プリンス 7 つの質問  13 原 雅隆

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1.  あなた自身を紹介してください。

 

原 雅隆 日本で佐賀県出身です。職業は映像を撮って編集しています。趣味は本物に触れること、芸術、音楽、食べ物、人間に接して感性を磨くことです。

 

2.  あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 中学生の頃に福岡放送の深夜テレビで、洋楽の情報やプロモーションビデオをラジオ風に紹介する「ナイトジャック福岡」という音楽番組で「次は〜、〜発売のプリンスの新曲です」というMCに続いて流れた「ビートに抱かれて」(原題 When Doves Cry)を見てからです。ここからが始まりでして、まだ洋楽に知識も何にも偏見がないから、当時はたくさん聴くアーティストの1人、という感じでした。ちなみにパープル・レインをたまたま発売日にカセットで買ったのが最初のアルバムです。その時は、予約とか知らなかったので、予約特典のポスターが貰えなかったのでした。「予約したらポスターとか貰えるんだ!」って初めて知りました。以降は、洋楽新譜は必ず電話で予約するようになりました。

 

 

  同時期にVHSデッキにプロモーションビデオを録画したり、ラジオで録音したテープを聞いたり。その頃の楽しみの大半は洋楽でした。佐賀の田舎に住んでいたので、FMファンやFMステーション等の雑誌で情報を収集したりしてました。プリンスも年に新作を1枚出してくるので、プリンス摂取量も自然と増えていき、高校生になってDuran Duranの福岡でのLiveを体験して、「Liveの味」も知ることになりました。

 そしてついに高校卒業の年、『プリンスが福岡に来るらしい!行きたい!』でも、福岡といっても佐賀からは離れた北九州の戸畑(とばた)だし、戸畑って一体どこなんだ、って悩んでいたら・・・、ちょうど同級生のO君が車の免許を取得していてO君の親戚が戸畑だから遊びに行くと言ってたので、プリンスのLiveの日に合わせてもらって、無事に会場にたどり着くことができました。

 Lovesexy Tourの来日前にNHKBS放送でライヴが見られると知って、親に必死で頼んでBSチューナーとアンテナを買ってもらって、番組でしっかり予習してからのLiveでした。しかも、シーラEまで見られるし、ステージも大掛かりで、過去の曲もメドレーで演奏するからそれも楽しみで。もうすっかり暗くなった頃に、戸畑の北九州総合体育館に開演ギリギリに到着して、パンフ買って、在庫無くなってサイズ小さいT-シャツ買って、会場に入ると・・・。なんと、衛星放送で見た「円形ステージ」が、日本では真ん中ではなくて奥に寄せられていて「普通のステージ」になっていた!!!

 ライヴで思い出すのは、最初らへんに、プリンスが「今日のオーディエンスは・・・」とか言って、客席に向かって「右側は?」、「左側は?」、そして「真ん中は?」とスポット的に照明を僕ら客席に当てたのが、めちゃくちゃ興奮しました。スポットライトとかって、テレビの中の人が浴びるものですからね。初めてのプリンスのLive体験で、しかもショー的な要素満載で超興奮。それから僕とプリンスはプリンスが創作活動をすればするほど、一緒に育ってきたような気がします。彼は「絶対に興味を無くさせない人」だったから、自然と好きになってました。

 

3.  あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 もう英語でコミュニケーションも少しは大丈夫だし、いい歳だし海外でも行ってみるか!!!!ってことで、2002年ミネアポリスのペイズリーパークでの「セレブレーションの一週間」に参加しました。あのプリンスのペイズリーパークに行く。それは僕にとって初の海外旅行で天国と地獄に飛び込むような心境でした。想い出は書ききれないくらい、いろいろとありますけど・・・。

 

 

なんと2日目、ペイズリーパークのエアコンが故障、ゲストがシーラEの日。 プリンスのLive始まって、1回中断、猛暑の中で、みんないったんスタジオの駐車場に移動。ちょっと待たされで演奏再開して・・・それでもやっぱり空調も不調で。

 そこでプリンスが「みんなごめん。映画を見に行こう。トム・クルーズのマイノリティリポートを。」その一言で、世界中から集まった全員のファムがそれそれ映画館に移動。プリンスが映画館を貸し切って、代金も全てプリンスのおごり。「へぇぇぇぇ!映画、タダで見られるんだぁ!」と思いながら、お腹がすいた僕は館内のポップコーン売り場に行ったら・・・プリンスが。

「あれっ!?」

「ちょっと、プリンスかも??」

と思ってもう一回見直すと

「やっぱプリンスじゃん」

なんで違和感があったのかと言うと、プリンスはヒールではなく、サンダル履いてて、背丈が“ステージ・バージョン”ではなかったから・・・。

  それとイベント3日目の夜明け前。Liveも終わり殆どの人も帰り、若干の人が会場をウロウロしてて、僕も会場の真ん中で余韻に浸っていたら、後方の水売り場がちょっと空気が変わったのがわかりました。プリンスが歩いてきたのです。

 「あっ、彼に触ってはいけない。目を合わせてはいけない。声をかけてはいけない。田舎で怖い野良犬と遭遇した感じ。いやいや、絶滅危惧種の野生動物を保護する感じかもです。よりによって、会場の端っこではなくて、ど真ん中を堂々と通ってやってきます。彼のスタジオだし、当たり前っちゃ当たり前なのですが。2人くらいに声かけしながら、明らかにプリンスが歩く導線上に僕がいるんですけど・・・。どんどん近づいて来る!いまさら知らないふりは出来ないし・・・、焦った、焦りました。

 思い切って「We Love U」と言ったら、彼は微笑んでくれた。プリンスは男だし、僕も日本人だし、これはもう脊髄反射レベルで、「I love U」は絶対に言えなかった。そんでもって、彼はプロレスラーでもないし、「握手してください」ってできないし・・・困りに困り果てた僕は、右手を空に挙げたら、プリンスはハイタッチしてくれた。精密に言うと、僕がダンクシュートした訳でもないし、緊張してアクションが大きくできないから、肩の少し上らへんで、挨拶風な低めのハイタッチをしました。そんな感じで僕はペイズリーパーク・スタジオでのプリンス体験を満喫しました。

 その年の後半のONAツアー福岡公演のステージ。プリンスが「今日は誰がステージに上がる?」って言い出して、ふと僕の前に立ち、僕を指名してきたので、「僕ですか?」って手を胸に当てて確認したら「そうだよ」って言うプリンス。「こうなったら日本人を捨ててでも、ステージを盛り上げなきゃ!」と思いつつも、ちょっと確信犯的に、すっと右手をプリンスに差し出したら・・・彼が引っ張り上げてくれました。僕は、ダンスっぽい動きで無我夢中で盛り上げて。友達に後で聞いたら、プリンスも横で踊っていて、「プリンス、僕、バンド」が、終わりを「ピタッ」とパーフェクトに合わせたのが凄かったそうだ。大切にしたい個人的な想い出です。

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか?

