プリンス 7 つの質問  13 原 雅隆

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1.  あなた自身を紹介してください。

 

原 雅隆 日本で佐賀県出身です。職業は映像を撮って編集しています。趣味は本物に触れること、芸術、音楽、食べ物、人間に接して感性を磨くことです。

 

2.  あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 中学生の頃に福岡放送の深夜テレビで、洋楽の情報やプロモーションビデオをラジオ風に紹介する「ナイトジャック福岡」という音楽番組で「次は〜、〜発売のプリンスの新曲です」というMCに続いて流れた「ビートに抱かれて」(原題 When Doves Cry)を見てからです。ここからが始まりでして、まだ洋楽に知識も何にも偏見がないから、当時はたくさん聴くアーティストの1人、という感じでした。ちなみにパープル・レインをたまたま発売日にカセットで買ったのが最初のアルバムです。その時は、予約とか知らなかったので、予約特典のポスターが貰えなかったのでした。「予約したらポスターとか貰えるんだ!」って初めて知りました。以降は、洋楽新譜は必ず電話で予約するようになりました。

 

 

  同時期にVHSデッキにプロモーションビデオを録画したり、ラジオで録音したテープを聞いたり。その頃の楽しみの大半は洋楽でした。佐賀の田舎に住んでいたので、FMファンやFMステーション等の雑誌で情報を収集したりしてました。プリンスも年に新作を1枚出してくるので、プリンス摂取量も自然と増えていき、高校生になってDuran Duranの福岡でのLiveを体験して、「Liveの味」も知ることになりました。

 そしてついに高校卒業の年、『プリンスが福岡に来るらしい!行きたい!』でも、福岡といっても佐賀からは離れた北九州の戸畑(とばた)だし、戸畑って一体どこなんだ、って悩んでいたら・・・、ちょうど同級生のO君が車の免許を取得していてO君の親戚が戸畑だから遊びに行くと言ってたので、プリンスのLiveの日に合わせてもらって、無事に会場にたどり着くことができました。

 Lovesexy Tourの来日前にNHKBS放送でライヴが見られると知って、親に必死で頼んでBSチューナーとアンテナを買ってもらって、番組でしっかり予習してからのLiveでした。しかも、シーラEまで見られるし、ステージも大掛かりで、過去の曲もメドレーで演奏するからそれも楽しみで。もうすっかり暗くなった頃に、戸畑の北九州総合体育館に開演ギリギリに到着して、パンフ買って、在庫無くなってサイズ小さいT-シャツ買って、会場に入ると・・・。なんと、衛星放送で見た「円形ステージ」が、日本では真ん中ではなくて奥に寄せられていて「普通のステージ」になっていた!!!

 ライヴで思い出すのは、最初らへんに、プリンスが「今日のオーディエンスは・・・」とか言って、客席に向かって「右側は?」、「左側は?」、そして「真ん中は?」とスポット的に照明を僕ら客席に当てたのが、めちゃくちゃ興奮しました。スポットライトとかって、テレビの中の人が浴びるものですからね。初めてのプリンスのLive体験で、しかもショー的な要素満載で超興奮。それから僕とプリンスはプリンスが創作活動をすればするほど、一緒に育ってきたような気がします。彼は「絶対に興味を無くさせない人」だったから、自然と好きになってました。

 

3.  あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 もう英語でコミュニケーションも少しは大丈夫だし、いい歳だし海外でも行ってみるか!!!!ってことで、2002年ミネアポリスのペイズリーパークでの「セレブレーションの一週間」に参加しました。あのプリンスのペイズリーパークに行く。それは僕にとって初の海外旅行で天国と地獄に飛び込むような心境でした。想い出は書ききれないくらい、いろいろとありますけど・・・。

 

 

なんと2日目、ペイズリーパークのエアコンが故障、ゲストがシーラEの日。 プリンスのLive始まって、1回中断、猛暑の中で、みんないったんスタジオの駐車場に移動。ちょっと待たされで演奏再開して・・・それでもやっぱり空調も不調で。

