバーと一緒に横浜スタジアムへ行きました。会場に着くと雨が降ったり止んだりだったような気がします。僕たちの席はアリーナの真ん中付近だったと思います。いくつかの座席には、私達の席には無かったペイズリー柄のタンバリンが備え付けられていました。タンバリンを持っている観客を私達は羨ましく見ていました。

 オープニングアクトは、前年にも来日したシーラ E.でした‼︎彼女は【Love On A Blue Train】を最初に演奏しました。この曲は、当時日本企業のコマーシャルとして使われた曲です。彼女の演奏は最後の【The Glamorous Life】まで私達に興奮を与えてくれました。

 シーラの舞台が終わり、プリンス&ザ•レボリューションの登場まで、会場には【Around The World In A Day】を彷彿とさせる曲が流れていました。その曲が段々と大きな音になり【Around The World In A Day】のイントロに繋がりました!『Open Your Heart…♪』ついにPrinceの歌声を生で初めて聴けました!ステージには大きな黒いカーテンが張られていました。なので、しばらくは彼の歌声だけしか聴こえなかったのです。ですが『Say papa, I think I wanna dance‼︎』の合図で大きな黒いカーテンが外れて、プリンスの勇姿を生で初めて観ることができました‼︎

 さらに驚いたことはプリンスが日本語を喋ってくれた事です。【Do Me Baby】の時は『もっと?』とか『本当に?』とか。ピアノで【Under The Cherry Moon】を弾きながら『どうもありがとう』と言ってくれたり…後にも先にも彼の日本語発言は初来日の時だけだったのかもしれません。ロングスケールだった【♡OR$】では、プリンスがザ•レボリューションをコントロールする光景に惚れ惚れしました♡ 映画で弾いていたマッドキャットで、プリンスはファンキーなギタープレイを魅せてくれました。本当にカッコよかった。本編の最後は【1999】。プリンスが『さよなら!』って叫んでくれました。アンコールでウェンディ&リサとプリンスが【Sometime It Snows In April】を演奏しました。

 プリンスはグレイのロングコートを着ていました。歌い終えたプリンスが『ウェンディ&リサ』と言って紹介しました。しばらくするとウェンディが前奏を弾き始めました。『I never meant to cause you any sorrow…』空からは本当に【Purple Rain】が静かに降っていました。プリンスは映画で弾いていた白いクラウドでソロを弾きまくっていましたが、まるで狂ったかのようにギターをステージ上に数回叩き落としていました。曲の最後には彼はギターを手にしていませんでした。その夜の彼は鬼気迫るものがありました。彼は彼の感情、思い、エネルギーを全部放出したかのようでした。

 帰りの電車の中で僕は放心状態でした。とにかく時間を忘れて、あっという間なのか、凄く長いものだったのか、感覚がおかしくなるほどでした。残ったものは心地良い疲労感とじわじわ込み上げる感動でした。そして後日、これがザ•レボリューションのラストコンサートだったと知るのです。

 2回目と3回目の体験は、プリンス2度目の来日1989年2月4日・5日に東京ドームで行われた【Lovesexy Tour】です。事前に西ドイツのライブをテレビで観ていたので、円形ステージに物凄く期待をしていたのですが、円形ステージはドームのセンターではなく外野席側に設置されていたので、本来の円形ステージの意味を成してないなぁと感じました。プリンスがサンダーバードから降りて来て『Snare drum pounds on the 2 and 4‼︎All the party people get on the floor‼︎Bass‼︎』の後に始まったのは【Housequake】でした。実は【Erotic City】を楽しみにしていたので、両日ともやらなかったのが少し残念でした。それと【Dirty Mind】が【U Got The Look】に代わっていたり【A Love Bizarre】【Girls & Boys】等をプレイしてくれたり、プリンスは日本のファンが好むような選曲をしてくれているのだと思いました。(でも【I Wanna Be Your Lover】は聴きたかったなぁ…。)それから、2日目の【When You Were Mine】の前に誰かにバースデーソングを歌っていたので、ステージを一緒に観ていたパープルレインのカセットテープを僕にくれた親友と共に『Who〜〜?』と叫んでしまいました。

 後半は【👁‍🗨NO】から始まりました。【Lovesexy】【Glam Slam】【The Cross】への構成は見事でした‼︎最高でした‼︎【The Cross】での彼のギタープレイにはとても興奮しました‼︎そしてこのツアーのドラムがシーラ E.だった事‼︎凄く新鮮でパワフルで、シーラの実力を思い知りました。【Alphabet st.】は初日のラストソングでしたが、2日目はやらず【1999】で終了しました。また、プリンスのピアノ弾き語りは初日はやらず、2日目はやってくれました。このピアノ演奏には凄くエキサイトしました‼︎時にユーモラスに、そして優雅にプレイするプリンス。心の底から感動しました。カッコよかった‼︎このツアーのメイン衣装はドット柄で、腕や脚の部分に書かれていた【ミネアポリスサウンド】や【プリンス】を日本語のカタカナで表記していました。他の衣装では漢字も使用されていました。例えば…王子等です。ですが、どう見てもかっこいいとは言えないのです。少しダサい感覚があったりするのですが、それがとても可愛らしく、プリンスが日本を大切に思ってくれていた証だったんだと今思えるのです。

 4回目、5回目、6回目の体験は【Nude Tour】でした。彼の3度目の来日公演でした。

1990年8月30日・31日は東京ドームで公演があり、9月10日には横浜スタジアムで公演がありました。初日、ステージは定刻に始まりませんでした。でもそれには理由がありました。彼はその日の飛行機で成田空港に到着したからです。彼はそのまま東京ドームに直行して、リハーサル無しでパフォーマンスしたのです‼(この事は、翌日の新聞を読んで知りました。)でも完璧なステージでした!彼のパフォーマンスには隙がありませんでした!私が体験したヌードツアーの印象はスピード感です。たしかに公演時間も短いのですが、パフォーマンスが更に研ぎ澄まされて、余計に速く感じたのです。