 

Temptation

 

 プリンスの曲で初めて鳥肌ものだった。サックスの狂気、ギターの歪み、叩かれる鍵盤、プリンスの語り。なんか狭間に引き込まれます。なにも考えず感じるままに聴きたい曲です。再生したら頭の中にプリンスの世界が広がります。これって芸術もんです。個人的な感想ですけど、この曲の歌詞は後の映画の核になっていると思っています。

 

Savior

 

 Emancipationのアルバムはliveで表現してもらいたかったなぁ、と思うのですが。この曲はもう賛美歌というか、土臭いゴスペル。なぜか解らないけど、聴けば救われそうな曲だと思います。このアルバムを制作したときには、幸せだったんだろうなぁ、しかし発売したときには、子供の夭逝でアルバム制作時の気持ちとは、違ったんだろうなぁ、そんな気がしてなりません。2002年のセレブレーションでプリンスが、Soul Sanctuaryを歌ったときには、僕は泣きそうになりました。個人的にはEmancipationの2枚目は特に、後期のプリンスの楽曲の礎だと思います。そしてSaviorの声には解放が表現されているように感じます。

 

Better with time

 

普通に聴くと普通の曲に聞えます。でも良く良く聴くと、アレンジが非常に凝っている曲です。2013年に発表されたアルバム『Art Official Age』で「Art Official Cage」 が1曲目で、そのAgeとCageが歌詞に出てくるのが、Better with time 。それに気づいたときに驚きました。

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

アルバム Around The World In A Day でプリンスが起用したエディMです。The Ladderの哀愁を漂わせる演奏とTemptationでの芸術的な演奏はプリンスの世界を立体化させてくれました。多彩なプレイスタイルをもっていて、例えばポーラ・アブドゥルのヒット曲「Forever Your Girl」のイントロ部分では、派手さはないけどキラキラとした名曲になるエッセンスとしてのサウンドになっているように思います。共演するアーティストに合わせて演奏スタイルを変られる器用さが、エディMだと僕は思っています。

 

 

 

初期のNPGのドラマー、マイケルBも素晴らしいです。彼のドラムは重たくて手数も多く素早くて。1990年のヌード ツアーでの冒頭のメドレーの安定感と重さはロックっぽくてシックのトニートンプソンを連想してしまうくらいの重量感を感じます。メドレーでのハウスクエイクの重さは圧巻ですね。バックとしてのドラムではなくて、プリンスと横並びのドラムと思わせるくらいで。プリンスが攻めたらドラムのマイケルBも攻める、スローになったらスローに徹する。プリンスの強弱と匠に同調できるアーティストだと思います。後に数多くのセッションドラマーとしても活躍していますね。

 

 

 

宇多田ヒカルのMTVアンプラグドLIVEで初めて目にしたジョン・ブラックウェル

後期のNPGのドラマーで、個人的な意見ですがNajeeとジョンが居たからアルバム『The Rainbow Children』の完成度が高くなったんだと思います。収録の「Everywhere」これは完コピで演奏する人が存在したら見てみたいくらいで。とにかく手数が多くて技巧派で素早くて、ハイハットで裏打ちするテクニックやスタイルは貴重だと思います。

 

 

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

 プリンスのライヴを見たくて衛星放送を導入し、ペイズリーバークに行きたくて海外旅行もして、プリンスがネットの分野に飛び込んだから、プリンスの活動を知る為にアップル買って、インターネットして、メールも覚えて、コンピューターを使えるようになって・・・。プリンスが楽曲をネット配信するから、僕もCDを焼いたりDVDを制作したりして、自然にいろいろとできるようになりました。プリンスを追いかけていたら、自分の出来ることが増えていったのです。そしてプリンスが居なかったらTrue Funk Soldierと出会わなかったと思います。最も重要なものはコレかも知れませんね。

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 何年か前、僕は、このままだったら新しい音楽を聞かずして、懐メロだけ過ごしてしまったら時間が止まってしまうかも、とちょっと心配になってしまって・・・。流行とか新しさとかを求めてDJイベントに行ったら、今の若い人は意外と昔の音楽に興味をもって聴いていたのに驚いた。彼らと交流していく中で、自然と若い世代からインプットすることも多いけど、僕から彼らにアウトプットできることも多い、と悟った。「プリンスの話もするけど、プリンス以外の話もする」それは、相手の興味をしっかり受け取って、話を広げたら少しだけ、こっそりとプリンス味を付け足したり。活動量も多かったプリンスは、残した作品も多いから、どこかでつながる。そしてやっぱり面白くないとね、話す人が面白くないとダメかも。だって面白い人の周りって人が自然と集まるから。プリンスは凄かったから、人生に何かを求めている人にはプリンスの偉業を話すといいのかなぁ。そんな風に思います。

 

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Masa_ch (@hara_masataka) | Twitter

食わず嫌い王子 04 山田 育子/ワークショップ・デザイナー

 

f:id:PurpleUniversity:20200426215642j:plainヨーロッパやアメリカでは「現代のモーツァルト」として高く評価されリスペクトされる一方、日本の一般層には「プリンス?誰それ?」状態。そんな時代に、究極のお節介企画、『食わす嫌い王子』。プリンスをあまり聴いていない方、存在自体知らない若い世代に、「殿下の音楽は届くのか?」実験的インタビューをここにお届けします。

 山田 育子/ワークショップ・デザイナー

yamadaikuko (@yamataikoku0224) | Twitter

ーーーこんにちは、紫大学です。この度は、無茶な企画にお付き合いくださり、誠にありがとうございます。まずは山田さんの自己紹介をよろしくお願いします。

 

山田:こんにちは。山田育子と申します。どうぞよろしくお願いいたします。私は、大学卒業後に大手電機メーカーに事務職として就職したのですが、そこでたまたまケニアジュネーブでの展示会のスタッフとして働いたことがきっかっけで、イベントの企画や実施に興味を持ち、イベント企画制作の会社に転職。その後ずっと新聞社主催のシンポジウムやフォーラムや企業の講演会の企画~実施までをやってきました。

 ところが、2011年に会社が突然解散になりまして(笑)。東日本大震災の影響もあってイベント業界は厳しい時期で、転職もままならず、また震災の影響でちょっと思うところもあってフリーランスになりました。

 

―――会社が解散、震災の影響も!

 

山田:そうなんです。今は会社員時代にやっていたようなイベントの企画制作もやってますが、その後一方的な情報提供のイベントだけでなく、双方向に対話する場づくりに興味を持ち、ワークショップなどの対話の場づくりも行っています。その他にも自分の働き方がフリーランスになってかなり変わったので、そこでの気づきを、同じミドル・シニア世代でキャリアに悩んでいる人に伝えたくて、キャリアコンサルタントの資格もとって、ミドル・シニア世代のかキャリア開発や支援などの活動も行っています

 

―――予期せぬハードシップを経験されて自ら「場をつくる」ご活動、そして支援もされているわけですね。ご自身の気づきを悩んでいる方々の問題解決の一助とされているのも、素晴らしいと感じました。何かご趣味であったり、好きなことはございますか?

 

山田:ありがとうございます。みなさんそうだと思いますが、今はなかなか厳しい状況にあるので、そのように言っていただけると勇気づけられます。趣味というと本当に私はつまらないやつでして(笑)、趣味と言えるものがないのです。まあ続けていることというと、「気功」ですかね。20年以上やっているので。好きなことは、やっぱり人に出会ってお話することですね。ご縁をいただいて、こうして今インタビューを受けている。人との出会いでいろんなきっかけや気づき、そして知らない世界への扉が開かれるというのがいちばん好きなことかなぁ。

 

ーーー20年以上続けているものがある、というのが凄いですし、出逢い、ご縁を大切にしているというのも、素敵なことですね。この企画は、プリンスをそこまで聴く機会がなかった方に、ちょっとした「あなたのプリンス」を紹介してみよう、という、かなりおせっかいなプロジェクトなのですが、その前に、山田さんが現在お持ちのプリンスのイメージなどがありましたらぜひ教えてください。

 

山田:そうですね。ものすごい強烈な個性を持ったアーティストというイメージですね。独特のファッションセンスとなんとも怪しい感じ。陰と陽でいうと陰な感じ。。かな。

 

