プリンス 7 つの質問 03 時田 幸成

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1. あなた自身を紹介してください。

 この様な機会に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。時田 幸成と申します。千葉県在住で、東京でハイヤー運転の仕事をしています。年に数回ですが、プリンスのコピーバンドを息子と職場の仲間とやっています。

 

2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 私が14歳くらいの頃(1983~)、日本ではアメリカやイギリスの音楽が大流行でした。ある日、大好きな音楽ランキングのテレビを観ていたら、とても気持ち悪い音色の音楽が聴こえてきました。それは【プリンス】というミュージシャンの【デリリアス】という曲でした。テレビでは彼が彼のお尻を半分出して寝そべっている写真も映し出されました。『嫌だ!気持ち悪い!』と思い、僕は絶対にこの【プリンス】という人には関わらないようにしようと決めました。

 当時、マイケルジャクソンやデュランデュラン、デビッドボウイを好んで聴いていた私にとって、 プリンスは完全に異質なものでした。当時、日本では女の子が特に、プリンスの外見を見て『気持ち悪い』と思いました。卑猥な曲に注目が集まったため、尚更彼が敬遠された事実があります。それはとても長い期間続きました。現在では気持ち悪いイメージは薄れましたが、80年代に10代だった人達にはプリンスは、かなり刺激的な存在だったのです。

 しばらくして、私の親友が1本のカセットテープをくれました。『パープルレイン』というアルバムでした。『え!プリンス…俺、 プリンスは気持ち悪くてダメなんだよね』と彼に伝えると、彼は『聴いてみなよ』と言ってニヤリと笑いました。自宅に帰り、もらったカセットテープを聴き始めました。なんだかもう、中毒になりそうな衝撃が身体中を貫きました。体内からプリンスが湧いて来るイメージです。まるでバスタブから這い出てくる【When Doves Cry】のPVのように。私のプリンスfamの経歴はここからスタートしたのです。

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 それは合計6回体験したライブです。初体験は1986年 9月9日【Parade tour】の最終日。プリンスの初来日公演です!その日は曇っていました。午後の授業をサボって、僕は同じクラスでプリンスのカバーバンドを組んでいたメンバーと一緒に横浜スタジアムへ行きました。会場に着くと雨が降ったり止んだりだったような気がします。僕たちの席はアリーナの真ん中付近だったと思います。いくつかの座席には、私達の席には無かったペイズリー柄のタンバリンが備え付けられていました。タンバリンを持っている観客を私達は羨ましく見ていました。

 オープニングアクトは、前年にも来日したシーラ E.でした‼︎彼女は【Love On A Blue Train】を最初に演奏しました。この曲は、当時日本企業のコマーシャルとして使われた曲です。彼女の演奏は最後の【The Glamorous Life】まで私達に興奮を与えてくれました。

 シーラの舞台が終わり、プリンス&ザ•レボリューションの登場まで、会場には【Around The World In A Day】を彷彿とさせる曲が流れていました。その曲が段々と大きな音になり【Around The World In A Day】のイントロに繋がりました!『Open Your Heart…♪』ついにPrinceの歌声を生で初めて聴けました!ステージには大きな黒いカーテンが張られていました。なので、しばらくは彼の歌声だけしか聴こえなかったのです。ですが『Say papa, I think I wanna dance‼︎』の合図で大きな黒いカーテンが外れて、プリンスの勇姿を生で初めて観ることができました‼︎

 さらに驚いたことはプリンスが日本語を喋ってくれた事です。【Do Me Baby】の時は『もっと?』とか『本当に?』とか。ピアノで【Under The Cherry Moon】を弾きながら『どうもありがとう』と言ってくれたり…後にも先にも彼の日本語発言は初来日の時だけだったのかもしれません。ロングスケールだった【♡OR$】では、プリンスがザ•レボリューションをコントロールする光景に惚れ惚れしました♡ 映画で弾いていたマッドキャットで、プリンスはファンキーなギタープレイを魅せてくれました。本当にカッコよかった。本編の最後は【1999】。プリンスが『さよなら!』って叫んでくれました。アンコールでウェンディ&リサとプリンスが【Sometime It Snows In April】を演奏しました。