 Datイントロから始まるオープン二ングに身震いし、プリンスが漆黒の中歌い続ける【The Future】には説得力がありました。【Gameboyz】とのコンビネーションも最高です!【1999】への神業的繋ぎ‼︎メロディアスなメロディから心臓に響くバスドラムで【Housequake】になりました!まるで、ノンストップアクション映画を観ているようでした‼︎【Kiss】の演奏が終わり、プリンスがモデルCで007のジェームズボンドのテーマを弾いた後に【Purple Rain】が始まりました。そして『Purple Rain…Purple Rain』の時にプリンスが私達に向かって両手を広げてくれました。まるで『さあ、歌え!』と私達に言ってくれたようでした‼︎初めてオーディエンスに歌わせてくれたのではないかと思います。この時は本当に嬉しかったです‼︎

 2日目の中盤にはブルーのクラウドで【Bambi】を演奏してくれました‼︎まさかこの曲を演奏してくれるとは思いませんでした。この曲のエンディングになだれ込むギターリフは今も練習しています。【The Question Of U】のPVは東京ドーム公演2日目のものですよね。ギタリストとしてこの公演のこの2曲に於けるギタープレイにとても影響を受けました。

 彼らが初日に演奏した【Nothing Compares 2 U】は2日目以降【Little Red Corvette】に代わり、その後の日本公演では演奏しませんでした。今ではこんなに大好きな【Nothing Compares 2 U】。故アレサフランクリンもカバーしたこの曲も、当時は皆歌えなかったんだと思います。プリンスがそれを感じて、みんなが歌える曲に代えたのだと思います。アレサといえば、彼女の曲である【Ain't No Way】と【Respect】が【Nude tour】では演奏されました。ロージーがとても可愛いかったです。飛び跳ねて歌ってとてもパワフルでした。ワールドツアー最終日となった横浜スタジアム公演は追加公演という位置付けでした。この日【Thieves In The Temple】を世界で初めてステージで披露してくれました。後にこの日がDr.フィンクの最後だった事を知りました。彼のキーボードソロがフューチャーされて【Gameboyz】が凄まじいダンスを披露してくれました。

 ちなみに、初来日の時にプリンスはここで『TOKYO!』と叫んでましたが、この日彼は『YOKOHAMA!』と叫んでいました。そして彼は『4年前、覚えてる?』とも僕たちに聞いてくれたんです。もちろん皆んなで『Yes!』って応えました。覚えている範囲ですが、以上が僕の生プリンスエクスペリエンスです。もちろん今も皆さんと共に体験している途中です。

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? なぜあなたはそれらの特定の曲を選んだのですか?

 

1.レッツ・ゴー・クレイジー

僕の1番好きな曲です‼︎僕のバンドでは主にreloadedバージョンで演奏します。とにかく大好きです‼︎ギターといいノリといい最高です!悲しいことですが、彼がエレベーターの中で亡くなったことはとても意味のあることなのではないかと思っています。『R we gonna let de-elevator Bring us down』この曲の歌詞と彼のスピリットを思うと、なんとも言えない気持ちになります。だからもし人生に行き詰まったら、人生の最上階を目指そうと思えるのです。

 

2.マニック・マンディ

単純に可愛い曲だから大好きです♡プリンスをあまり知らない日本人に、この曲がプリンスの作品だと教えると必ずビックリします。一般的にこの曲が一番親しみやすいのかもしれないですよね。可愛くて素敵なメロディ。何をおいてもイントロが凄く印象的で大好きです。

 

 

3.パープルレイン

数少ない僕のバンドのレパートリーの中で先述の【レッツゴークレイジー】と共に定番の曲です。僕はこの曲をとても愛しています。特に彼が2009年の'MONTREUX JAZZ FESTIVAL'のステージで演奏した【パープルレイン】が1番好きです。プリンスはこの曲を映画の主題歌からよくぞ見事に独立させて進化させて昇華をさせたなと思います!

 以前、私が尊敬する女性ドラマーのお店でこの曲を演奏した時に、その方が『聴いていたらなんだか凄く感動したよ。プリンスもきっと喜んでくれてるよ。』と言ってくれました。観に来てくれたMさんも『こんなパープルレインは初めてです!』と褒めていただけました。お2人の言葉をいただいて、ようやく人様に聴かせられるようになったと思えるようになりました。

 この曲に触れると、愛する人を心から大切にしたくなります。ギター弾きながら泣けてきます。(その約3ヶ月後、尊敬するママは永遠となりました。また、観に来てくれたMさんも先日永遠となりました。お2人に聴いてもらえた事は生涯の誇りです!ありがとうございます!)

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか? 

