プリンス 7 つの質問 04 Naomi Takahashi

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1. あなた自身を紹介してください。

 

  Naomi Takahashiです。現在はNew York City (Republic of Brooklyn) に住んでいますが、出身は岩手県盛岡市です。1990年にNYに移住したので、NYの方が日本で住んでいた年月よりも長くなりました。本業はしがないオフィスワーカーですが、副業でダンサーとフォトグラファーをやってます。ダンスは10代の頃に初めて、当時はJazz & Hip Hopをやっていましたが、今は体に優しいベリーダンスをやっています。

 日本でジャズをやっていた頃は地元でセミプロのグループでよくプリンスの曲を使って振り付けをしてパーティーで踊ったり、自分たちでステージを企画して踊っていました。コスチュームのアイディアはプリからよくもらっていました。今はベリーダンスですが、フィンガーシンバルを使って踊ることもあり、このダンスをやるようになってプリが80年代のはじめの頃から結構フィンガーシンバルを使った曲を作っているのに気がつきました。

 写真は主にスポーツ特にNFL (National Football League) のゲームを撮影しています。これはこの道50年以上のベテラン日本人フォトグラファーの方のコネでゲームに入れていただき、フィールドで写真を撮影しています。バスケットボールの写真も撮っていましたが、メインはカレッジとストリートだったので、NBA (National Basketball Association) ファンだったプリンスを撮影するチャンスはありませんでした。(涙)あとは、ダンスの写真。アクションフォトグラファーです。

 

 2.あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 ダンスをやっていた関係で、日本のミュージシャンよりはアメリカのミュージシャン特にR & B, Hip Hop, Funk, と比較的black musicがメインでした。でも、中学生、高校生の頃はアメリカのロックが好きでKiss, Aerosmith, のほかストーンズなんかも聞いてました。ダンス仲間はMJファンが多かったのですが、私はどうしてもMJの魅力がイマイチわからなかったんですよね。なぜか他の子達ほどのめり込めなかった。当時、まだMTVとかベストヒットUSAとかなかったか、出始めた頃でしかも盛岡にその番組が来るのは東京よりも時差があった。その分、FEN (Far East Network) でCasey KasemのAmerican Top 40 を毎週聞いていたんです。ただ、盛岡から受信するので、途中で電波が途切れたり雑音が入ることが多かったのですが、頑張って聞いていました。

 そんなある日、プリンスの1999 & Little Red Corvette がかかって、「これ誰?」って興味を持ったのです。なんか、あの声に惹かれたんですよね。当時は英語がほとんどわからなかったんだけど、なんか気になった。でも、ラジオなんで彼がどんな顔をしているかわからなかった。多分地元のレコード店には彼のレコードがなかったんじゃないかな?それで、東京にダンスのレッスンを受けに行った時に、輸入レコード屋に寄ったのです。(タワレコではなかったのは確かで、渋谷のどこかの輸入盤のレコード屋さんでした)その時にプリンスの1999のアルバムを見つけたんだけど、イラストで顔が見えなかった。

 

 それで、次に手にしたのが"Controversy" のジャケット。彼の顔を見た瞬間衝撃で、アルバムを持ってた手からアルバムが落ちました。なぜかわからないけど、勝手にEarth, Wind & FireのリードヴォーカルだったPhilly Baileyのようなクリーンカットな丸顔を想像していたので、ロングヘアーで目元の鋭い顔を見た時にあまりの自分勝手な想像とのギャップに衝撃だったんだけど、もう一度気をとりなおしてアルバムを手に取ったら.. the rest is history. 完全にノックアウトをくらいました!

 その日、そのお店で"For You", "Prince" "Dirty Mind" "Controversy" & "1999" のアルバムを買い漁りました。その後は東京にダンスのレッスンを受けに行くたびに洋書の店や輸入盤のお店を必ず訪れてプリや他のミュージシャンのマガジンやアルバム/CDを購入しまくってました。

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 当時、ワーナーブラザースジャパン公認のプリンスファンクラブがあり、私の会員番号は200. 後で友達になったファムには199だったらよかったのにねと言われたけど、"200 balloons" という曲もあるからいいかな?と。

 プリンスの初来日公演のパレードツアーは横浜に見に行ったのですが、座席が天井桟敷(と言っても天井はなかったですが)。プリは肉眼ではほとんど見えす、big screenで彼を見てました。しかも、音がエコーして上の席は音が二重になってたんだけど、プリと同じ空気を吸っているんだというだけで感動でした。パープルレインでは泣いてしまいましたね。

 その次のLovesexy Tourでは初日の仙台公演のチケットをコネで最前列のど真ん中で見ることができました。あれが彼に一番近けた時でした。誰もが"He looked at ME!" と思っていた。初日ですっかり声を枯らしてしまい、その後の東京ドームでのコンサートでは声が出ませんでした。(涙)

 もう時効だから書きますが、当時プリンスファンクラブの掟で、追っかけはしない。出待ちはしない。というのがあったんですよね。でも、私は地方に住んでいるし、一緒に行く友達はファンクラブのメンバーじゃないし、どちらかというとMJファンだからいいだろう。と勝手にホテルで2人でコーヒーを飲みながらプリンスが出てくるのを待っていました。出てきたのは、Erick Leeds, Atlanta Bliss, Miko Wever and Sheila E! 当時は英会話を習っていたけど、ほとんど英会話はできない状態で、サインをもらうのがやっとこさ。Mikoとは一緒に写真を撮りたかったけど、"Can you take photo with me? " を"Can I take your photo?" と言ってしまって、結局彼と一緒に写真は撮れず、彼と当時の彼のガールフレンドの写真を撮って終わり。私は身長150 cmと小さいのですが、シーラは多分私よりも小さいんじゃないかな?って思った。

 その後、セキュリティーの目を盗んで、プリが泊まっているロイヤルスウィートのドアの前まで行ったんだけど、もしかしたらそのドアの向こうにプリがいるかもしれない!と思ったら、それだけで体が震えて結局ドアをノックすることもできなかったし、ノートをドアの隙間から入れるということもできずにそのまままたエレベーターでロビーまで降りてきました。I felt totally defeated.

