プリンス 7 つの質問 06 エスむら

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1.あなた自身を紹介してください。

 

 こんにちは。この度は素晴らしいお声がけ感謝しております。まずは自己紹介ですね。ネット上ではエスむらと名乗らせていただいています。国籍は日本。ライティングやWeb制作に関わるお仕事をしています。10代のころよりプリンスの魅力にとりつかれ現在に至っております。若いころはプリンスのコピーユニットを組み、よく分かりもしないまま打ち込みと生音で恐れ多くもプリンスにアプローチしていました。若さだなあ、お恥ずかしい。

 高校からはプリンスのお導きで芸術系大学へと進学しましたが、当時プリンスが肌身離さず付けていた「十字架のネックレス」とほぼ同じサイズ同じデザインのものを探してお守りとし、ポケットに入れて受験に挑みました。今だったら「シンボルマーク」を握ってるところなんでしょうね。

 大学に入ってからもプリンスファムとしては引き続き天国でした。なにせアートスクール。プリンスへの理解力はひときわ高い。DJなどが在籍(?)するFMサークルに入り、そこで様々な方面の音楽への造詣が深い先輩方の知識と経験の洗礼を受けました。プリンスは主軸の王として私の中で君臨しておりましたが、同時にネオアコースティックやニューウェーブ、アノラック、UK、USの「へっろへろのへなちょこインディーズギターポップロック」や、「ゴリゴリのパンクノイズテクノ」などを好んで聴いており、クラブへ行ってはへろへろと踊っているような大学生でした。まあ綺麗なイギリス人男子が好きだったんですね。高カロリーなゴージャススペシャルフルコースみたいなプリンスミュージックと、まるで対極のさらさらお茶漬けみたいな音楽を聴き、ビジュアルも正反対なものを同時摂取して心のバランスをとっていたんでしょうか。もともとの嗜好性がどこにあるのかもはやわかりませんが強引ゴリ押しのプリンスに押し切られ寄り切られ身も心も降参してしまいました。降参せざるを得ないです。あの魅力と才能には。

 その後仕事とは全く別物で、個人のプリンスファンブログ「Something in the water」を2012年より開設。プリンスへの溢れる愛をただただ無駄に垂れ流しております。またライフワークでプリンスの音の構造を紐解く作業をあらゆる楽器から解体分解アプローチ。まあいずれも趣味です。趣味だけれども本気。「プリンス」は私という人間の基本。人生をかけたライフワークとしているので、ある意味「生活」より命がけ。もうこうなったら言いきれます。

 

2.あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 あれは遡ること30年ほど前。クラシックや古いジャズや映画音楽、ミュージカル音楽などで育った外界を知らぬ若いエスむらはWham!に一時的に罹患。今でこそ大阪のオタクの聖地となっている当時電気の街「日本橋」へ父親と出向き小さなレコード屋でカセットテープを買った思い出。カセットについてきたオマケの下敷きが嬉しかったもんです。その後正式にプリンスに罹患するまでの短い期間、ジョージマイケルとアンドリューリッジリーに下地をならしてもらっていたのかなと今では思います。

 そしてついに運命の時が高校時代のエスむらに訪れます。それはプリンスとの現在まで続く長い蜜月時代のはじまりでした。人からもらったでっかいラジカセでいろんなラジオ番組を聞くのが好きだった当時の私は彼に突然遭遇するのです。当時やたらめったら流行っていたのは「Batdance」でした。プリンスのBatdanceがチャートをにぎわしていた頃、比較的どの番組でもこの曲を耳にする機会がありました。そのやたらめったら世間でかかっていた流行歌の「Batdance」の音楽としての異常さに雷に打たれるような衝撃を受けました。

 

「ヤベー」でした!あれは相当ヤバい音楽でした。

 

「なんじゃこりゃー???」です。

  あんなにポップでアバンギャルド(何か昔聞いたような言い方)な音楽がみんなが普通に聴けるラジオから流れてくるとはなんとも異常で素敵なこと。これがあのプリンスなのか…。そう、なぜ「これがあのプリンス」と感慨深かったのか。当時の私の友達はマイケル・ジャクソンファンやデヴィッド・ボウイのファンやドラム担当の軽音部やら、なかなかに音楽的に恵まれた環境でありました。そんな中にいて、「プリンス」と言う人のビジュアルや置かれているスタンスを必要以上にエスむらに叩き込む学友。それは今考えると超英才教育だったのかも。プリンスにどうしても惹かれていく私に友人はプリンスの情報を毎日濃厚(牛乳)に注入していってくれたのです。

