プリンス 7 つの質問 02 Veronica Vaughan

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1. あなた自身を紹介してください。

 

Veronica Vaughan、日本。本職は、外資系ファイナンシャルアナリスト。高校生の頃よりバンド活動を始める。 以降30年以上に渡り、音楽イベント主催、自身のバンドやサポートでのライブ活動、ジャムセッションに参加。 近年はインディペンデント系のレコーディングアーティスト達への英詩提供もしている。 Tower of PowerやPrinceとの共演で知られるRad (Rose Ann Dimalanta) のアルバムライナーノーツや宣伝資料の翻訳を2005年頃手掛けたのをきっかけに、音楽関係の翻訳、通訳をするようになる。2006年、Takki氏主催の音楽イベント”ロンダ・スミス ベースクリニック”に参加し、親交を持つようになり、彼の著書2016年発売の「プリンスの言葉」、2018年発売の「Words Of Prince」の翻訳チームに参加。家での密かな楽しみは、Christopher Tracey's Parade やGet Offのフルートパートを吹くこと。

 

2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

幼い頃に英会話を始め、大学生のいとこや同級生の兄姉の影響もあり、様々な洋楽アーティストを聴いていた。そして、深夜帯の放映だったため父親の監視付きでBest Hit USAを毎週見るようになり、そこでPrinceと出会う。 最初に見たPrinceのPVは1999で、小林克也氏のコメント「好きな人は大好き、嫌いな人は大嫌いになる不思議な曲です」というコメントは今でも忘れられない(正確な文言は覚えていないが、おそらくそのようなニュアンスと受け取った)。 ちなみに、Princeのルックスに対して賛否両論あったのは全く知らず、ごく自然に受け入れていた。 キワドイPVの数々、今思うとあの厳格な父親がよく黙って一緒に見てくれていたなと、、、。

 色んな音楽に触れた中で、自分にとって一番しっくり来たファンクを教えてくれたのがPrince。と言っても本格的に自分でソウル、ファンクバンドの一員として活動しだしたのは90年に入ってから(80年代、特に前半はロック全盛だったので私もヘヴィなバンドで活動していた)。その頃チャートでは、Janet JacksonのRhythm Nationが所謂ミネアポリスファンクサウンド全開でトップを走っていた。 一方で、音楽的にPrinceにハマったもう一つの大きな理由は、独特のボイシング。 一人であらゆる楽器を操る彼だからこそ重ねられる音があるのだと思う。今まで一番聴きこんでいるのはParadeで、Clare Fischerが手掛けたオーケストラアレンジも何万回聴いても飽きない。 

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

来日公演は、初来日の1986年Parade Tourから観戦。 一番思い出に残っているのは1992年のDiamonds And Pearls Tourで、東京ドームのかなり前列に陣取って歌の師匠と共にSexy M.F.を大声で歌い大興奮。 だってM.F.なんて普段大声で言えないでしょ。海外でライブ観戦出来なかったのが心残りで、2016年のトリビュートコンサート、ペイズリーパークツアーで遅まきながら初めてミネソタ州を訪れることとなる。トリビュートコンサートはチケットを取るのも困難で、会場や出演アーティストも変更があり、必死に辿り着いた思いだった。 だが、会場にいたのは観客も出演者100%Prince愛のある人達で、0時過ぎまで続くコンサートだったのだが途中で席を立つ人はほとんどいなかったと記憶している。 隣を見れば号泣している世界中からやってきたファム達。 ああ皆同じ気持ちなんだと感じた。車でPrinceゆかりの地を巡り、どこに行っても紫色の服を着たファムに出会い、パークツアーでは遺灰に手を合わせる事が出来た。 2016年は、私の人生で一番濃い紫に彩られた年だった。

 関連アーティストで思い出深いのは、The Timeのフルメンバーでの2度目のリユニオンコンサートを、2008年ちょうど出張で訪れていたLas Vegasで見られた事。それから8年後、トリビュートコンサート後に飛び込んだFirst AvenueでStevie WonderやMonoNeonと同じ客席から彼らを観るとは想像もしなかった。 

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? なぜあなたはそれらの特定の曲を選んだのですか?