ーーーなるほど、強烈な個性、独特、陰・・・まさにある意味でその通りかも(笑)ではでは、早速1曲目を選んでみたいと思います。こんな感じの曲がいいとか、ジャンルやタイプであったりとか、イメージとか、何でもいいので教えていただければ嬉しいです。

 

山田:では曲の希望ですが、新型コロナウイルスのことで緊急事態宣言も出て、あらゆる活動がダメージを受けています。こんな時だから、希望を感じる曲をお願いします。

 

ーーーでは、女性シンガー、マルティカとプリンスが共作した Love...Thy Will Be Done をご紹介します。

 

 

 

山田:ご紹介いただいた曲、何度も聴いてみました。私は聴きながら歌詞の意味がわかるほどの英語力はないのですが、「希望を感じられる曲」というリクエストでこの曲を紹介されたという前提で聴いているからでしょうか? なんかこのリズムに身をゆだねていると、救いがやってくるような・・・そんな感覚を感じました。

 

ーーー何度も聴いてくださり、ありがとうございます。山田さんのヒストリーを知り、さらに世の中や個人が絶望に打ちひしがれているとき、僕も少しだけ「希望」について考えてみたんです。彼は「希望」という概念をどんな形で表したんだろう?と。いろんなメタファーがあるんですが、彼はこの曲で「光」と表しました。

「愛、あなたの御心のままに。もう私は隠れたりしない。もう逃げたりもしない。私を守る光を拒むことはもうできない。その光は私に戦い続ける力を与えてくれる。」

これがこの曲の歌詞、主題のメッセージです。 

 

山田:わー、すごい歌詞ですね!最初の「愛、あなたの御心のままにもう私は隠れたりしない。もう逃げたりはしない。」のところは、何度も繰り返されるフレーズで、なんとなく意味は伝わってきていました。それでこの曲を通じてずっと刻まれているリズムに体をゆだねると、なんか救いが来るみたいな感覚になっていたかなぁと思いました。

 

―――救いが来る。

 

山田:はい。それと、ずっとこの曲を聴きながら感じていたのは、キリスト教のイメージだったんです。それはご紹介いただいた動画の中で、ちらっとマリア様の像が映るので、それに影響されたのか?と思っていたのですが、「御心のままに」とか「光」という訳をみて、ああやっぱり、と思いました。「私を守る光を拒むことはもうできない。その光は私に戦い続ける力を与えてくれる。」のところは、今このコロナと戦っている人類にそれこそ光を与えてくれるような。人間の知恵、人間の生きる力を信じて、心を一つにして戦いづつける。そんな力を与えてくれる詩ですね。いろんな言葉の訳をつけて「がんばろう!人類」みたいなプロジェクトをつくって、このメッセージを流したいと感じました。

 

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ーーーこの収録は4月21日から約1週間かけて、新型コロナの影響が拡大していく真っただ中で、メッセージのやりとりで記録されています。奇しくもこの日は彼の命日でもあって、「生きる」という主題を突きつけられているような状況です。そんな時に、山田さんから「希望のリクエスト」があったこと、そして1曲目にして「人間の生きる力を信じて」という言葉にハッとしました。

 

山田:ありがとうございます。

 

―――山田さんは、お仕事やご活動の中で、数多くの人々に関わられると思うのですが、「希望」とか「信じる」って「希望をもちなさい、信じなさい」って言われて「はいわかりました」ってなるような簡単な話じゃないじゃないですか。そのあたり、現実場面でどのようにそのあたりのことを共有していらっしゃいますか?

 

山田:うーん。やっぱり、希望を失わずに行動している人とか、信念を持っている人の活動を伝えることでしょうか? おっしゃるように「希望をもちなさい。信じなさい」と言っても伝わらないですから。先ほど、私の経歴について、2011年、震災の年に会社が解散になって、思うところがあってフリーランスになった。とお話しましたが、もちろん、その年はイベント業界にとって今と同じように厳しい年で転職が厳しかったということもあるのですが、あのような未曾有の被害にあっても、助け合おうとしたり、支援に行っている人に感謝の気持ちを伝えている東北の人々をみて、それで逆に勇気をもらったというか、希望をもらったようなところがありました。やっぱりそういう姿をみる・知ることで心が動くような気がします。

 私はイベントとかワークショップを通じて、伝えることをしているので、そういうステキな人の生きざまとか、ユニークな考え・視点を伝えて、そこに参加した人が、何か新しい視点や気づきを得て、パッと顔が明るくなったら幸せです。

 

ーーーたいへん興味深いお話です。震災というハードシップの中にあって、助け合う、支援する、感謝する。言葉にすれば1行で終わりますが、その行動とその影響のようなものが、「勇気」や「希望」として他者の中に芽生える、というわけですね!そして山田さんご自身が、そういう激流の中で見つけた何かが、今のご活動に繋がっている。それは本当に素晴らしいことですね!

 

山田:ありがとうございます。そうですね。やはり言葉だけでなく、その方の行動や考え方が周囲に影響を与えるのではないかなと思います。

 

ーーー先ほど、山田さんが聴いてくださった、Love Thy Will Be Doneは1991年にマルティカのセカンドアルバムからのシングルとして発表されたのですが、プリンスはあの曲を1995年から96年、元プリンスとしてハードシップの真っただ中の時期に、ステージで演奏するんです。

 

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山田:ハードシップの真っただ中、に。

 

―――そうなんです。「所属レーベルとのトラブル」と言われがちなのですが、「音楽の所有権は誰にあるのか?」「音楽を商品としてだけ取り扱う業界はそれでいいのか?』「自由のための音楽なのにオレは今自由じゃないじゃないか!」そんな状況下にあって、名前も読めないマークに解明して、右の頬にわざわざ「SLAVE」(奴隷)と書いて活動していたんです。

 

山田:SLAVE!

 

―――震災のような直接的な生命の危険はないかも知れませんが、巨大なレコーディング・スタジオ、自身の独立レーベル、数多くのスタッフを抱える責任者として、レーベルとの闘争はスタッフとその家族も巻き込む死活問題だったわけで、そんな時、もっとも「希望の光」が必要だったのは彼自身だったと思うんです。先程の山田さんのエピソードから、プリンスの特質というのでしょうか、暗闇であったり、激流の中での希望。そういった彼のテーマ性を、改めて再認識しています。

 

山田:そうですか。そんな時期の曲だったんですね。頬に奴隷と書いて活動していたとは、なんか本当に痛みが伝わりますね・・・。レコーディングスタジオ、レーベルとスタッフを抱える責任者として、スタッフの家族も抱えて死活問題だったというのは、今、なんか自分事のように苦しい気持ちになります。私も個人事業主ですから、今のような状況下、仕事が飛んだら収入0なので・・・。特に表現者・アーティストであり、スタッフを抱えるリーダーでありというところのバランスは大変だったでしょうね・・・。そんな中、希望を見出だそうとしたこの曲で、Love Thy will be done 愛 御心のままに と歌うのは、本当に祈りの歌のように届きます。

 

ーーーお話を伺いながら、平時はもちろん、非常時や困難なときこそ、希望、祈り、信じる、といったものが我々人間に必要なんだな、感じています。では2曲目にいってみたいと思います。どのような曲がいいでしょうか?