 

シーラ.Eです。僕は彼女がソロとして初来日した時にコンサートを観に行っています。それは1985年、会場は東京•中野サンプラザホールでした。光るスティックでプレイす【Glamorous life】は最高でした!アンコールで観客が大興奮した【Holy Rock】は忘れられません。そう言えばこの時に、日本の音楽番組でインタヴューを受けたシーラが『来年はプレゼントを持って再び日本に来ます』と答えていましたが、プレゼントの中身がプリンスの初来日だったんですよね♪

 数年前にシーラと彼女のお父さんのライブを息子と観に行きました。サイン会の時に僕が彼女に『僕たちも親子です。僕達は一緒にバンドを組んでいます。バンド名は【SOTT】 です』と伝えたら、彼女はびっくりして喜んでくれました☆僕はシーラの中からずっとプリンスを感じるのです。だから彼が旅立った事も、シーラを観ると落ち着くのです。

 僕が好きな他のアーティストは、ジェームズ・ブラウン、スライ、ジミ・ヘンドリックス等、プリンスに影響を与えたレジェンドアーティスト達です。僕にとって、プリンスは彼らと僕を結びつけてくれた恩人です。彼らの音楽を聴き、演奏する事で、プリンスに近づけるように感じます。私の息子は、プリンスを聴く事でジミ・ヘンドリックスが聴きやすくなったと語っています。

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

 プリンスの音楽そのものです。音楽は人々にとって最も重要な恩恵です。しかし、音楽には善と悪がある。高いか低いか、浅いか深いか、どれを選択するかによって、人生は大きく変わるのです。そうであるならばプリンスの音楽は最善であり最高であり、最も深いのです。

『Let's go crazy Let's get nuts Look for the purple banana 'Til they put us in the truck, let's go!』

『Life it ain't real funky Unless it's got that pop Dig it.』

『Don't kiss the beast. Be superior at least.』

『Hold on 2 your soul, we got a long way 2 go.Hold on 2 your soul…』

 精神にビシビシ突き刺さる彼のサウンドと声。当初、彼自身を鼓舞する為に作られていたのかもしれない彼の音楽は、彼の情熱となってファム1人1人の魂に届き、今日もこれからも、私達に生きて勝ち越える後押しをしてくれるのです。

  

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 私の夢は音楽の力で世界平和を実現することです。この思いはプリンスからいただいたものです。私はプリンスの音楽には世界平和を実現する力があると信じています。それは彼の作品や足跡を辿ればわかる事です。『PEACE IS MORE THAN THE ABSENCE OF WAR』そういう意味では、この【Baltimore】の一節が私の理念の全てに繋がるのです。この理念のもと、私は音楽活動をしています。私は彼の音楽を演奏することによって、これからも彼と対話をして、彼の魂を理解する努力を続けていきます。しかし彼を理解する為の基礎は、彼の音楽を聴くこと。彼の歌詞を考えること。彼のライブを観ること。そこから生じる情熱を、先ずは身近な恋人、子供達、親、友人達に感動を伝え、彼の音楽を聴いてもらうこと。要するに、これからも変わらずプリンスと接していく事に尽きます。これが私が考える次世代ファムにプリンスを紹介する最良の方法です。

 日本ではパーティや、彼や彼のルーツや彼と関わるミュージシャン等の音楽を深く考察するイベントや、彼についてのパネルディスカッション等、彼を知るための様々な催しが開催されていますが、これらはまだ一部のファンだけで開催されている現状です。僕達には次の【NPG】が必要なのですが、今は地道にゆっくりと、老若男女問わずにプリンスの音楽を伝えていくことが本当に大切です。

 もう一つは、もっとプリンスの曲を演奏する人やバンドが増えてほしいと願っています。プリンスの真似をしなくても良いのです。彼の真似などできないのですから。それが1人でも、彼のスピリットを伝える志さえあれば良いのです。歌う事が好きならば、思いのままに彼の歌を歌えば良い。ギターが好きなら感情のままに弾けば良い。そして50年後にはライブハウスで当たり前にパープル・レインをセッションする人たちがたくさんいるようにしたいのです。その先には絶対に世界平和があるはずです。

『IF THERE AIN'T NO JUSTICE THEN THERE AIN'T NO PEACE』→正義なくして平和なし。そこに到達した時に、僕はどんな表情をするんだろう?それが凄く楽しみです。

 

 

 

プリンス 7 つの質問 02 Veronica Vaughan

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1. あなた自身を紹介してください。

 

Veronica Vaughan、日本。本職は、外資系ファイナンシャルアナリスト。高校生の頃よりバンド活動を始める。 以降30年以上に渡り、音楽イベント主催、自身のバンドやサポートでのライブ活動、ジャムセッションに参加。 近年はインディペンデント系のレコーディングアーティスト達への英詩提供もしている。 Tower of PowerやPrinceとの共演で知られるRad (Rose Ann Dimalanta) のアルバムライナーノーツや宣伝資料の翻訳を2005年頃手掛けたのをきっかけに、音楽関係の翻訳、通訳をするようになる。2006年、Takki氏主催の音楽イベント”ロンダ・スミス ベースクリニック”に参加し、親交を持つようになり、彼の著書2016年発売の「プリンスの言葉」、2018年発売の「Words Of Prince」の翻訳チームに参加。家での密かな楽しみは、Christopher Tracey's Parade やGet Offのフルートパートを吹くこと。

 

2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

幼い頃に英会話を始め、大学生のいとこや同級生の兄姉の影響もあり、様々な洋楽アーティストを聴いていた。そして、深夜帯の放映だったため父親の監視付きでBest Hit USAを毎週見るようになり、そこでPrinceと出会う。 最初に見たPrinceのPVは1999で、小林克也氏のコメント「好きな人は大好き、嫌いな人は大嫌いになる不思議な曲です」というコメントは今でも忘れられない(正確な文言は覚えていないが、おそらくそのようなニュアンスと受け取った)。 ちなみに、Princeのルックスに対して賛否両論あったのは全く知らず、ごく自然に受け入れていた。 キワドイPVの数々、今思うとあの厳格な父親がよく黙って一緒に見てくれていたなと、、、。

 色んな音楽に触れた中で、自分にとって一番しっくり来たファンクを教えてくれたのがPrince。と言っても本格的に自分でソウル、ファンクバンドの一員として活動しだしたのは90年に入ってから(80年代、特に前半はロック全盛だったので私もヘヴィなバンドで活動していた)。その頃チャートでは、Janet JacksonのRhythm Nationが所謂ミネアポリスファンクサウンド全開でトップを走っていた。 一方で、音楽的にPrinceにハマったもう一つの大きな理由は、独特のボイシング。 一人であらゆる楽器を操る彼だからこそ重ねられる音があるのだと思う。今まで一番聴きこんでいるのはParadeで、Clare Fischerが手掛けたオーケストラアレンジも何万回聴いても飽きない。 