 

1曲目は、最初に聴いた1999。

自身でバンド活動するだいぶ前なので、リンドラムなどテクニカル的な知識は全く無く、ただただ中毒性のあるリフにすっかりはまってしまった。 初めて携帯を持った90年代初頭から2020年の現在までずっと着メロは1999。 ちなみに車のナンバーも1999。

 

2曲目は、I Feel For You。 

90年頃からChaka Khanを何曲もカバーして歌っていたので、原曲は遡って聴いた派。 私にとってはかなりテイストの違う2曲だが、どちらも魅力的で大変思い入れのある曲。  原曲は軽いグルーヴが小気味いいが、Chakaバージョンは何と言っても歌っていて本当に気持ちいい。 

 

3曲目は、Power Fantastic。

国内外でPrinceのブート盤を探すようになっていた私は、ニューヨークでCrucialを見つけた時、当時としてはかなり高額だったが勿論即購入。 ジャズもよく聴いていた為、Miles Davisとの共演アルバムと聞いて(怪しい曲もあったが)音質の悪さも全く気にせずBlack Album同様かなり聞きこんだブート盤の中の1枚。 中でも1曲目のPower Fantasticはむしろブートの方が、曲の雰囲気に合っているような気がしてお気に入り。 後に自身のバンドでカバーし、Prince好きのミュージシャン仲間達は驚き、そして喜んでくれた。

 

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか? どうして?

 

The Time、Sheila E、Larry Graham、Chaka KhanJoni MitchellなどなどPrinceと関わったアーティストは好きな人ばかりで、バンドでカバーも沢山した。だが、Sheena Easton1984年のアルバムA Private Heavenには驚きだった。Modern Girlを歌っていた純なイメージのSheenaがSugar Wallsって。Princeによって、一皮むけたという言葉がぴったりはまる見事なイメチェン。

ちなみに彼女の1987年のアルバムNo Sound But A Heartの1曲目EternityもPrinceの曲で、Chaka Khan バージョン(1988年のアルバムckの4曲目)と聴き比べるのも面白い。 

 それからSinead O’Connorの1990年のアルバムI Do Not Want What I Haven’t Got に収録されているNothing Compares 2 U。PrinceやThe Familyを知らないポップミュージックファンにも曲を広めてくれたので、彼女はある意味功労者だと思っている。 原曲と同じくバラードではあるけれど、彼女の声によく合ったアレンジが秀逸。

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

自由である事。 

Princeの音楽は、ソウル、ジャズ、ロック、ポップ、ブルース、カントリー、フォークあらゆる音楽を網羅しているので、到底一つのジャンルで括ることの出来ないもの。不幸にも音楽業界の中で縛られていた時期もあるけれども、時代時代で変化を遂げていた彼の自由な志向にリアルタイムで触れられた事は素晴らしい体験だった。 歌詞の内容も変化を遂げていたけれども、いつの時代も彼の自由な発想が感じられて、まるで何人ものアーティストに楽しませてもらっているような感覚だった。

自由、その大切さと厳しさ、彼の音楽と人生を通して深く考えさせられる。 

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 音源、映像は本人の意思とは無関係に今後もリリースされ続ける事と思う。 しかし若い世代が自然とそれらに耳を傾けるかというと、少し疑問を持つ。 昔からPrinceの名前を知っている世代でさえ、いまだにイロモノ扱いの人もいるのだから。自分がPrinceの曲をカバーするにあたり、沢山のカバーバージョンを聴いた。 様々な国の人、様々なジャンルの人、当然様々なバージョンが生れたが、どれもPrinceへの愛が溢れている。より多くの人へPrinceの楽曲を紹介するには、沢山の人、そして若いアーティスト達がカバーし続けてくれれば良いなと思う。 最初はイロモノ扱いでも、曲を深く知ればPrince愛は勝手に湧き出てくるものなのだから。 

 

(写真・回答  Veronica Vaughan)