 彼らは愛を持って「プリちゃん」とか「殿下」などのニックネームで呼びプリンスや私にちょっかいをかけてくれていたけれど、エスむらはどうもその愛称が使えなかったなあ。今でもあんまり使えない。プリンスはプリンスだしなあ。この中にデヴィッド・ボウイやUKミュージックに造詣の深い友達がいて、彼女のプリンス観などはとてもとても深かった。エスむらの薄く浅いプリンス観が申し訳ないくらいプリンスをディープに捉え語ってくれて、「ああ~プリンスってやっぱすごいんだなあー」と彼女を通してプリンスの偉大さや深さを再確認するという状態でした。

 大学に進学すると、範囲の狭い電波を飛ばして番組を流すという小さな小さな地域FMサークルに所属します。エスむらは番組をふたつ持たせてもらい、青春時代ひたひたに浸っていたUK、US音楽(かなりインディーズのもの)をひたすら流す番組と、プリンスオンリーの番組を持たせてもらいました。プリンスの番組ではオープニング曲もエンディング曲もプリンス、ジングルもプリンス、もちろん話す内容もメインでかける曲もプリンスです。なんとくどい番組でしょうか。ここには素晴らしく複雑で面白おかしい先輩方が周りに沢山いて、彼らはプリンスやプリンス以外のことを沢山教えてくれました。クラブに連れていってくれたり、レカストー(編注:レコードストアのこと。プリンス支持者はレカストーと呼ぶ)に連れて行ってレコードの掘り方を実践で教えてくれたり、アルバムやアーティストの話をしょうもない事を交えながらいろいろしてくれました。音楽的プリンス的環境に関してとても恵まれていたんだなあ。幅広くフラット&ニュートラルな文化観や音楽観を持たせてくれた家庭環境や学生時代の先輩学友のおかげで、プリンスに対して先入観も思い込みも嫌悪感もなく向き合うことができたため、プリンスの音楽性の深さと凄さにただただ驚くことが出来るというラッキーパターン導入だったのです。

 学生時代の当時の自分に教えてやりたい。あなたは十数年後、こんなところにいるのよ…と。あなたがプリンスや音楽に抱いていた損も得もない純粋な「愛」だけの世界は、ここにつながるのよ、と。

 

3.あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 いろいろあります。困るくらい。海外で見たライブもコピーユニットも、ファムの集い(笑)もそりゃどれもこれも濃厚です。一番なんて決められないから順不同でいうと、国内のものはひとまず置いておいて、ロンドンとノルウェーオスロでの海外でのプリンスライブ体験でしょうか。そのうちのロンドン公演が「海外のアリーナ初体験」でした。ロンドンのウェンブリーアリーナという莫大な大きさのアリーナでプリンスを見られるというラッキーエクスペリエンスは、先のデヴィッド・ボウイファンの友達のおかげでした。

 彼女は丁度この時期イギリスに長期留学しており、私は彼女の住んでいるフラットに間借りする形で数カ月エセ短期留学をさせてもらっていたのです。エスむらが日本の家とイギリスのフラット(間借り)を行ったり来たりしている最中、プリンスがACT2ヨーロッパツアーを開始することになったのです。これは!友達が留学している間にいかなければならない!チケットは彼女にとってもらいました(笑)ライブの様子などは写真では撮れない、ならスケッチブックを持っていこう。毎日持ち歩いていたスケッチブックに記憶出来得る限りのプリンスのライブのモーメントを記録するんだ。ライブ後は灰になるのは分かっているんだ。その時得た感動と情報をもれなくつぶさにこのスケッチブックに書き残すのだ…。そう思いリュックにスケッチブックを突っ込んでいざ当日友達とウェンブリーに向かうのでした。