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

来日公演は、初来日の1986年Parade Tourから観戦。 一番思い出に残っているのは1992年のDiamonds And Pearls Tourで、東京ドームのかなり前列に陣取って歌の師匠と共にSexy M.F.を大声で歌い大興奮。 だってM.F.なんて普段大声で言えないでしょ。海外でライブ観戦出来なかったのが心残りで、2016年のトリビュートコンサート、ペイズリーパークツアーで遅まきながら初めてミネソタ州を訪れることとなる。トリビュートコンサートはチケットを取るのも困難で、会場や出演アーティストも変更があり、必死に辿り着いた思いだった。 だが、会場にいたのは観客も出演者100%Prince愛のある人達で、0時過ぎまで続くコンサートだったのだが途中で席を立つ人はほとんどいなかったと記憶している。 隣を見れば号泣している世界中からやってきたファム達。 ああ皆同じ気持ちなんだと感じた。車でPrinceゆかりの地を巡り、どこに行っても紫色の服を着たファムに出会い、パークツアーでは遺灰に手を合わせる事が出来た。 2016年は、私の人生で一番濃い紫に彩られた年だった。

 関連アーティストで思い出深いのは、The Timeのフルメンバーでの2度目のリユニオンコンサートを、2008年ちょうど出張で訪れていたLas Vegasで見られた事。それから8年後、トリビュートコンサート後に飛び込んだFirst AvenueでStevie WonderやMonoNeonと同じ客席から彼らを観るとは想像もしなかった。 

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? なぜあなたはそれらの特定の曲を選んだのですか?

 

1曲目は、最初に聴いた1999。

自身でバンド活動するだいぶ前なので、リンドラムなどテクニカル的な知識は全く無く、ただただ中毒性のあるリフにすっかりはまってしまった。 初めて携帯を持った90年代初頭から2020年の現在までずっと着メロは1999。 ちなみに車のナンバーも1999。

 

2曲目は、I Feel For You。 

90年頃からChaka Khanを何曲もカバーして歌っていたので、原曲は遡って聴いた派。 私にとってはかなりテイストの違う2曲だが、どちらも魅力的で大変思い入れのある曲。  原曲は軽いグルーヴが小気味いいが、Chakaバージョンは何と言っても歌っていて本当に気持ちいい。 

 

3曲目は、Power Fantastic。

国内外でPrinceのブート盤を探すようになっていた私は、ニューヨークでCrucialを見つけた時、当時としてはかなり高額だったが勿論即購入。 ジャズもよく聴いていた為、Miles Davisとの共演アルバムと聞いて(怪しい曲もあったが)音質の悪さも全く気にせずBlack Album同様かなり聞きこんだブート盤の中の1枚。 中でも1曲目のPower Fantasticはむしろブートの方が、曲の雰囲気に合っているような気がしてお気に入り。 後に自身のバンドでカバーし、Prince好きのミュージシャン仲間達は驚き、そして喜んでくれた。

 

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか? どうして?

 

The Time、Sheila E、Larry Graham、Chaka KhanJoni MitchellなどなどPrinceと関わったアーティストは好きな人ばかりで、バンドでカバーも沢山した。だが、Sheena Easton1984年のアルバムA Private Heavenには驚きだった。Modern Girlを歌っていた純なイメージのSheenaがSugar Wallsって。Princeによって、一皮むけたという言葉がぴったりはまる見事なイメチェン。

ちなみに彼女の1987年のアルバムNo Sound But A Heartの1曲目EternityもPrinceの曲で、Chaka Khan バージョン(1988年のアルバムckの4曲目)と聴き比べるのも面白い。 

 それからSinead O’Connorの1990年のアルバムI Do Not Want What I Haven’t Got に収録されているNothing Compares 2 U。PrinceやThe Familyを知らないポップミュージックファンにも曲を広めてくれたので、彼女はある意味功労者だと思っている。 原曲と同じくバラードではあるけれど、彼女の声によく合ったアレンジが秀逸。

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

自由である事。 

Princeの音楽は、ソウル、ジャズ、ロック、ポップ、ブルース、カントリー、フォークあらゆる音楽を網羅しているので、到底一つのジャンルで括ることの出来ないもの。不幸にも音楽業界の中で縛られていた時期もあるけれども、時代時代で変化を遂げていた彼の自由な志向にリアルタイムで触れられた事は素晴らしい体験だった。 歌詞の内容も変化を遂げていたけれども、いつの時代も彼の自由な発想が感じられて、まるで何人ものアーティストに楽しませてもらっているような感覚だった。

自由、その大切さと厳しさ、彼の音楽と人生を通して深く考えさせられる。 

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 音源、映像は本人の意思とは無関係に今後もリリースされ続ける事と思う。 しかし若い世代が自然とそれらに耳を傾けるかというと、少し疑問を持つ。 昔からPrinceの名前を知っている世代でさえ、いまだにイロモノ扱いの人もいるのだから。自分がPrinceの曲をカバーするにあたり、沢山のカバーバージョンを聴いた。 様々な国の人、様々なジャンルの人、当然様々なバージョンが生れたが、どれもPrinceへの愛が溢れている。より多くの人へPrinceの楽曲を紹介するには、沢山の人、そして若いアーティスト達がカバーし続けてくれれば良いなと思う。 最初はイロモノ扱いでも、曲を深く知ればPrince愛は勝手に湧き出てくるものなのだから。 