 後で思うと、誰もドアの前にいなかったので、多分プリは部屋の中にはいなかったと思います。その数ヶ月後にファンクラブのメンバーでそのホテルのプリが泊まった部屋を貸しきって、当時のワーナーの担当者佐藤淳さんからプリ来日時の様子を聞いたのを覚えています。その日はみんなで雑魚寝。私は畏れおおくって、彼の寝たであろうベットには寝ることはできませんでした。(苦笑)

 NYで彼を見たのはMadison Square Gardenで1回きり。何度かチャンスはあったのですが、チケット代が高くて見に行けませんでした。それが本当に後悔していること。でも、当時は生活するだけで精一杯だったので、$200 とかチケットで払えなかったです。

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? なぜあなたはそれらの特定の曲を選んだのですか?

 

この質問が一番難しい質問で、トップ3を決めることは困難なんですよね。全ての曲がそれぞれ色々な思い入れがあるから。でも、頑張って絞り込むとしたら、順不同ですが、以下の曲かな?

A. Little Red Corvetteですね。この曲と1999が彼を知るきっかけになった曲なので。。。LRCは晩年よく演奏していた"sloooooooow dooooooooown" の比較的スローなヴァージョンが特に好きです。

 

 

B. Sometimes it snows in April: この曲は映画を見た時も涙が出てきて止まらなかったんだけど、彼がpassed awayしてからは余計聞くのが辛いけど、beautiful な曲の一つですね。歌詞の内容が彼が亡くなってからあまりにも彼に対する気持ちに類似している気がします。迷いましたが、Nothing Compare 2 U も聞くのが切ない曲の一つです。

 

 

C. Sexuality: 彼のセクシュアリティー& 身も心もfreeにというのが表れている。

I would Die $ U, Freeも相当悩みました。

番外編. Guitar: これはプリンスの本音そのものの曲じゃないかと思います。"I love you baby But not like I love this guitar"

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

 Sheila E, The Time, Vanity 6, :プリンスのalter ego(もう一つの人格)だから。シーラはソロ活動する前から彼女のお父さんと一緒に活躍していましたが、プリンスが手がけたアルバムは彼の分身って感じ。ヴァニティは女性版プリンスって感じ。The Timeはプリのファンクな部分を上手く表現しつつも、モーリスの個性が光るバンドになっている。

 Andy Allo & Janelle Moneaは彼のprotégéで彼の音楽を引き継いでいると思います。アンディはプリンスとの間で色々あったみたいだけど。。。

 Lenny Kravitz & Andre Cymone! 彼らはプリンスのロックとR&Bのクロスオーバーを上手く引き継いでいると思います。Andre Cymoneは数年前にライブを見ましたが、Dance Electricを演奏してくれて最高でした。観客のほとんどがプリンスファムだったですけどね。

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

 プリンスは私にとって神に近い存在ですね。彼は人種も性別も越えた存在です。特に彼のandrogynous(中性的)なイメージは特に私自身のandrogynousと一致したんです。ほとんどの女性ファンはプリンスの彼女になりたい。って思うと思うんだけど、私は彼自身になりたかった。彼のように自由に自分を表現して男性、女性にこだわる必要はなく、自分に素直にそして気持ちに忠実にというのが彼から受けたものなんですね。

特にI would Die 4 U で" I'm not a woman I'm not a man I am something that you'll never understand" の歌詞が自分に非常にしっくりきた。

 そして、sexuality では" Sexuality is all you'll ever need Sexuality, let your body be free" で自分のsexualityに素直になって構わない、そして体をフリー(自由)に!というのが、やはりしっくりきた。

 Controversy では"Am I black or white" そして"gay or straight" と。結局はblack & straight なんだけどカテゴリーに当てはまらないという感覚が共感できるし好きです。なんか日本にいるときは息苦しさを感じていたけど、彼のミュージックと存在で救われていた部分は大きかったですね。

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 これも難しい質問の一つですね。プリンスのリアルタイムファムはほとんどが40代以上なので、自分たちの子供や孫に彼の曲を小さい頃から聞かせて曲に慣れさせる。という方法もありますが、友達の子供たちを見ていると難しいものがありますね(苦笑)

 プリンスの曲は時代を先取りした曲も多かったのし、素晴らしいものが多いので、今のプリンスをリアルタイムで知らない世代でも古臭いと思わずにカバーすることはできると思うんですね。ただ、彼をリアルタイムで知っているとやはりカバーを聞くと「どこか違うな」って思ってしまうんじゃないかな?と。あと、トリビュートバンドもパープルレインの格好が多いので、下手するとプレスリーになってしまうかな?という恐れはありますね。なんか曲よりも「キャラクター」になってしまうのは避けたいですね。

 ただ、Googleで2019年のMost searched guitar soloでPrinceがトップだったのを考えると、ミュージックをやっている人たちは彼の才能は年代関係なくわかっているので、今後もソーシャルメディアとかで彼の映像(特にライブ)を発信すれば興味を持ってくれる人たちはいるかもしれないですね。

 なかなか日本語でプリンスを語れる人が周りにいないので、久々に日本語でプリンスを語ることができて嬉しかったです。いつか日本のファムの皆さんとお会いできるのを楽しみにしております。

 

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