 ロンドン市内からちょっと遠めのウェンブリーアリーナへ向かう電車の中はプリンスのTシャツ着ている沢山の人が。あなたも、あなたも、そこのプリンスTシャツのあなたもライブに行くのね。高鳴る胸をおさえてニヤつく頬をひくつかせ、到着したかの地に降り立つとこれまた物凄い人が。これ全部プリンスのライブ見に来た人なのか!交通整理、人員整理などで活躍していたのが馬に乗った警官だったってのがとてもイギリス感満載で感動しました。もうこうなりゃなんだって感動する境地だったのですけども。

 さてしばらく並んだ後、いよいよウェンブリーのゲートが開きます。この時のオーディエンスはエスむらたち含め、ダービーの馬の気分。ゲートが開くと同時に私達は走り出しました。状況も分からんまま前方へ行かねばという思い込みだけでイギリス人と突進。思ったよりアリーナ前方に行けたのか?ぎゅうぎゅうです。イギリスはアメリカに比べると背丈など小ぶり。とはいえ日本人のちびっこ二人には相当な壁です。背丈が、前方の背中が、四方の圧がすごい。友人は私より小さかったため前方の長身のイギリス男子に視界を阻まれておりました。

 しかし。プリンス(いや彼に変装したダンサーのマイテだが)は上空から登場するし、プリンス本人は舞台後方からトコトコ出てくるし、大きなスクリーンもあるし、アリーナは流動的だったので立ち位置はどんどん変容していくのでいくらでも見えるのです、プリンスが。観客の楽しみ方も日本とは違います。日本の消防法なんてどこ吹く風の生ライター頭上フリフリや肩車、アルコールを摂取しながらのキス&ハグ。プリンスもものすごく喋ってくれるし。自由だった。

 ロンドンのウェンブリーに引き続きノルウェーにもムーミンじゃなくプリンスにまたも会いにいきました。チケットもないのに(ソールドアウト)ダフ屋からでもなんとしてでも買ってやるという無茶な気持ちで挑んだ突撃プロジェクト。ダフ屋で買う=ある程度はぼったくり覚悟、でしたがそこは関西人。いくらか値切って(もちろん関西弁で)チケットを手にし風邪っぴきの友達をホテルに残し(ひどい)ひとり会場に入り込んだのです。

 ノルウェーは金髪長身碧眼の地、少数派の黒髪黄色人種のアジア人が一人大きなスタジアムに乗り込んでプリンスでノリノリなのが目立ったのでしょうか、すごく周囲から見られました。「あらあの子、東洋人よ。しかも一人でプリンスライブに来てるわ」とこっちを見ているノルウェー女子に図太いポジティヴィティを発動して踊りながらニッコーとほほ笑むと、向こうもニッコーとほほ笑み返してくれたんだ。これぞプリンス的世界。すごく感動したね。そこはアウェイではなかった、プリンスを愛する人たちが集う場所。いい思い出です。

 社会人になってもご迷惑にも「プリンス・スペシャル・ミックスCD」を作っては友達に押し付けるという嫌がらせをしたり、ご迷惑にもプリンスの絵を描いてご紹介エッセイ&レビューなどを作っては押し付けるという、時間とヒマがたっぷりあったからこその暴挙を繰り返しておりました。みんな優しかったなあ。受け入れてくれたどころか面白がって付き合ってくれたもんなああ。毎日プリンスをダシに笑い転げてプリンスってスゲースゲー!って大盛り上がりしていたそんな素敵な青春時代。ありがとうプリンス、ありがとう友達。

 時系列が前後しますが、高校時代例の友人を半ば強引に引き連れて初めて生プリンス体験をした1990年のNudeTour in 甲子園球場スペシャルな思い出のひとつです。半ば強引に、というのも学生にとっては相当高額な外タレのコンサートチケットを「ほれ!取れ!見れ!」と迫っていたのですからね。でもみんなプリンスに興味を持ってくれていたのかちゃんとチケットを買って一緒に行ってくれました。

 行きの道中はいつも通りプリンスをおちょくりながらキャッキャ言っていた彼らも、コンサートが終わり茫然自失の帰り道では「…プリンス凄い。凄かった。エスむらいつもいつもプリンスをおちょくってゴメンよ」的なことをしんみり言ってくれたんだよな、確か(記憶による美しい改ざん?)。プリンスは愛されていた。