 

(写真・回答  Veronica Vaughan)

 

The Beautiful Ones プリンス回顧録

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陰と陽の天才。

音楽は聴こえるが、目には見えない。

彼は音楽に「発音できない形」を与えた。

それが「ラヴシンボル」だ。

あの形を目にすれば、脳内で彼の音楽が再生される。

 

これは彼が挑んだラストアルバム。

コンセプトは「ミスター・ネルソンをプリンスが語る」。

彼は我々を「音の無い音楽体験」に誘う。

言葉の陰に「隠された音」が聴こえてくる。

 

未完成かも知れないが、

「それって、永遠に終わらないってことだろ?」

彼ならそんなセリフを言いそうだ。

 

FOR YOUから始まった優しき眼差しは、

心の眼サードアイで「美しき人々」を見守り続ける。

 

――Takki/二重作 拓也

 

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プリンスの自伝が出るーそんなニュースが伝わり、日本版も出版されることとなった。

  幸運にも、同時に、恐れ多くも・・・推薦の言葉を述べさせていただく機会を頂戴した。大変有難いことであり、相当なプレッシャーでもある。

  いうまでもなく僕はプリンスを尊敬している。崇拝(Adore)に近いかも知れない。これまでの人生で、幾度となく彼の芸術に魂を救ってもらったから。だが、一方でこのようにも意識している。僕のプリンス愛が、彼を邪魔してはならいない、と。

 プリンスの音楽は、支持者の心にまで届いた。彼の楽曲はどんな解釈も許したし、発表した以上、全てを聴くものに委ねた。だがしかし、そこに「彼の想い」はあったはずだ。パープルにしても、ビキニパンツにしても、ハトにしても、ヌードにしても、グラフィティにしても、彼なりの「そうした理由」が多少なりともあったはずだ。

 それらは彼の楽曲を組み合わせたり、ツアーパンフやステージでの表現、発言などを手掛かりに解明作業を行う以外にないのだが、それも簡単なことではない。

 

「僕の音楽について全て理解しているのはーーーー僕だけだ」

 

 2005年、インタビューでそのように語っている。まるで古代遺跡のような、答えが永遠に解明されることのない現代音楽家だった。心にリーチする彼の音楽は、「私のプリンス」、ともすれば「私だけのプリンス」を生みやすい。それはそれで素敵なことだが、僕はあくまでパブリックな場面では、極力「僕のプリンス」と「プリンス」を意識的にわけてきたつもりだ。

 彼が57年の生涯をかけて戦ってきた相手のひとつが「人々の偏見」である。「プリンス」を語る際は、「僕の」を遠くの倉庫にしまって、つまりは僕の偏った見方を極力排除して、あくまでの客観的な立ち位置から俯瞰して語る必要があった。そう、「宇宙の壮大さを語る天文学者の立ち位置」を決して忘れないこと。その距離感こそが僕なりの彼への敬意の表れだと自負している。

 

 僕はこの回顧録に、上のような推薦文を寄稿させていただいた。拝読させていただいた原稿には57歳にして戦い続けるチャレンジャーがいた。80年代のメディアを巻き込んだド派手さが無いだけで、彼の「精神の革命家」としての感覚は歳を重ねるごとに洗練されていったのがわかる。若き頃に比べて人格者になったものの、不正に対する嗅覚の鋭さと戦いを辞さぬ強さは、全く衰えることはなかった。

 

我らがプリンスは、2016年もワン・アンド・オンリーのプリンスだったのだ。

 

 くり返すが、本書は「音の無いラストアルバム」である。回顧録という名前がついてはいるが、12インチシングルにオリジナルの楽曲を収録し、ホログラムのジャケットを導入し、CDケースの上にシンボルをプリントさせ、新聞にアルバムを付録でつけ、映画をズタズタにサンプリングして音楽にぶち込み、授賞式を新曲披露の機会に変えてしまうような男だ。自伝を書いたところで「いわゆる普通の回顧録」になるはずがない。

 

 世に認識されている「プリンス=音楽家」というイコールは決して正しいとは言えず、映画監督であり、プロデューサーであり、ビジネスマンであり、戦略家であり、ヴィジョナリーであり、人種差別反対の活動家であり、支援家だったプリンスが、2016年に彼にとっての「適切な表現」として書という形態を選んだに過ぎない。彼にとっても新しく、世の中にとっても新しい。それが本書の正体である。それぞれの「私のプリンス」「僕のプリンス」を尊重しつつも、「ミスター・ネルソン」がつくった「プリンス」が、「人間ミスター・ネルソン」について真摯に語る。アート・オフィシャル・エイジ、そしてヒットエンドランphase 1で突然登場した「ミスターネルソン」がコンセプトになったのだ。

 

そこに特定の音楽は必要ないーー彼の判断は今回も正しかった。

 

読み進めれば、キミが愛する楽曲が浮かんでくるだろう?

あるいはキミが今聴きたい曲を流しながら読めばいいさ。

彼の求めた「自由」が言外のメッセージとして静かに伝わってくる。

 

1987年にリリースされたシングル「サイン・オブ・ザ・タイムズ」の映像を見て欲しい。彼の影響を受けた支持者であれば、ボリュームをゼロにしても、音楽が脳内に鳴り響き、身体が反応するはずだ。

  彼の「音楽の源流を探る旅」、それこそが最高にして最新の形の音楽体験。

プリンスは物語の続きを「Beloved、Rainbow Children、またはTrue Funk Soldiers、あるいはNPGMCと彼が呼んだ戦士たち=The Beautiful Ones」に託したのかも知れない。

 