 

山田:ご紹介いたただいた曲は、すっかり私にとって祈りと希望の曲になり、家に閉じこもってちょっと不安に駆られるときに繰り返し聴いております。さて、2曲目ですが、祈り~希望ときたら、『再生』。生きる力を感じるようなものをお願いします。ビートの効いたかっこいい感じのものを、よろしくお願いいたします。

 

―――では、こちらはいかがでしょう?I'm yoursです。

 

 

山田:この曲知らなかったですけど、自分が10代とか?に聴きまくっていたロックっぽいテイストで懐かしい感じがしました。ギターのリフとか、ね。中学生の時に当時好きだったギタリストのリフを口真似して(自分はギター弾けないんで)友達と遊んでいたことを思い出したりして(笑)。アー思い出すだけでも恥ずかしい。でも若い時にバカみたいなことで熱中していた時のあの感覚を思い起こすと細胞が若返る気がする。まさに「再生」ですね!

 

ーーーおおお、そのご感想にこちらがびっくりしています。全くのノーヒントでこの曲を選ばせていただいたのですが、これ19歳に時に発表された曲なんです。デビューアルバムのラストに収録されてるんですが、10代の若々しさ、みずみずしさ、そして「これからやっていくぞ」の決意が山田さんの10代の記憶と握手したのかも!

 

山田:わー、なるほど!

 

―――ちなみにこの曲、全ての演奏を10代のプリンスひとりでやってるんですよ。鳴ってる音も、録音も、プロデュースも、全部プリンス。オール殿下(笑)

 

山田:オール殿下(笑)。19歳の時にすべての演奏を一人で・・・。しかも録音~プロデュースまで。それはすごい!!本当に天才ですね。いろんな分野をそれぞれ極めちゃう人の頭の使い方ってどうなってるんんでしょう?自分は単細胞でめちゃくちゃ不器用なので、ご教示いただきたいです(笑)。でも既にこれだけ完成度の高いものをつくっているとはいえ、なんかやっぱりすごくフレッシュ!というか若い!って感じはしますね~。ういういしいです。しかし、まさかギターのリフを口真似してギャーギャー騒いていたおバカな中学生時代をここで思い出すとは(赤面)。音楽って不思議ですね。

 

ーーーあははは、完璧な中学時代を誇る大人にあったことがありません(笑)プリンスが少年時代、「仕事しないとな」って思って電話帳を拡げたらしいんです。そしたらやりたい仕事がひとつもなかった。その時に、「オレは音楽で勝ってやる」って決めたんだそうです。

 

山田:音楽で勝ってやる!いいなぁ。

 

―――これ、すごく不思議なんですけどね、アメリカの五大湖ってあるでしょう?あの周辺から、全く同学年の3人がライバルだったんです。マイケル・ジャクソン、マドンナ、そしてプリンス。3人とも常軌を逸脱したレベルの超負けず嫌いで。それぞれ交流をもちながらも、「あの二人には負けねーぞ」ってのはあったみたいなんです!

 

山田:マイケルとマドンナとプリンス、凄すぎる。3人が「負けねーぞ!」のエネルギーを噴出させたら、なんか宇宙まで吹っ飛ばされそうです(笑)。同時代のめぐりあわせみたいなものも、人生にすごく影響を与えるものなんですね。

 

 

 

 

ーーーほんとですね!あの頃はMTVでどれだけの回数オンエアされるか?が勝負でしたからね。みんな歌って、踊って、演技して。山田さん仰るように、ライバルに恵まれる、さらにいえば、ライバルとして意識できる、って大切ですよね。そういえば、今の日本では、「ライバルつくれ」とか「ライバルが自分を伸ばしてくれる」みたいなこと、スポーツなどの領域以外ではあんまり聞かないような気がするんですが・・・。

 

山田:そうですね。あまり「ライバルをつくれ」とか「ライバルが自分を伸ばしてくれる」というような言葉はあまり聞かないですね。私は中学・高校は「ハイキング部」(笑)だったし、いわゆる体育会のりのところとは無縁だったこともあって、自分自身もそういうことを言われたり、ましてや自分からそういう存在を見出そうとしたことがないんです。でも、身近にそういう「負けねーぞ」と思う対象がいると、もっている能力をぐーっと伸ばせる気がしますね。

 唯一、私が10年以上勤めて、震災の時に解散になったときの会社に、同年代で自分とはまったく違うタイプの仕事のできる女性がいました。あまりにタイプが違うので(笑)、お互いに距離を置いていたけど、お互いの存在は意識はしていたかもしれません。その彼女とは震災の時に、帰る方向が一緒だったので、二人で何時間もかけて歩いて励ましあいながら帰宅しました。その時、「私も彼女も互いに認めあってたんだなー」と感じました。そういう存在はまた親友というのとも違うけど、かけがえのない存在ですよね。だから、ライバルってとても素敵なんだなと思いました。私はスポーツとも無縁で、女子高でぬるま湯のような世界で育ってきてしまったので、他人と切磋琢磨するようなことをちょっと避けてきてしまったようなところがあるんですが、そこはもっとやれたらよかったなぁ。

 

ーーーわぁ、震災の時、励まし合いながら会話して、互いに認めあってたってわかったって、なんか素敵ですね。その光景が目に浮かんでくるようです。なんだろう、なんかライバルとか、勝負という言葉が、日本では「競いあい」の意味でしか捉えられていない気がするんですが、山田さんの仰る切磋琢磨、つまり磨き合いであったり、高め合いであったりは、あとになってから「自分を形づくる重要な要素」だとわかるのかも知れないですね。

 

山田:磨き合い、高め合い。なるほど。プリンスたちもそれを見せてくれた。

 

―――僕はそう思います。マイケル・ジャクソンが亡くなったとき、プリンスは「これで本当のダンスが失われた」と呟いたそうで、その後にステージでマイケルの曲を演奏するようになるんです。でも自分では歌わないで、ほとんど女性ボーカルに歌わせるんですけど。「俺はマイケルのようには歌えないよ」ってことなのかな?

 プリンスが亡くなったときは、マドンナは「プリンスは世界を変えた。真のビジョンがあった。」とコメントしていて。「ああ、この人たちはそれぞれの才能と存在を磨き合ったんだな」って思ったんです。

 

山田:そうなんですね。マイケルとマドンナとプリンス、互いにリスペクトしていたんですね。足をひっぱりあうのではなく、互いの才能と存在を磨きあっていた。ステキですねえ。いいな~。そういう関係性。私も今回こうして問いを投げかけられることで、ライバルというか、身近で頑張っている存在が、自分の眠っている可能性を呼び起こしてくれたり、エンジンを回し続けて前に進むことを後押ししてくれたりするものだな。と気づきました。

 

―――ありがとうございます。3人の素敵なライバル・トライアングルのお話から、かなり強引に3曲目にもっていきます(笑)どんな感じにいたしましょう?