 それからプリンス体験として強烈なのはやはり国内で人知れず盛り上がっていたプリンスファンの集い。プリンスファンクラブやプリンスパーティーなどですね。ここで私は自分史上とても大事な人たちと一杯出会いました。誰かが誰かの橋渡しになりつながりが生まれる。知らなかった世界が広がり新しい体験をする。そんな得難い経験をさせてもらいました。プリンスコピーユニットもここが発祥です。素敵な青春の体験と記憶がここにはあります。感謝しています。

  そして最近生まれたプリンスの旅立ちに伴って生まれた新しい出会いと絆。ブログをやっていたため全国に新しい出会いと絆はありましたが、それはプリンスに興味のある人やプリンスファンだったりが大多数です。しかし2016年4月 21日以降、全く交わらないであろうジャンルやエリアの方たちと出会うことになります。プリンスが旅立って間もない数か月後の9月に、フィギュアスケーター羽生結弦選手がショートプログラムでプリンスの「Let’s Go Crazy」を演じたのです。そこで得た体験、体感。それらはプリンスがいなくなってこの身に巨大な穴の空いたようなエスむらを優しく温かく癒してくれました。上質な感動がありました。ブログ内でも「羽生結弦カテゴリー」を作ったほどです。ここはこれからも常に更新されていく予感がします。

  そこで生まれた新しい絆はエスむらにとって本当にかけがえのないものとなっています。羽生選手から受けとる優しさと感動と感謝。羽生選手のファンの方から受けとる優しさと感動と感謝。今も続くこのリレイションシップをより強く美しく育てていきたいという思いがあります。もちろん強引な思い込みもゴリ押しもせずに。

 実はもうひとつ、これが本当の「いちばんのスペシャル体験」というものがあるのですが、それは私の心の中の宝箱に秘めておきます。この体験をエスむらにさせてくれた方には永遠の感謝を送ります。ありがとうございます。死ぬまで大事な宝物です。

 

4あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか?

 

 これまた酷な質問を。プリンスの曲ナンボほどあると思ってるんですか。まあそれでもソレを頑張ってひり出し語り読むという楽しみ、それがこの質問の趣旨ですもんね。多分いずれかはどなたかと被るであろう超名曲。奇をてらえばいくらでも奇をてらえる楽曲が多数あるプリンスカタログの中からでも恐らくベタな選曲となっていることでしょう。でもいいのです。それでいいのです。私の人生を彩る素晴らしいプリンス楽曲のうちの一曲なのですから(前置きが長い)。

 

【The Ballad of Dorothy Parker】

順不同ですが「ドロシーパーカー」これは外せません。ポップス史上外せないと思っています。外したら怒ります(私が私に)。あの進行なき進行、ありえないコード感、ヘンテコなものばかりで構成されているはずのこの楽曲が超絶スタンダードに仕上がっている奇跡。歌詞もまたシックで良いのです。この楽曲は少年から青年、青年から大人の男に成熟して極めていく過程の、何度かある頂点の一部なような気がします。くぐもった音の秘密も近年明かされましたが、だからと言ってあの曲の「奇妙さ」は解消されるわけではありませんでした。白昼夢を見ているような気分になりますね。いつ何度聴いても毎回「おかしな」感覚に陥る楽曲。

 

【Adore】

これは私が天国に訪れる際の出囃子と決めているので外せません。これがないとエスむらはあの世に行けないからなのですね。もし誰もこの曲を私の忌の際に用意していない、用意し損ねていたとしたら脳内自動再生BGMとして勝手に自分内で鳴り響かせるつもりです。聴き込めば聴き込むほど彼が隠したガラス玉がキラキラあふれて出てくるのです。なんだこの音。なんでこんな音量で入れているんだ。この音ここで一回きり!?そういった贅沢すぎる仕込み具合。見つけた後でも遭遇するたび何度だって心がワクワクする、本当に素晴らしい楽曲です。

 

ただ長い長い曲なので一番聴きたい最後のこのセンテンス

Be with me darlin' til the end of all time

I'll give you my heart

I'll give you my mind

I'll give you my body

I'll give you my time

For all time I am with you

(最期の最後まで、僕と共にいてほしい

僕の心を、マインドを、カラダを、時間を君に捧げる。

どんな時も僕はあなたと共にいる)