The Beautiful Ones

編著 ダン・パイペンブリング
翻訳 押野素子

日本版 発売元 DU BOOKS

推薦文 KID氏、TUNA氏、松尾潔氏、吉岡正晴氏 Takki それぞれに違ったプリンス体験がここにある。孤高の天才の多様性に満ちたレコメンドもお楽しみください。

https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK267

 

プリンス回顧録Twitter記事

https://twitter.com/takuyafutaesaku/status/1249249803634008065

 

NPG Prince Site

https://npg-net.com/2019-12-05-2/

 

プリンス名言 https://twitter.com/Princewords1999

Prince Love Japan https://www.facebook.com/groups/princelovejapan/

Takki@プリンスの言葉  https://twitter.com/takuyafutaesaku

 (文・構成 Takki)

プリンス 7 つの質問 01 ラジカル鈴木

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ペイズリーパーク・スタジオ

 

1.あなた自身を紹介してください。

 

ラジカル鈴木、日本、イラストレーターのほか、執筆やアート制作活動など。出版物を中心としたあらゆるジャンルのメディアへイラストレーションを提供。個展、国内外のグループ展に多数参加歴あり。受賞歴も多数。音楽誌やWebに、プリンスに関するイラストレーション提供、記事執筆。プリンスのイベンントを自ら企画し開催、またゲストスピーカーとしてNew Power Partyに参加。一般に、より深くプリンスの真価を伝えるべく、学生時代の口コミから、日本で、長年プリンスの魅力と実力について語ってきた。プリンスの考え方や行動原理を研究し、その"Princeism"を実践、独自の芸術活動を展開している。

 

2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 プリンスファムになる前は、映画音楽ファン、洋楽ファンでした。兄の部屋のステレオで聴いたザ・ビートルズ、ベイシティ・ローラーズなんかから入り、小〜中学生のときはFMエアチェック少年で、ビリー・ジョエルがヒットしてて好きでした。放課後に友達の家に入り浸り、ステレオでレコードを大音響で聴いて、タバコを吸ったりしながら"これがロックなんだ〜"なんて思ってました、可愛らしかったです(笑)。デビッド・ボウイも好きでしたね。彼はもっと、アート心をくすぐるトリック・スターで、まったく別の存在でした。

 

 同時期"ダーティ・マインド"の頃、音楽雑誌で始めてプリンスを知りました。モノクロで半ページくらいのスペースで、例のコートとバンダナ、ストッキングの格好の写真で、何かとってもショッキングな奴がいる、という紹介のされ方でしたが、そのときはまだ音楽を聴くには至りませんでした。それから数年経て本国で"パープル・レイン"が大ヒットし始めると曲もFMでガンガン流れ初め、凄い音楽をやる奴だな〜、と気になり始めました。ヒットしているにも関わらず、当時の80年代のヒットチャートの曲とは明らかに違う何かを感じたのです。濃厚な渦巻く情念、そして過剰なまでのリビドー、良識からハミ出す何かヤバイもの。後で気づいたのは、ウッドストック世代の60年代の音楽に近い濃さ、だったような気がします。プリンスの敬愛するスライ&ザ・ファミリーストーンサンタナグランド・ファンク・レイルロード、リッチ-・ヘイブンス、ジェームズ・ブラウン、ザ・ローリングストーンズ、ジミ・ヘンドリックス、彼らのくどさ、ヘビーさを、ペラペラな80年代に、時代に逆らってやっていたんですね。

 

  映画「パープル・レイン」を観て、決定的なファムとなりました。出身地にあったローカルな映画館で、高校3年生のとき「フットルース」(1984)と2本立てで上映していました。その存在、音楽の虜になった。目的で観に行った「フット〜」の記憶はどこかへ消えました。そして、それまで発売されていた彼のアルバムは全部買い、もっと聴いて観たくなって、当時まだ日本ではプリンスのソフトはレコード以外は皆無だったので、1985年の米ツアーのライブビデオをアメリカから輸入で取り寄せ、悶絶!! なんという自由さ、なんという面白さ、なんというエナジー、なんという才能の塊なんだ!! しかし、周りにプリンスファンは本当に居なかったですね、皆無でした。

 

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 KISSがチャートNo.1で席巻の'86年、プリンスが初来日するのを知ったときは、もうこれは、何を置いてでも行きたい!!! と、地元デパートのチケット販売所に走りました。埼玉県から横浜・関内の横浜スタジアムは片道2時間かかり、とても遠かったけれど2日間、足を運びました。生で見たプリンスは・・・もう神を現実に見てしまった、というくらいの体験でした、これだけで一万文字くらい簡単に書けます(笑)。

 1日目には私のフェバリットソング"17 days"を、まさか生演奏で聴けるとは思わなかった。やまない雨が振りしきるダウンタウンの一室 - 情景が浮んでくる。ノー・ドラッグソング。シンセサイザーの音色が、ホーンセクションにとって変わっていたアレンジに昇天しました。3万人の観客のみならず、屋根のない野球場から、横浜全体にズシンズシンと音が反響し、それこそ街が地震のような巨大なビートとグルーヴに飲み込まれた、と感じました。

  その後、自分の住む日本の関東圏内の彼のライブは全部観ましたが、日本を出て観たプリンスのライブは、また私にとって特別です。2002年、ミネアポリスの彼のペイズリーパーク・スタジオで行われた、Prince Celebration 2002 "Xenophobia"に参加しました。当時、海外旅行はよく行っていましたが、まさかミネアポリスへ行くとは思わなかった。プリンスファムの友人に強く誘われて、行くことを決意。今となっては、彼に本当に感謝しています。それまで海外の都会ばかり訪れていたので、小じんまりしたミネアポリスの街、のんびりとした田舎の風景、広々とした何もない景色は新鮮でした。リアルなアメリカを感じました。小さなモーテルに泊まって、7日間、毎晩プリンスを観に行く。なんと特殊な体験でしょう。初日だったか、メインの大きなライブ会場で前座のゲストの演奏中、一番後ろにもたれかかっていると、おおお!!! 袖のほうに小柄な本人が! 地味な服装で、ちらちらとステージのほうを気にして、出てきたり入ったりしている。その距離約30m。あまり彼をじっと見てはいけない、と聞いていたのでこちらも、ちらちらとしか見ることが出来なかった。