 

山田:3曲目はTakkiさんにとっての忘れられないプリンスの曲をお願いします。

 

ーーーありがとうございます、忘れられない曲はいろいろあるのですが、The Crossを選んでみました。

 

 

山田:ありがとうございます。拝聴しました。The Crossというタイトルからして、なんか宗教っぽいんメッセージがあるのかな?と思いましたが、それよりなにより、めちゃくちゃかっこよかったです!女性のドラマーもすっごくかっこよかった!こんな、エネルギーの爆発みたいなステージ観たらノックアウトされそうです。

 

ーーー観てくださりありがとうございます!「サイン・オブ・ザ・タイムズ」というライブ映画のラスト曲を選んでみました。プリンスという人は、「観客はレコードを聴いてコンサートにくるんだから、コンサートはレコードを超えなきゃ意味がない」という信念をもっていて、アルバムはライブのサウンド・トラックぐらいの位置づけなんですね。

 だから、「プリンスすげー!すげー!」ってウザいくらい言ってる僕らみたいなリアルタイム世代の人たちの多くは、彼のライブを経験しているんです。山田さんの仰る「エネルギーの爆発」を全身に浴びて五感で受け取ってしまっている。

 

山田:いやー、ライブ観てみたかったです。殿下のエネルギーの爆発を全身で浴びてみたかった!ライブはやっぱり伝わるものが違いますよね・・・。実は私もこのコロナの影響で家にこもるようになってから、ミュージシャンのライブ映像をよく視るようになりました。やっぱり無意識に、ミュージシャンとオーディエンスのエネルギー交換をどこかで欲してるんですよね~。ライブ映像をみていると、音楽だけじゃなくて、ミュージシャンの表情、オーディエンスの表情がどんどん輝いていくのがわかって、それが何かこちらにエネルギーをくれるんです。

 

ーーーなるほど、表情が輝いていく。大きなパワーが生まれる瞬間を映像でも受け取れる、今、こうして共有できるのも素敵なことですね。

 

山田:なぜこの曲が忘れられない曲なのか、ぜひ理由を知りたいです。

 

―――僕がこの曲を選んだ理由は、そのメッセージにあります。

「真っ暗な日、嵐の夜。愛も希望もどこにも見つからない。だが泣くのはやめよう、彼はやってくる。死んではいけない、十字架を知る前に」

 これ、十字架という言葉だけだと、たしかにイエス・キリストだったり、宗教的な感じを受けると思うのですが、ずっとずっと聴いてきて、ある時ふと気がついたんです。「ザ・クロス」とは「生きる意味」であったり、「ミッション」であったり、「心から信じられる何か」なんじゃないか?と。十字架は「キリストの象徴」であるばかりではなく、「愛、神、信仰、祈り」など人が生きていくために大切なものをシンボライズしてる面があると思っていて。

 

山田:生きていくために大切なもの。

 

―――はい、生きていれば、思い通りにいかないこととか、希望が見出せないこととか、全部ギブアップしたほうが楽なんじゃないかとか、まあ、いろいろありますよね。この曲では「我々はみんな問題を抱えている。小さなものから大きなものまで。だが、いずれそれら問題は去っていくだろう、十字架によって」って歌われていて。それに気づいてから、自分にとっての「ザ・クロスって何?」と意識するようになったんです。

 

山田:ありがとうございます。

「真っ暗な日、嵐の夜。愛も希望もどこにも見つからない。だが泣くのはやめよう、彼はやってくる。死んではいけない、十字架を知る前に」

 今この状況下でこのメッセージはヤバいですね・・・。もう一度このメッセージを意識して曲を聴いてみたら、なんか涙が出ました・・・。今はどうしても、新型コロナの脅威の環境下での自分の感情と、なんでも結びけてしまう自分がいます。

 なんとなく「死んではいけない。一人ひとりが一生をかけて取り組む大事なミッションをもっているのだから」と言われているようで、ぎゅーっと胸が締めつけられました。そして、この曲が静かなメロディーから次第にどんどんエネルギーを増していく感じが、「必ずこの状況下に打ち勝つ!」という力を与えてくれるような気がしました。かなりの勝手な自分の解釈ですが。Takkiさんにとっての「ザ・クロス」は何なのでしょうか? 私は人生をかけて大事にしたいことがある人が本当に幸せなのではないか? と思っています。

 

ーーー山田さんの言葉を通じて、1987年に発表された曲が、今、コロナの状況下で力強いメッセージソングとして機能する、時空を超えて力を与える、という事実に僕も驚いています。僕のザ・クロスは、、、あえて言葉にすると、「ポジティヴィティ」を伝えること、かな。これもプリンスが1988年に突きつけた命題なんですけど(笑)、15歳の時に「ポジティヴィティ」という曲を聴いて、ずっとそれについて考え続けているんです。なので、僕は僕の活動や作品を通じて、「ポジィティブであること」を問いかけたいなと思っています。単に前向きとかじゃなくて、自分の中のネガティヴな面をしっかり捉えつつ、少しでもポジティヴでありたい。といっても、なかなかできていないんですが(笑)。それが僕のザ・クロスですね。

 

山田:TakkiさんのThe Crossはポジティビティを伝えることなんですね。それは素晴らしいです。私もツイートのメッセージにすごく元気をもらっています。

 

―――ありがとうございます。ここまで、3曲を聴いていただいただけでなく、非常に興味深い対話をさせていただきました。かなり強引な企画であることは自覚しているのですが、率直なところいかがでしたか?

 

山田:今回、この企画にお誘いいただいたときは、プリンスの曲はいわゆるメジャーなヒット曲ぐらいしか知らないのですが、曲の感じとか存在感とかはすごく好きなほうだったのでお受けしたのですが、まさか曲を通じてこんなに自分を内省することになるとは思いませんでした。

 震災の時になぜ自分は独立の道を選んだのか。ずっとその存在は意識していたけど、あえて距離を置いていたライバルのような存在との絆、ギターのフレーズを口真似して友達とキャーキャー言っていたアホな中学時代。そして今このコロナの状況下での自分の気持ち。

 殿下の曲を通じて語り合うことで、一気に自分の歩みと、今の自分と、そしてこれからの自分に想いを馳せるような、深く内省するとても貴重な時間を過ごすことができました。

 

ーーーこちらこそ、究極のお節介企画、しかも無茶ぶり連続の数日間にお付き合いいただき、ありがたいやら、申し訳ないやらです。こうやって3曲を聴きながら対話を重ねることで、山田さんと同じように、僕自身も新たな発見がたくさんありました。

 ザ・クロスの「十字架を知るまで、死ぬな!」のメッセージも、Love Thy Will Be Doneの「光」も、このような絶望時にこそ真意がハッキリと理解出来たり、高め合うライバルが時を経て「戦友だった」と気づいたり、I‘m Yoursの10代の若き衝動の大切さだったり。これらは、楽曲だけを聴いていてはおそらく得られなかった気がするのです。山田さんというひとりの女性のヒストリーの中で得られた発見です。

 

山田:それは私にとっても嬉しいです。

 

―――プリンスの楽曲は「人生のサウンドトラック」、つまり「人生のあらゆる局面のあらゆる感情に寄り添う音楽」として意図された部分があるように思っていて、今回の対話がその典型例なんじゃないか。そんな感覚を得ることができました。これも山田さんのおかげです。ありがとうございました!

 

山田:こちらこそ、心から感謝申し上げます。ここで対談がいったん終わるのが寂しいくらいです。楽しかったし、自分を見つめたり、ふりかえったりする素晴らしい機会になりました。ありがとうございました!

 

 山田育子

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食わず嫌い王子 03 白川 烈/ライター・エッセイスト

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ヨーロッパやアメリカでは「現代のモーツァルト」として高く評価されリスペクトされる一方、日本の一般層には「プリンス?誰それ?」状態。そんな時代に、究極のお節介企画、『食わす嫌い王子』。プリンスをあまり聴いていない方、存在自体知らない若い世代に、「殿下の音楽は届くのか?」実験的インタビューをここにお届けします。

 白川 烈/ライター・エッセイスト 

白川 烈 (@recchaaaan) | Twitter

 

ーーーこんにちは、紫大学です。おせっかい企画、「食わず嫌い王子」へのご参加をありがとうございます。まずは白川さんの自己紹介をよろしくお願いします。

 

白川:こんにちは!関西でライターをしている、白川 烈と申します。25歳です。どうぞよろしくお願いします。20歳の頃に大学を休学して、オリコンチャート一桁にランクインしたバンドのアシスタントや、熊本地震のあった年には熊本県阿蘇NPOの現地責任者をしながら復興支援に携わったりなど、あまりジャンルに囚われない活動を多くしてきました。現在はフリーランスのライターとして活動しており、大学生向けのサービスサイトの運営や、日常風景をエッセイとして書く仕事をしています。

 

ーーーなるほど、いろんな立ち位置を経験されているんですね!大学生との接点も多いとのことで時代の空気を直に感じられるのではないでしょうか。普段、音楽は聴かれますか?また、どのような音楽が好みでしょうか?