 そこでプリンスが「みんなごめん。映画を見に行こう。トム・クルーズのマイノリティリポートを。」その一言で、世界中から集まった全員のファムがそれそれ映画館に移動。プリンスが映画館を貸し切って、代金も全てプリンスのおごり。「へぇぇぇぇ!映画、タダで見られるんだぁ!」と思いながら、お腹がすいた僕は館内のポップコーン売り場に行ったら・・・プリンスが。

「あれっ!?」

「ちょっと、プリンスかも??」

と思ってもう一回見直すと

「やっぱプリンスじゃん」

なんで違和感があったのかと言うと、プリンスはヒールではなく、サンダル履いてて、背丈が“ステージ・バージョン”ではなかったから・・・。

  それとイベント3日目の夜明け前。Liveも終わり殆どの人も帰り、若干の人が会場をウロウロしてて、僕も会場の真ん中で余韻に浸っていたら、後方の水売り場がちょっと空気が変わったのがわかりました。プリンスが歩いてきたのです。

 「あっ、彼に触ってはいけない。目を合わせてはいけない。声をかけてはいけない。田舎で怖い野良犬と遭遇した感じ。いやいや、絶滅危惧種の野生動物を保護する感じかもです。よりによって、会場の端っこではなくて、ど真ん中を堂々と通ってやってきます。彼のスタジオだし、当たり前っちゃ当たり前なのですが。2人くらいに声かけしながら、明らかにプリンスが歩く導線上に僕がいるんですけど・・・。どんどん近づいて来る!いまさら知らないふりは出来ないし・・・、焦った、焦りました。

 思い切って「We Love U」と言ったら、彼は微笑んでくれた。プリンスは男だし、僕も日本人だし、これはもう脊髄反射レベルで、「I love U」は絶対に言えなかった。そんでもって、彼はプロレスラーでもないし、「握手してください」ってできないし・・・困りに困り果てた僕は、右手を空に挙げたら、プリンスはハイタッチしてくれた。精密に言うと、僕がダンクシュートした訳でもないし、緊張してアクションが大きくできないから、肩の少し上らへんで、挨拶風な低めのハイタッチをしました。そんな感じで僕はペイズリーパーク・スタジオでのプリンス体験を満喫しました。

 その年の後半のONAツアー福岡公演のステージ。プリンスが「今日は誰がステージに上がる?」って言い出して、ふと僕の前に立ち、僕を指名してきたので、「僕ですか?」って手を胸に当てて確認したら「そうだよ」って言うプリンス。「こうなったら日本人を捨ててでも、ステージを盛り上げなきゃ!」と思いつつも、ちょっと確信犯的に、すっと右手をプリンスに差し出したら・・・彼が引っ張り上げてくれました。僕は、ダンスっぽい動きで無我夢中で盛り上げて。友達に後で聞いたら、プリンスも横で踊っていて、「プリンス、僕、バンド」が、終わりを「ピタッ」とパーフェクトに合わせたのが凄かったそうだ。大切にしたい個人的な想い出です。

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか?

 

Temptation

 

 プリンスの曲で初めて鳥肌ものだった。サックスの狂気、ギターの歪み、叩かれる鍵盤、プリンスの語り。なんか狭間に引き込まれます。なにも考えず感じるままに聴きたい曲です。再生したら頭の中にプリンスの世界が広がります。これって芸術もんです。個人的な感想ですけど、この曲の歌詞は後の映画の核になっていると思っています。

 

Savior

 

 Emancipationのアルバムはliveで表現してもらいたかったなぁ、と思うのですが。この曲はもう賛美歌というか、土臭いゴスペル。なぜか解らないけど、聴けば救われそうな曲だと思います。このアルバムを制作したときには、幸せだったんだろうなぁ、しかし発売したときには、子供の夭逝でアルバム制作時の気持ちとは、違ったんだろうなぁ、そんな気がしてなりません。2002年のセレブレーションでプリンスが、Soul Sanctuaryを歌ったときには、僕は泣きそうになりました。個人的にはEmancipationの2枚目は特に、後期のプリンスの楽曲の礎だと思います。そしてSaviorの声には解放が表現されているように感じます。