 

 翌日、ゲストの演奏後、今度もまた一番後ろにいると、暗がりの中を本人がこっちへ歩いてきた! 目の前、50cmくらいのところを、このパーティーの主役は、キラキラ反射する衣装で、のっしのっしと大股で歩き、威厳を放っていました。彼を見て、普段は感じないけれど、自分はわりと大柄なのだ、と認識。彼のリアルな大きさに驚きました。私が肉体的に最も彼に近付いた瞬間です。

 

 さらに別の日、また後ろのほう。身長2mはある大きなボディーガードの後ろにすっぽりと隠れながら進んでいる彼に遭遇。彼は見えないけれど、周囲の人のざわめきで判った。また別の日は、当時の奥さんマニュエラ・テストリーニと微笑ましく手を繋ぎながら軽やかに歩いているところも目撃。皆、ライブを観る為に前のほう前のほうへと押し掛けていたけど、人もまばらな後ろの方にいると、ステージ以外のプリンスを目撃するチャンスが多かった。

 

 彼がステージに登場するときは、私もなるべく前へ前へ行き、あるときは大勢に後ろから押されながらも、最前列をキープしました。現れた彼からはわずか2mという距離! 特に忘れられないのは、"Joy in Repetition"のアウトロで、マイクから離れた彼の生声が、唾がひっかかりそうな位置で明瞭に聞こえたこと。また別の日は、ドラム、ベース、そしてギターとボーカルのプリンス、というシンプルなバンド構成でしたが、エンディングで演奏した"Calhone Suqrre"の怒濤のギターソロ! 小柄な身体とギターからスパークし溢れる凄じいエナジーを最前列で浴びました。

 何日目か、彼がステージで、今回のイベントのテーマについて話をしたけれど、英語なので意味は1/10も理解出来なかった。その直後、なぜか私は沢山の世界中の参加者から握手を求められた。なんなんだろう?と思ったが、あとで判りました。"Xenophobia" は外国人、異民族、異教徒を恐れ、忌み嫌う、という単語。それこそが世界を一つにせず、平和を脅かしている元凶だ、と彼は話していたらしい。私の姿は当時、100kgの巨漢、黒フチの丸めがね、黄色い肌、日本以外の世界の人が抱く典型的な、マニアックな日本人のオタクの姿で、あきらかに異質だったのです、そういう存在にも心を開き、理解してみよう、というのがプリンスのメッセージでした。だから逆に彼自身も、自らストレンジな格好ばかりするんでしょうね。

 前日、ショウが終わった明け方、プリンスからのプレゼントで、近くの映画館で映画を観ました。ロビーにポップコーン油の臭いが充満する、イメージしていた通りのアメリカの田舎の映画館。場内に入ると私は、観客の若いヤンキーたちから、指をさされてゲラゲラ笑われました。こんな容姿の人間は、この田舎では滅多に見られないのでしょう。「What's your name?」「Suzuki」と答えるとさらに爆笑される。自分が当事者として"Xenophobia"を実感していたのです。自分がよく知らない者にも心を開く - プリンスが伝えたかった真意は、これだったのです。実践はなかなか難しいですが、それ以来私は、何かの折に時々思い出しています。

 2004年、MusicologyツアーのMSG公演の2ステージのチケットを取り、NYへ飛びました。Celebrationでの信じられないほどcloseなライブ体験を除くと、このとき観たのが僕の生涯ベストライブです。アメリカの観客は、日本の観客より遥かにHot!!! その日は雨模様でしたが、Purple Rainの演奏が始まると、皆が手に持っていた傘を広げて高く上げ、客席に色とりどりの傘のウェーブが広がりメロディと共鳴、会場はまさに1つになりました。僕も傘を高く掲げました。プリンスが評価していた、お行儀の良い日本の観客だったら、やらなかったでしょう、その前にセキュリティが"危険なのでやめてください"とアナウンスしていた筈、もしここが日本だったら。

 公演終了後、偶然出会った知人から、歩いてもそんなに遠くない、ミッドタウンにあるB・Bキングの店でのアフターパーティーがあるのを聞き、一緒に行った。演奏はなかったが、先ほどのライブの迫力ある映像が流れていた。"Shhh"を演奏するプリンスの叫ぶギター、ジョン・ブラックウェルの怒濤のドラミング!!! 一般客と分けられたVIPコーナーに、彼を発見! 暗かったが、4〜5mくらいの至近距離。様々なNYのゲストが来ていて、談笑する彼。僕が確認できたのは盟友、スパイク・リーの姿。同様に小柄な彼と話をしているプリンスを見た。これが、私が生で彼を見た最後となりました。

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? 