 

 ここまで息がもつかどうか私の気力と努力の致すところでございます。ここに辿り着くと、生きている今現在にでさえ疑似昇天してしまうほどです。この曲は天国、神、極地。しかも綺麗なだけではなく彼らしいひねりも優しいユーモアも十分感じられます。こんな粋な曲であちらの世界に行きたいなあ。

 

【Black Muse

 迷いに迷って、でもあまり迷わず「Black Muse」です。迷いに迷って、というのは莫大なプリンスのカタログを一から手繰っていけばそりゃ迷うよな、ってことで、それをしないであまり迷わず感覚的に選んだらこれになった、という言い訳です。これは比較的新しい、というか最新、そして最後のプリンスのアルバムからの一曲です。私の中では「Art Official Age」「Phase One」「Phase Two」はもう一緒くたに「最後のアルバム」ひとくくりになっており、その最後シリーズはどれを選んでも名作名曲、珠玉ぞろい。素晴らし過ぎてどれか一曲なんて無理難題。「Art Official Cage」もいい、心が引き裂かれそうな「June」もいい「Groovy Potential」の瑞々しさも「Look At Me,Look At U」の洗練と成熟も…。そんな中でもこの「Black Muse」は外せないのです。

 彼の行きついた芳醇な音楽世界。衝撃で揺さぶられ涙が出ました。豊かで輝かしく優しくキラキラとまぶしい。この広く柔らかい赦しのような優しさはなんでしょう。この胸を締め付けられるような切なさはなんなのでしょう?

 「Black Muse」はここからプリンスの先の世界があったのだと想像できる音楽なのです。彼には先の世界は見えていた、ビジョンは開いていたのだと感じる、だから私には辛く切なく優しく響くのです。この先の世界が見たかったよ、プリンス。

 

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5.素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

 正直90年代までの彼がおすすめするミュージシャンは信じられなかった(笑)。実力もあったのだろうし可能性もあったのでしょう。プリンスの趣味が見え見えでそこも可愛いっちゃ可愛いのですが、あまりに彼の趣味が過ぎて正直信用ならんかったのです(笑)。

 ところが彼がアフロになりだしてからの嗜好性はとても信用できるものに感じられました。なんでだろう?邪念が消えたのか?アンディ・アローもジュディス・ヒルもキャンディス・スプリングもキングも本当に信用できた。良かった。アンディ・アローの「People Pleaser」のMVのカッコよさたるや!

 

ついにプリンス、自分の本当のカッコよさをストレートに開放するようになったのか!と思ったものです。またこの時期のプロジェクト3rdeyegirlの与えてくれるドキドキわくわくスリル感はたまらなかった。プリンスの真実を見通すサードアイへの信頼は私の中で更に一気に高まったのです。

 その中でまあ誰か一人絞ってくれよと言われればリアン・ラ・ハヴァスでしょうか。彼女はエスむらのもともと持っている嗜好性ともマッチしまくって、こんな素敵なアーティストを紹介してくれたプリンスに大感謝をしたものです。「プリンス!すごいよ!ありがとう!」と。 

  大体エスむらは青春時代プリンスと並行して英国音楽、米国音楽を好んで聴いていたので、リアンの暗めな空気感がなんとなく肌に合いました。ロンドンの曇天のようなくぐもったスモーキーで湿り気のある温かな歌声やビジュアルも好みだった。この内向きな湿度とウォーミーさはプリンスの楽曲とものすごく合うような気がします。上手いし。

 

6:プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

 そりゃあ色んなことを教わりました。男とは女とは、人間とは。愛とは生きるとは。覚悟とか格好よく生きるという姿勢もプリンスから見せてもらいました。やり続ける意志と行動力とかも。

 でもそうだな、「最も重要」とは違うかもしれませんが、プリンスが見せてくれ教えてくれた大事なことは「多様性」。これですかね。世界を多角的に見るってこと。一極や白黒善悪の二極で判断したらもったいないよ。間違っちゃうかもよ、っていうスタンスを彼から教わりました。起こる事象を一面一方向からばかりでなく、あらゆる角度から見てアプローチして感じるということ。思い込まずニュートラルに物事をとらえる。そうすると世界は多様性にあふれているんだと知ることになります。この見方が出来たとき「人種」「性別」「国籍」あらゆる壁は溶けてなくなるのかも。究極の「赦し」の境地かもしれません。