 

Better with time

 

普通に聴くと普通の曲に聞えます。でも良く良く聴くと、アレンジが非常に凝っている曲です。2013年に発表されたアルバム『Art Official Age』で「Art Official Cage」 が1曲目で、そのAgeとCageが歌詞に出てくるのが、Better with time 。それに気づいたときに驚きました。

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

アルバム Around The World In A Day でプリンスが起用したエディMです。The Ladderの哀愁を漂わせる演奏とTemptationでの芸術的な演奏はプリンスの世界を立体化させてくれました。多彩なプレイスタイルをもっていて、例えばポーラ・アブドゥルのヒット曲「Forever Your Girl」のイントロ部分では、派手さはないけどキラキラとした名曲になるエッセンスとしてのサウンドになっているように思います。共演するアーティストに合わせて演奏スタイルを変られる器用さが、エディMだと僕は思っています。

 

 

 

初期のNPGのドラマー、マイケルBも素晴らしいです。彼のドラムは重たくて手数も多く素早くて。1990年のヌード ツアーでの冒頭のメドレーの安定感と重さはロックっぽくてシックのトニートンプソンを連想してしまうくらいの重量感を感じます。メドレーでのハウスクエイクの重さは圧巻ですね。バックとしてのドラムではなくて、プリンスと横並びのドラムと思わせるくらいで。プリンスが攻めたらドラムのマイケルBも攻める、スローになったらスローに徹する。プリンスの強弱と匠に同調できるアーティストだと思います。後に数多くのセッションドラマーとしても活躍していますね。

 

 

 

宇多田ヒカルのMTVアンプラグドLIVEで初めて目にしたジョン・ブラックウェル

後期のNPGのドラマーで、個人的な意見ですがNajeeとジョンが居たからアルバム『The Rainbow Children』の完成度が高くなったんだと思います。収録の「Everywhere」これは完コピで演奏する人が存在したら見てみたいくらいで。とにかく手数が多くて技巧派で素早くて、ハイハットで裏打ちするテクニックやスタイルは貴重だと思います。

 

 

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

 プリンスのライヴを見たくて衛星放送を導入し、ペイズリーバークに行きたくて海外旅行もして、プリンスがネットの分野に飛び込んだから、プリンスの活動を知る為にアップル買って、インターネットして、メールも覚えて、コンピューターを使えるようになって・・・。プリンスが楽曲をネット配信するから、僕もCDを焼いたりDVDを制作したりして、自然にいろいろとできるようになりました。プリンスを追いかけていたら、自分の出来ることが増えていったのです。そしてプリンスが居なかったらTrue Funk Soldierと出会わなかったと思います。最も重要なものはコレかも知れませんね。

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 何年か前、僕は、このままだったら新しい音楽を聞かずして、懐メロだけ過ごしてしまったら時間が止まってしまうかも、とちょっと心配になってしまって・・・。流行とか新しさとかを求めてDJイベントに行ったら、今の若い人は意外と昔の音楽に興味をもって聴いていたのに驚いた。彼らと交流していく中で、自然と若い世代からインプットすることも多いけど、僕から彼らにアウトプットできることも多い、と悟った。「プリンスの話もするけど、プリンス以外の話もする」それは、相手の興味をしっかり受け取って、話を広げたら少しだけ、こっそりとプリンス味を付け足したり。活動量も多かったプリンスは、残した作品も多いから、どこかでつながる。そしてやっぱり面白くないとね、話す人が面白くないとダメかも。だって面白い人の周りって人が自然と集まるから。プリンスは凄かったから、人生に何かを求めている人にはプリンスの偉業を話すといいのかなぁ。そんな風に思います。

 

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