 

彼のスピリチュアルな曲はどれも特に大好きですが、初期〜中期作品からの3曲のチョイスです。

 

Free

この曲と出会わなかったら、今日の自分はありません。誰にでも程度の違いこそあれ、理想の前に立ちはだかる様々な悩みや障害がある。しかし、何が現実で、何がイマジネーションなのか。未来を創っていくのは何なのか。現状を変えていこう、というクリエイターを志す者にも、最もお薦めしたい曲です。

 

 

The Cross

特別な曲。映画『パープル・レイン』もそうですが、悶々としていた20代前後、自分がちょいと行き詰まって、辛い、苦し、というときに何度「サイン・オブ・ザ・タイムズ」のアルバムとビデオを鑑賞し救われたか判りません。「左にゲットー〜右には花畑〜我々は皆問題を抱えている〜大きいのやら小さいの〜もし信じるなら〜その問題は消えてなくなる〜 死ぬな〜ザ・クロスを知る前に」という歌詞に涙し、明日からの活力をもらっていました。無宗教のつもりの自分にとって、彼の音楽はまるで教会のような機能をしていたのです。

 

The Love We Make

これも、気分が落ち込んだときに聞くと、素晴らしく前向きになれる曲。命からがら、必死だった今日がまた終る。崖っぷちに居るのは私だけではない、世界中にのっぴきならない立場の人々がいる。私はジャンキーではないが"Put down the needle, put down the spoon"の部分を聞く度に、自暴自棄になるな。安易な快楽に逃げるな。決して希望を捨てるな、という彼からのメッセージを受け取っています。愛だけが、私達を救う。

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか? どうして?

 

"ヴァニティ6"です。あの誇張された、堕落した陰媚なキャラクター設定がたまりません。まだ10代だった僕にとっては、あのランジェリー、網タイツ、ハイレグには完全に悩殺されました!! リアルタイムだったアポロニア6も同様の魅力ですが、オリジナルはヴァニティ6です。プリンス個人も、ヴァニティとは特別な仲でした。様々なアーティストをプロデュースし、楽曲を提供した彼ですが、その最初期の、女性の初プロデュースアーティストですよね。ザ・タイムと同じ時期に、商業的成功と共に、手ごたえを掴んだプロジェクトではなかったかと思います。多様なペルソナを持つプリンスの、"ナスティ"な一側面を解き放った、言わば分身でしょう。女性アーティスト、ボーカリスト向けの作曲に高い評価のある彼ですが、アルバムは、女子の心の機微、心情がとてもリアルに感じられる曲ばかりです。

 

 セックスは彼最大のモチーフ、テーマでしたが、初期のインタヴューでは「全部イマジネーションだよ。周りに女なんて一人もいなかったから。」と語っています。また「セックスするよりも、セックスを語ることのほうが難しい」というコメントもあります。健全な青年として、セックス・ファンタジーが好きなのは当然でしょうが、実際の彼は、ナイーブでシャイで異性には奥手、毎日音楽に没頭していて、それどころではなかったんじゃないでしょうか。

 

 圧倒的な美しさの、ヴァニティこと、デニース・マシューズに出会って、彼のいくつものインスピレーションの扉が全開になったのでしょう。プリンスが前座を勤めた、リック・ジェームズのお気に入りだったバニティと仲良くなってしまったことにより、その後リックからボロケチョンに攻撃されることになってしまう。しかし間もなく彼はリックよりもスケールの大きなスターになる!映画パープルレインのクランクイン直前に、彼女は去り、関係は終る。ヴァニティは、ソロアルバムや映画の主演を勤め順調に活躍していたが、その後ドラッグが原因で身体を壊し、人生は悲劇的なものになっていく。決裂後も、動向をフォローし、連絡は取りあっていたのでしょうか。プリンスが亡くなる2ヶ月前、ヴァニティは同じく若くして先立った。ステージで「昨日、大事な友達が亡くなった」とコメントし、Littl Red Corvette を演奏し彼女に捧げた。最後まで彼にとってMuch too first だった彼女。彼はまた、ステージでこうも言いました「彼女の死を嘆くのではなく、彼女は自分の人生を祝福してもらいたがっているはず」。この言葉は、そのまま今、我々がプリンスに贈りたい気持ちと重なる気がします。

 

提供した曲では、ザ・バングルスの"マニック・マンデー"、

キッドクレオール&ザ・ココナッツの"The Sex of it"、

などが好きです。

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

"自由な魂"です。彼ほど総てに捕われずに発想し、理想に向かって行動したミュージシャン、アーティストを私は知りません。日々生きていくうえでのモットー、また僕自身の作家性を確立する上で、彼からの影響は、あまりにも沢山ありますが、ひとつにまとめるとしたら、先にも述べた"Princeism"です。彼はどう感じ、どう考え、どうしたのか。

 

 彼の初期のインタヴューで「誰かがそういう音楽をやっていたとしたら、僕たちは違うことをやる。」「今の音楽業界の問題は、誰かがヒットを飛ばすと、皆それをなぞって同じことをやりだす。僕はそれだけはやってこなかったからね」と言っています。そういった反骨精神のようなものが彼のベースにあると思います。群れない、日和らない、皆それぞれ違った個性を持っているのだから、それを発揮すべきだ。

 また、彼は総てにおいて限界を設けませんでした。僕が、来るものは拒まず、仕事のジャンルを選ばない、っていうのも彼の影響です。世界は広いのだから、狭い世界しか知らないのは、寂しいしつまらないことだよ、と。Pop生きなきゃ、COOLにいかなきゃ!

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 彼の最上の曲、パフォーマンス、そしてリリックにより多く触れてもらいたいです。そして、我々がより分かりやすく彼の仕事の本質を読み解いて、橋渡ししてあげると良いのでしょう。ポピュラー音楽史的に、プリンスはどれほど先達を尊敬し、愛し、多くを吸収したか。それをどうやって自分のものに昇華したのか。また、のちに後に続く者たちにどれほど多くの影響を与えているのか。どれだけ勇気を持って新しいことをやってきたか。時代の問題点を見据え、変えようとしてきたか。

 音楽の世界にも歴史的に残る多くの偉人や天才はいるが、同時代に生き同じ空気を吸ったことのある真のカリスマについて、知ってもらいたいと強く思います。私はベートーベンやチャーリ−・パーカーを実際に観たことはないけれど、プリンスは何度も観たことがあるのです。