 プリンスはグレイのロングコートを着ていました。歌い終えたプリンスが『ウェンディ&リサ』と言って紹介しました。しばらくするとウェンディが前奏を弾き始めました。『I never meant to cause you any sorrow…』空からは本当に【Purple Rain】が静かに降っていました。プリンスは映画で弾いていた白いクラウドでソロを弾きまくっていましたが、まるで狂ったかのようにギターをステージ上に数回叩き落としていました。曲の最後には彼はギターを手にしていませんでした。その夜の彼は鬼気迫るものがありました。彼は彼の感情、思い、エネルギーを全部放出したかのようでした。

 帰りの電車の中で僕は放心状態でした。とにかく時間を忘れて、あっという間なのか、凄く長いものだったのか、感覚がおかしくなるほどでした。残ったものは心地良い疲労感とじわじわ込み上げる感動でした。そして後日、これがザ•レボリューションのラストコンサートだったと知るのです。

 2回目と3回目の体験は、プリンス2度目の来日1989年2月4日・5日に東京ドームで行われた【Lovesexy Tour】です。事前に西ドイツのライブをテレビで観ていたので、円形ステージに物凄く期待をしていたのですが、円形ステージはドームのセンターではなく外野席側に設置されていたので、本来の円形ステージの意味を成してないなぁと感じました。プリンスがサンダーバードから降りて来て『Snare drum pounds on the 2 and 4‼︎All the party people get on the floor‼︎Bass‼︎』の後に始まったのは【Housequake】でした。実は【Erotic City】を楽しみにしていたので、両日ともやらなかったのが少し残念でした。それと【Dirty Mind】が【U Got The Look】に代わっていたり【A Love Bizarre】【Girls & Boys】等をプレイしてくれたり、プリンスは日本のファンが好むような選曲をしてくれているのだと思いました。(でも【I Wanna Be Your Lover】は聴きたかったなぁ…。)それから、2日目の【When You Were Mine】の前に誰かにバースデーソングを歌っていたので、ステージを一緒に観ていたパープルレインのカセットテープを僕にくれた親友と共に『Who〜〜?』と叫んでしまいました。

 後半は【👁‍🗨NO】から始まりました。【Lovesexy】【Glam Slam】【The Cross】への構成は見事でした‼︎最高でした‼︎【The Cross】での彼のギタープレイにはとても興奮しました‼︎そしてこのツアーのドラムがシーラ E.だった事‼︎凄く新鮮でパワフルで、シーラの実力を思い知りました。【Alphabet st.】は初日のラストソングでしたが、2日目はやらず【1999】で終了しました。また、プリンスのピアノ弾き語りは初日はやらず、2日目はやってくれました。このピアノ演奏には凄くエキサイトしました‼︎時にユーモラスに、そして優雅にプレイするプリンス。心の底から感動しました。カッコよかった‼︎このツアーのメイン衣装はドット柄で、腕や脚の部分に書かれていた【ミネアポリスサウンド】や【プリンス】を日本語のカタカナで表記していました。他の衣装では漢字も使用されていました。例えば…王子等です。ですが、どう見てもかっこいいとは言えないのです。少しダサい感覚があったりするのですが、それがとても可愛らしく、プリンスが日本を大切に思ってくれていた証だったんだと今思えるのです。

 4回目、5回目、6回目の体験は【Nude Tour】でした。彼の3度目の来日公演でした。

1990年8月30日・31日は東京ドームで公演があり、9月10日には横浜スタジアムで公演がありました。初日、ステージは定刻に始まりませんでした。でもそれには理由がありました。彼はその日の飛行機で成田空港に到着したからです。彼はそのまま東京ドームに直行して、リハーサル無しでパフォーマンスしたのです‼(この事は、翌日の新聞を読んで知りました。)でも完璧なステージでした!彼のパフォーマンスには隙がありませんでした!私が体験したヌードツアーの印象はスピード感です。たしかに公演時間も短いのですが、パフォーマンスが更に研ぎ澄まされて、余計に速く感じたのです。

 Datイントロから始まるオープン二ングに身震いし、プリンスが漆黒の中歌い続ける【The Future】には説得力がありました。【Gameboyz】とのコンビネーションも最高です!【1999】への神業的繋ぎ‼︎メロディアスなメロディから心臓に響くバスドラムで【Housequake】になりました!まるで、ノンストップアクション映画を観ているようでした‼︎【Kiss】の演奏が終わり、プリンスがモデルCで007のジェームズボンドのテーマを弾いた後に【Purple Rain】が始まりました。そして『Purple Rain…Purple Rain』の時にプリンスが私達に向かって両手を広げてくれました。まるで『さあ、歌え!』と私達に言ってくれたようでした‼︎初めてオーディエンスに歌わせてくれたのではないかと思います。この時は本当に嬉しかったです‼︎