 

白川:人並みには聴く方だと思います。仕事中や考え事をしたいときはピアノやアンビエント系の曲を聴くことが多いですね。散歩するときは、声の入ったものを聞いたり。当たり前かもしれませんが、シチュエーションに分けて聴く音楽のジャンルが変わります。

 あとこれは職業病とも言えるんですが、どうしても日本語の歌詞が好きなんです。集めているレコードもほとんど昭和歌謡だったりで。好きなジャンルは?と聞かれるとやっぱり歌謡曲やフォークと答えちゃいます。でもそれはジャンルとしてというより、「歌詞が好き」が半分以上入っちゃいますね。

 

ーーーなるほど、シチュエーションと音楽がリンクされているのが伝わり面白いです。日本語の歌詞のお話も納得というか、普段から恒常的に言葉に接していらっしゃるんですね。さて3曲ほどプリンスの楽曲を趣味や趣向、気分、興味などに合わせてご紹介するという企画なのですが、白川さんはプリンスをご存じでしたか?

 

白川:存在は知っていたものの、曲を聴いたことはないんです。友人にプリンスを好きな方がいてその話を聞いたくらいで、知っているとも言い難いかもしれません。というかそもそも、プリンスって本名なんですか??

 

ーーー初体験なんですね!そうなんです、プリンス・ロジャース・ネルソンといいます。幼少時に離婚しちゃいましたが、お父さんが場末のジャズピアニスト、お母さんがジャズシンガーだったんですね。で。お父さんがステージネームを息子につけてしまった、という。

 

白川:へえー!生粋の音楽家庭ですね。というかそもそも、お父さんのステージネームはプリンスだったんだ!お父さんなのに(笑)

 

ーーー(笑)プリンス・ロジャース・トリオというのをやっていて。息子に今でいうキラキラネームをつけてしまった(笑)息子は大変ですよね、王子ですから。

 

白川:そうですね!少し話は逸れますが、「名前」って住所をあらわすものだと思っていて。まだ名も無かった黄色い花に「たんぽぽ」と名前を付けたから、その黄色い花(がある場所)を「たんぽぽ」と呼ぶようになった。人間でも、例えば僕のことを名字で呼ぶ人と、名前で呼ぶ人、あだ名で呼ぶ人はそれぞれで、ピンを指されている「僕」の場所が違う気がするんですよ。日本なんか特に、地名が由来になっていますしね。

 それでいうと、「プリンス」は生まれながらにして、「プリンス」という場所にピンを指されたわけですよね。それって、とんでもないですよね。楽曲よりも先に、人生が気になってしまいます(笑)

 

ーーーそのご指摘は、実は凄く大切な部分で。プリンス=王子という既成概念と戦わざるを得ない運命にあったのかも知れません。たとえば、1999って曲であったり、パープルであったり、プリンス以前から存在する数字や色を「自分を象徴するもの」として「ぶんどってくる」感じがあるというか。一般性のある「パープル」=「個人の表現者であるプリンスの象徴」にしたって、ある意味凄くないですか?

 

白川:凄い。がぜん、彼が音楽で何を表現したのか、気になってきました。

 

ーーーでは、白川さんへの1曲目、いってみましょう。こんな感じの曲がいいとか、個性的なのがいいとか、何でも構わないので、ご希望を知らせてください。

 

白川:そうですね...プリンスの処女作を聴いてみたいです。

 

ーーーデビューアルバムの『FOR YOU』から1曲目の「FOR YOU」を。

 

 

白川:ちょっとこれ、いきなり度肝を抜かれました!想像していたのを遥かに上回る、完成度と歌声。脳に直接響いている感じがします。これがデビューアルバムのオープニングなんですか...完全に仕上がってるように感じます。もうすでに、芯があるというか。ブレたりすることが悪いわけではないけれど、もうこの時点でその境地には居ない。

 

ーーー早速、ご感想をありがとうございます。1978年のデビューアルバムは「全部自分ひとりで」つくってます。もはや意味が分かんない(笑)

 

白川:セルフプロデュースでこの完成度。いや、セルフプロデュースだからこそ、この完成度なんですね。もしかして、コーラスもすべてプリンス1人の声ですか?

 

ーーーはい、自分の声と自分が鳴らした音以外、ファーストアルバムには一切ありません。

 

白川:純度100%、無添加のプリンス。賛美歌すらも、己でつくれるのだと。

 

ーーー無添加プリンス(笑)たしかに!白川さんも、表現活動をされる上で、セルフプロデュースというか、全体を構築するみたいな視点で取り組まれることはありますか?

 

白川:そうですね、これも癖のようなものなんですが、全体を把握しておかないと気が済みません。森を見て、自分の木をどこに植えるかを決めたいので、まず森を人に聴いたり自分で観たりしちゃいます。これに気付いたの、小学生の頃におじいちゃんと将棋をしていたときなんですよ。

 

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ーーー将棋の時に。

 

白川:はい、将棋を始める際の自陣の作り方が、人によって違うことに気付いたんです。まず「歩」だけを集めて並べていく人もいれば、「王将」を先に探して、その周りから固めていく人もいる。とりあえず近いものから取って、揃っている駒なら渡してくる人も。おもしろい具合に、性格が出るんですよ。

 僕の場合は、適当に取って並べながら、相手の陣地も見つつ並べるんです。「あ、香車取ってるから、あとは自分のだな」とか。そうすると、駒が足りてない時に早めに気付いたりもします。そのときに「自分は現状把握をまずいちばんにしたい人間なんだ」と。

 

ーーーなるほど、将棋のフォーマットの中で「その人」が出てしまう、と。で、白川さんは、おじいさんとの将棋の中で、自分の特性を理解されたんですね。

 

白川:そうですね。将棋に限らず、そんな瞬間を見つけるのが好きで。

 

ーーー駒と将棋、そして木と森のお話にリンクする部分なのですが、プリンスの場合、「1曲で世界が完結してる音楽家」というよりも「1曲がまさに将棋の駒のように」全体を形づくっている、そんな側面があるんです。

 

白川:1曲が将棋の駒のように。

 

―――はい、先ほどのFOR YOUにしても、「私は私のせいいっぱいの愛と誠実さをあなたに捧げる」と宣言してるわけですが、次のアルバムにはI FEEL FOR YOU、あなたを探してる、という曲が出てくる。これが世界的に大ヒットしたパープルレインの時代になると、I WOULD DIE 4 Uという4 Uに変化する。「僕の話を心から信じてくれるあなたのなめなら、死んでもかまわない」になる。

 

白川:曲が、意味合いが進化してゆく。これは、プリンス自身の心境の変化と関係があるのでしょうか?

 

ーーー心境の変化の刻印、ジェットコースターみたいなアップダウンを含めて表現するようなところはあったように思います。さらに「変化からも何かを感じ取れるように」しかけてあるような。2009年にはNo More Candy 4 U (もう君たちに与えるキャンディーはないよ)って思いっきり突き放してますし(笑)

 

白川:デビューから30年で、キャンディは切れた。ここで比喩するところのキャンディは、なんだったんだろう。早くも、次の曲が聴きたくなってきました。

 

ーーーでは2曲目を選んでみたいと思います。どんな感じで参りましょう?