 このプリンスの見せてくれた「多角的なものの見方」「世界の多様性」って即分かったことじゃありません。何年も何十年もプリンスを聴き続けてプリンスにその見方を見せてもらってじわじわ知ることになりました。それこそ何十年もかけて彼は私達に教えてくれたんだと思っています。何十年もかけ、繰り返し繰り返し伝えないとみんなには本当の意味が伝わらないと彼は分かっていたから。あらゆる大事なことを、何事も同じようにプリンスは語り続け歌い続けてくれたんじゃないでしょうか。

 

7:次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 プリンスという文化はこちらが押し付けて教えるものではないと思っています。押し付けたところで押し付けられた人は拒絶してしまいます。勧められ素直に従って疑問も引っかかりも感じないままプリンスの世界に入ろうと思う者をプリンスは弾き飛ばします。いまブログを何年かやっていますが、ここでも「来て来て!読んで読んで!」というスタンスはあまり持たないようにしているつもりです。ここは本当にデータ的なものもなくただただ感覚的なことをだらだらつぶやいているだけの場です。それも同んなじことを繰り返し繰り返し。なぜ同じことばかり繰り返すのか?自身の確認と咀嚼。一回もしくはたったの数回では感情と理解の消化は無理だからだよ!っていうのと、人は一度きりでは興味の無いものに自発的に興味も持たないし、記憶にも残してはくれないから。

 私は彼の世界の入り口まで導くことしかできない。逆に言えば、ほんの少しプリンスに興味を感じた人を入り口まで導くことはできる。プリンスに引き寄せられ抗うことができなくなってしまった人がプリンスのことを更に知りたくなったとき、ちょっとした入口や取っ掛かりとなるような場。「ふうん」と何気なく読み進められるような場、優しく誘導しご紹介し楽しくお招きし、更にプリンスの魅力と引力に「?!?!」となってもらう。ブログはそんな場になってほしいと思っています。お茶でも出しますよ。

 そしてもうひとつずっと心の中に持っている夢。プリンスの楽曲を構成するものを解体分解し、自分のできる範囲内で目の前に広げ、この音の重なりはこうだとかこの進行はこういうもので出来上がっているだとか、小さな発見を実際の音を使ってみんなと分かち合い驚き合い喜び合いたいのです。

 プリンスの楽曲を構築しているものを本格分解するには音楽的な体力知力気力がいります。私にはそれほどの大きな力はないですが、ツンツンと突いてポロリと落ちたキラキラ光る宝石のひとかけらを手にし、みんなと「うわぁ…」と言って眺めたい、そういった夢があります。何年かかるかわからないけれどいつか実現したらいいなあ。

  こうやってプリンスについての7つの質問をいただいた以上、答えを言葉にし形にしなければなりません。それらしい答えを探し自分でも納得のいく言葉を紡ごうとする。こういった機会もプリンスがこの世界から姿を消したからなのかと思うと多くの混乱と葛藤もあり悲しくなります。でも「プリンスについて考え、語り、伝える」ということはプリンスがこの世にいようがいまいが関係なくやっていくべきことなのでしょう。彼のレジェンドを伝えつなげるという行為は私達にとって使命のような気もします。ここでの言葉に嘘はありません。素晴らしい機会をいただいたと本当に思っています。

 何回ライブを見たとかいつからのファンだとかこんな特別な体験をしたとか。そういった比較から生まれる上下関係や感情なんてものが、もっともプリンスファムのスタンスとしてはかけ離れた感性だと思っています。どこでもだれでもいつでもプリンスの世界に入っていけるのです。

 

プリンスが見せてくれた世界は私の人生を確実に動かしました。

そんな人がきっと世界には沢山いるのでしょう。

この世界をもっと広く豊かに広げたい。

Next Generation. Another world.

 

 次世代へ。そして他の世界へ。「プリンス」が広がっていけばいいなと思っています。自身のブログも揺れる気持ちや迷いや確信を行ったり来たりしながら運営しています。これからも長い人生をかけて「プリンス」をライフワークとしていく所存ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

Something In The Water

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