 2日目の中盤にはブルーのクラウドで【Bambi】を演奏してくれました‼︎まさかこの曲を演奏してくれるとは思いませんでした。この曲のエンディングになだれ込むギターリフは今も練習しています。【The Question Of U】のPVは東京ドーム公演2日目のものですよね。ギタリストとしてこの公演のこの2曲に於けるギタープレイにとても影響を受けました。

 彼らが初日に演奏した【Nothing Compares 2 U】は2日目以降【Little Red Corvette】に代わり、その後の日本公演では演奏しませんでした。今ではこんなに大好きな【Nothing Compares 2 U】。故アレサフランクリンもカバーしたこの曲も、当時は皆歌えなかったんだと思います。プリンスがそれを感じて、みんなが歌える曲に代えたのだと思います。アレサといえば、彼女の曲である【Ain't No Way】と【Respect】が【Nude tour】では演奏されました。ロージーがとても可愛いかったです。飛び跳ねて歌ってとてもパワフルでした。ワールドツアー最終日となった横浜スタジアム公演は追加公演という位置付けでした。この日【Thieves In The Temple】を世界で初めてステージで披露してくれました。後にこの日がDr.フィンクの最後だった事を知りました。彼のキーボードソロがフューチャーされて【Gameboyz】が凄まじいダンスを披露してくれました。

 ちなみに、初来日の時にプリンスはここで『TOKYO!』と叫んでましたが、この日彼は『YOKOHAMA!』と叫んでいました。そして彼は『4年前、覚えてる?』とも僕たちに聞いてくれたんです。もちろん皆んなで『Yes!』って応えました。覚えている範囲ですが、以上が僕の生プリンスエクスペリエンスです。もちろん今も皆さんと共に体験している途中です。

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? なぜあなたはそれらの特定の曲を選んだのですか?

 

1.レッツ・ゴー・クレイジー

僕の1番好きな曲です‼︎僕のバンドでは主にreloadedバージョンで演奏します。とにかく大好きです‼︎ギターといいノリといい最高です!悲しいことですが、彼がエレベーターの中で亡くなったことはとても意味のあることなのではないかと思っています。『R we gonna let de-elevator Bring us down』この曲の歌詞と彼のスピリットを思うと、なんとも言えない気持ちになります。だからもし人生に行き詰まったら、人生の最上階を目指そうと思えるのです。

 

2.マニック・マンディ

単純に可愛い曲だから大好きです♡プリンスをあまり知らない日本人に、この曲がプリンスの作品だと教えると必ずビックリします。一般的にこの曲が一番親しみやすいのかもしれないですよね。可愛くて素敵なメロディ。何をおいてもイントロが凄く印象的で大好きです。

 

 

3.パープルレイン

数少ない僕のバンドのレパートリーの中で先述の【レッツゴークレイジー】と共に定番の曲です。僕はこの曲をとても愛しています。特に彼が2009年の'MONTREUX JAZZ FESTIVAL'のステージで演奏した【パープルレイン】が1番好きです。プリンスはこの曲を映画の主題歌からよくぞ見事に独立させて進化させて昇華をさせたなと思います!

 以前、私が尊敬する女性ドラマーのお店でこの曲を演奏した時に、その方が『聴いていたらなんだか凄く感動したよ。プリンスもきっと喜んでくれてるよ。』と言ってくれました。観に来てくれたMさんも『こんなパープルレインは初めてです!』と褒めていただけました。お2人の言葉をいただいて、ようやく人様に聴かせられるようになったと思えるようになりました。

 この曲に触れると、愛する人を心から大切にしたくなります。ギター弾きながら泣けてきます。(その約3ヶ月後、尊敬するママは永遠となりました。また、観に来てくれたMさんも先日永遠となりました。お2人に聴いてもらえた事は生涯の誇りです!ありがとうございます!)

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか? 