 

白川:そうですね・・・、では、プリンスの転換期、分岐点になったであろうと思う曲を聴いてみたいです。

 

―――では、ダーティー・マインドで!

 

 

白川:ははは!これ、チョーカッケー!!!!(笑)

食い入るように4分ずっと観てしまいました。かっこいい!同じ男としても、アーティストとしてもこんなことされると惚れ惚れしますね。

 

ーーーこんなことされると(笑)

 

白川:4分半、つまり一曲分まるまる飽きるどころか、食い入るように観れる。これって、とんでもない所業ですよね。たぶん、普通の人がやっても、ただのミュージシャンがやっても、コントですよ。最後まで観てらんない。でも不思議と、観れちゃう。なんならこのディスコソングに腰が動いちゃう感じ。

 

ーーーあははは、そうなんですよ、もうね、コント、ギャグの領域なんです。裸にスカーフに、リトル・プリンスもゆさゆさ揺れるビキニパンツに、ロングタイツに、ハイヒール。その上にトレンチコートを羽織って、クルクル、クネクネ、わけのわからん奇妙なダンスを繰り広げる・・・変質者ファンションの先駆者。

 

白川:あははは、観るからに分かりやすい!いったいどういう転換をしたのですか?

 

ーーー先ほどのデビューアルバムはつくりこみも完璧な作品だったんですが、当時はジャンルレス過ぎて売れなかったんです。で、セカンドアルバム『Prince』は完全に売りにいったら、ファーストシングルのI Wanna Be Your LoverがR&Bチャートで1位、総合チャートで11位のヒットになったんですね。マイケル・ジャクソンのと首位争いをしたりして。

 

 

白川:ほうほう。

 

―――で、そのままの路線で行けばおそらく「第2のスティービー・ワンダー」、すなわちR&Bやソウル、ファンクの才能ある若手の認知は得られたはずなんです。ところが、3枚目のアルバム『ダーティー・マインド』で大きく舵を切った!変質者ファッション、歌詞もオーラルセックスや近親相姦を題材にした放送禁止アルバムを発表してしまう。そのタイトル曲がこれです。

 

白川:1枚目で己をフルに表現して、2枚目で実績も勝ち取った。そして、3枚目。もしかしてですが、この舵の切り方は時代背景に大きく関係があるんでしょうか?

 

ーーーさすがの視点ですね、時代背景は極めて大きいです。1980年頃は、ロックやフォークは白人、ソウルやファンクは黒人、といった感じで音楽と人種が分けられていました。人種的マイノリティだったプリンスやマイケルは、マジョリティである白人の支持を得ることがメジャーブレイクに必要だったんですね。そこでプリンスは「なんじゃこいつは?」と注目を集める戦略に打って出たんです。ブラック特有のリズム感と演奏能力を持って、当時のパンクやニューウェーヴといったヨーロッパの音楽の要素も取り入れた音楽を出してきた。

 

白川:なるほど、新しい波を受け容れた、とも言えますよね。ヨーロッパの音楽の要素や新しい波だけでない、肌の色や今までの活動、すべてを受け容れて、変化した。まだ2曲しか聴いてないけれど、それでも1曲目の『FOR YOU』で驚くべきほどの完成度を見せていたのに、それらを捨ててまで変化することは並大抵の意志では出来ないように思います。

 プリンスにとって、大切だったのは"そこ"じゃなかった。そのために変化した。プリンスは一体、音楽というものに何を感じていたんでしょう。「よくわかんない変なヤツ」になってまで、やり遂げたいことがあった。それとも、ただ純粋に己を楽しんでいたんでしょうか。

 

ーーーなぜ変なヤツになったのか。これ彼の戦略だったんです。さっきの映像でやたらオーディエンスが映りますでしょ?

 

白川:あ、それとっても気になってました。カメラワークと、それに対するプリンスが仲良すぎるな、と。

 

―――あれ、実はフェイクなんです。

 

白川:フェ、フェイク?

 

ーーーはい、あの時期の支持層はクロスオーバーしていなかったらしいんです。音楽的にはデビュー作から、ハードロックもフォークもあって、完全にジャンルレスだったんですけどね、彼の支持者はブラックがほとんどだったんです、本当は。そこで、映像で先にクロスオーバーさせて、つまりアファーメーションとして「これからクロスオーバーさせっからな、見とけよ」みたいな映像なんですね。で、変態路線で耳目を集めながら「存在としてのインパクトを優先した」という。今でいう炎上商法のような。

 

白川:なるほど、自分が、あらゆるものの交差点となったんだ。音楽を通路にして。たった2曲でここまで聴けて、語れるというのも凄いですよね。縦横無尽に話が展開できてしまう。このあとのプリンスは、いったいどこへ向かうんでしょう。

 

ーーーあまりインタビューなどにも答えずに「???」を打ち出しておいて、映画「パープルレイン」で「これがプリンス!」をわかりやすく伝えてスターになりました。しかしその後も、そこに安住することなく、変化、変化、変化。ある特定のジャンルの住人になることを拒否して、現代音楽のあらゆるスタイルを手中に収めていく、そんな冒険を見せてくれましたね。

 

白川:そうなんですね!興味深いです。どうして僕は、マイケルやボブ、ジョンレノンは大好きで通ってきたのに、彼だけ見過ごしたんだろう。

 

―――今日がその日になりますよう、ラスト曲を選んでみたいと思います。ご希望はありますか?

 

白川:そうですね、処女作、転換期と来たので最後は晩年のプリンスを聴いて、時間軸で捉えてみたいです。

 

ーーーありがとうございます、それでは2014年にリリースされたアルバム『Art Official Age』からオープニングの1曲め「Art Offcial Cage」を。もし可能なら、ヘッドホンもしくは大きめのスピーカーシステムがお薦めです。

 

 

白川:うおお!EDMのようなイントロから、素晴らしいサウンド。こんなところまで行くのかー。今っぽさと昔の感じが上手く混ざり込んでるのもありますね。

こちらは、プリンスの中で最後のアルバムになるのでしょうか??

 

ーーーこのアルバムの後に2枚でるのですが、アルバム『Art Official Age』の拾遺集、後拾遺集みたいな色彩があるんです。活動中に他界してしまったので、その2枚のあと、どのような展開になったのか、謎を残したまま・・・。ただコンセプトとしては『Art Official Age』は一つのマイルストーンであることは間違いなさそうです。アルバム名と、1曲目のタイトルが微妙に違ったの、気づかれましたか?

 

白川:たしかにAgeがCageになってますね。Cageは籠という意味ですか?

そもそもArt Official Age、ってなんなんだろう?