 

シーラ.Eです。僕は彼女がソロとして初来日した時にコンサートを観に行っています。それは1985年、会場は東京•中野サンプラザホールでした。光るスティックでプレイす【Glamorous life】は最高でした!アンコールで観客が大興奮した【Holy Rock】は忘れられません。そう言えばこの時に、日本の音楽番組でインタヴューを受けたシーラが『来年はプレゼントを持って再び日本に来ます』と答えていましたが、プレゼントの中身がプリンスの初来日だったんですよね♪

 数年前にシーラと彼女のお父さんのライブを息子と観に行きました。サイン会の時に僕が彼女に『僕たちも親子です。僕達は一緒にバンドを組んでいます。バンド名は【SOTT】 です』と伝えたら、彼女はびっくりして喜んでくれました☆僕はシーラの中からずっとプリンスを感じるのです。だから彼が旅立った事も、シーラを観ると落ち着くのです。

 僕が好きな他のアーティストは、ジェームズ・ブラウン、スライ、ジミ・ヘンドリックス等、プリンスに影響を与えたレジェンドアーティスト達です。僕にとって、プリンスは彼らと僕を結びつけてくれた恩人です。彼らの音楽を聴き、演奏する事で、プリンスに近づけるように感じます。私の息子は、プリンスを聴く事でジミ・ヘンドリックスが聴きやすくなったと語っています。

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

 プリンスの音楽そのものです。音楽は人々にとって最も重要な恩恵です。しかし、音楽には善と悪がある。高いか低いか、浅いか深いか、どれを選択するかによって、人生は大きく変わるのです。そうであるならばプリンスの音楽は最善であり最高であり、最も深いのです。

『Let's go crazy Let's get nuts Look for the purple banana 'Til they put us in the truck, let's go!』

『Life it ain't real funky Unless it's got that pop Dig it.』

『Don't kiss the beast. Be superior at least.』

『Hold on 2 your soul, we got a long way 2 go.Hold on 2 your soul…』

 精神にビシビシ突き刺さる彼のサウンドと声。当初、彼自身を鼓舞する為に作られていたのかもしれない彼の音楽は、彼の情熱となってファム1人1人の魂に届き、今日もこれからも、私達に生きて勝ち越える後押しをしてくれるのです。

  

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 私の夢は音楽の力で世界平和を実現することです。この思いはプリンスからいただいたものです。私はプリンスの音楽には世界平和を実現する力があると信じています。それは彼の作品や足跡を辿ればわかる事です。『PEACE IS MORE THAN THE ABSENCE OF WAR』そういう意味では、この【Baltimore】の一節が私の理念の全てに繋がるのです。この理念のもと、私は音楽活動をしています。私は彼の音楽を演奏することによって、これからも彼と対話をして、彼の魂を理解する努力を続けていきます。しかし彼を理解する為の基礎は、彼の音楽を聴くこと。彼の歌詞を考えること。彼のライブを観ること。そこから生じる情熱を、先ずは身近な恋人、子供達、親、友人達に感動を伝え、彼の音楽を聴いてもらうこと。要するに、これからも変わらずプリンスと接していく事に尽きます。これが私が考える次世代ファムにプリンスを紹介する最良の方法です。

 日本ではパーティや、彼や彼のルーツや彼と関わるミュージシャン等の音楽を深く考察するイベントや、彼についてのパネルディスカッション等、彼を知るための様々な催しが開催されていますが、これらはまだ一部のファンだけで開催されている現状です。僕達には次の【NPG】が必要なのですが、今は地道にゆっくりと、老若男女問わずにプリンスの音楽を伝えていくことが本当に大切です。

 もう一つは、もっとプリンスの曲を演奏する人やバンドが増えてほしいと願っています。プリンスの真似をしなくても良いのです。彼の真似などできないのですから。それが1人でも、彼のスピリットを伝える志さえあれば良いのです。歌う事が好きならば、思いのままに彼の歌を歌えば良い。ギターが好きなら感情のままに弾けば良い。そして50年後にはライブハウスで当たり前にパープル・レインをセッションする人たちがたくさんいるようにしたいのです。その先には絶対に世界平和があるはずです。

『IF THERE AIN'T NO JUSTICE THEN THERE AIN'T NO PEACE』→正義なくして平和なし。そこに到達した時に、僕はどんな表情をするんだろう?それが凄く楽しみです。