 

ーーーArt Official Age、無理やり直訳すれば「芸術が公式化する時代」ってことになりますよね。でも、音だけ聞くとartificial、すなわち人工的、にも聞こえる。「人工的な時代」でもある。AgeがCageになると、人工的な籠、檻。

 人間表現であるアートの時代になるか?それともスマホやPCに支配された人工的な時代になるか?そして我々は檻の中にいないか?問いかけているんです。白川さんがEDMっぽいサウンドに感じたのも、「こういうのもできるぜ」でもあるけど同時に「こういうのでいいのか?」でもあるわけです。

 

白川:うわー、なるほど。最後に、とてつもない作品。遺していったんだ。なんだかプリンスは、僕たちに、人間に期待している印象を受けるんです。信じてるよ、というか。

 

ーーー人間への期待、その視点は非常に興味深いです。彼の表現の中には「LIFE」、その対概念としての「死」や「終わり」も頻繁に出てくるんです。『Art Official Age』に収録されているWay Back Homeという曲にちょっとゾッとする歌詞が出てくるんです。「この世の多くの人は生まれながらにして死んでいる。でも僕は生きるために生まれた。」

 

白川:生きるために生まれた。

 

―――人間の賢さも、愚かさも、ブライトサイドも、ダークサイドも、喜びも悲しみも含めて「人間らしく生きる」への愛や肯定があったんだと思います。ただその愛は「まあ、人間なんだから楽しくやりましょうよ」みたいなぬるい感じじゃない。人間の不完全性を理解しながらも、魂を殺さずに生きる様を見せるというか。おそらくは彼自身を含めた「人間の可能性への期待」のようなところでしょうか。

 

白川:人間の可能性への期待。なんでしょう、「勝手に期待されても・・・」と表面では思いつつも、奥底では感動してしまう。以前、ほぼ日刊イトイ新聞さんに掲載されている、矢沢永吉さんと糸井重里さんの

ほぼ日刊イトイ新聞 - 上がりたかったんだ。E.YAZAWAの就職論

の中で、矢沢永吉さんがこんなこと言ってたんです。

 『人のせいにしちゃダメだよ。周りのせいにしちゃダメだよ。そして、いま言ったことは、俺もそっくりそのまま、自分に問いかけるから。』

 僕、もう、涙をこらえちゃって。「そんな約束されても・・・」、なんて戸惑いながらも、矢沢永吉ほどの人間が、「おれも守るからお前も守ってくれよ」と言ってるんだ、って。その期待というか、彼の約束に胸を打たれたことを思い出しました。

 

ーーーそっくり自分に問いかける・・・読者であった白川さんにも約束が届いた。おそらく矢沢さんは「YAZAWA」を。プリンス・ロジャース・ネルソンは「PRINCE」を創造した。その時に他に求めなかった。先ず真っ先に自分に求め、ずっと自分に求め続けた。おもえば、矢沢永吉さんも「曲」よりも「存在」が超えちゃうイメージがありますね。

 

白川:おっしゃるとおり、そんな印象はありますね。

 

―――偶然にも、Art Official Cageのイントロで「紳士淑女の皆様、王様たち、女王様たち、そして全ての皆さん!僕の教室へようこそ。あなたは今、人生を永遠に変える授業にきています。さぁ、檻を開きましょう。」という意味のデンマーク語でナレーションが入るんです。矢沢さんのメッセージで、白川さんは何かを受け取った。プリンスの世界もまたひとつの教室だったような気がします。

 

白川:まさにそう思います。そしてプリンスが亡くなられた今、そして命日である今日に時代を経て、何かを受け取ることができた気がします。

 

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ーーー今回は、20代の若き表現者といろんな対話をさせてきただきました。白川さん、いかがでしたか?

 

白川:いやあ、楽しかったです。なんていうでしょう、いい意味での「添加物」が盛りだくさんだったというか。料理で例えると、純粋に食べ物そのものを味わってることって、実は意外に少ないんじゃないかと思っていて。

 「これは気仙沼で今朝獲れたサンマなんだよ」とか「同じウニでも、〇〇産のはよりクリーミーでね」とか。何日も食べれなかった後のなんてことないおにぎりがとっても美味しかったり、お袋の味なんてのもそうです。味そのものよりも、知識だったりシチュエーションだったり思い出だったり、ある意味食材とは別の添加物と一緒に味わってるなと思うんですね。

 まさに今回のプリンスはそんな感じでした。曲の裏話や時代背景、プリンスを初めて味わうぼくのリクエストを聴いてもらいながら3曲を紹介してくださった。それらと一緒にプリンスを聴けたのが、とっても良かった。もちろんそれは、プリンスという素材の素晴らしさありきですし。今までプリンスを聴いてこなかったのは、「今日出逢うためだったんだ!」と思ったぐらいです。

 

ーーーおっせかい企画、やってよかったです(笑)言われてみれば、あんまり味では覚えてないですね。誰と食べたとか、店の親父のキャラとか、どんな会話したとか、そんなのとセットとしての「食の記憶」のような。アートも、音楽も、映画も、スポーツなんかもそうかもしれないけれど、やっぱり「出逢い」あっての名作であり、名試合ですよね。絶世の美女も、誰からも知られなければ美女ですらない、というのと同じで。英語圏では現代版のモーツアルトとして認知されてるプリンスですが、日本では伝わる機会が減ってしまえばしまうほど、どんどん過去の人になってしまいます。そんな状況の中で、若者に彼の音が届いたというのは、言葉にできない感動がありますね。

 

白川:僕はこれからプリンスを聴くたび、プリンスの話をするたびに、今日のことを思い出すわけですから。特別な出会いにしていただいて、心からありがたいなと思います。残念ながら、プリンス自身がもうこの世には居ないので、プリンス自身は塗り替えられませんが、プリンスを通してこれからの僕は何度も塗り替えられ、更新されます。そういう意味では、ぼくにとっては過去の人どころか、これから関わる人になります。そのきっかけをいただいた。

 

ーーーそうか、白川烈という若者にとって、彼は新しいんですね!それは僕にとって希望の言葉です。たしかに彼の音楽は「伝統と革新のお好み焼き」のようなところがありました。古さと新しさを掛け合わせることで、世代を超えて語り合えるギフトを遺してくれたんですね。偶然にもこの対話は彼の旅立ちの日(4.21)に行われていますが、終わりは始まりでもあったんですね。

 

白川:心から好きなものを語っている人には、自然と耳が傾いちゃいますから。プリンスの引力もそうですが、紫大学さんの「好きの引力」につられて、ついつい聴きたくなることを聴いてしまう。好きなものを語っている人は分かりやすくキラキラしているから、どうしてもそっちに目が行きがちなんだけど、それをきちんと相槌を打ちながら耳を寄せている人も同じくらいキラキラしてる。なんだか久しぶりに自分がそう在れたような気がして、嬉しくなりました。

 

ーーーありがとうございます。インタラクティヴ(双方向)の重要性を改めて感じるとともに、読んでくださる皆さんにもキラキラ感が伝われば嬉しいです。ヒーローのリアルタイムの後をどう過ごせばいいのか?暗中模索ではありましたが、おかげで光が見つかったような気がします。ありがとうございました!

 

白川:僕も、これから何度も何度も聴くことになるでしょうし、違う曲を聴いてどんなことを思うのか、また時間が経ってどんなことを感じるのか。楽曲を通じて手ほどきを受けながら、プリンスという芸術家を通じて、新しい自分に出会えることが楽しみです。こちらこそ、ありがとうございました!

 

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(構成・編集 Takki)

パープルインタビュー/ラジカル鈴木氏(イラストレーター) 表現系01

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独自の世界観をもったイラストで衝撃を与え続けるラジカル鈴木氏。プリンスを創造の師と仰ぎ、クリエイティヴ道を歩み続けるラジカル氏にとってのプリンスとは?

———ラジカルさんがプリンスを聴くようになったきっかけを教えてください。

ラジカル:プリンスファンになる前は、映画音楽ファン、洋楽ファンでした。兄の部屋のステレオで聴いたザ・ビートルズ、ベイシティ・ローラーズ(!)なんかから入り、小〜中学生のときはFMエアチェック小僧で、ビリー・ジョエルがヒットを連発しててハマって、なんつっても一番好きでした。放課後に友達の家に入り浸って、ステレオで大音響で聴いて、タバコを吸っちゃったりしながら"これがロックなんだ〜"なんて思ったもんです、可愛らしかったですね(笑)。

 でもね、“ピアノマン”じゃないですビリー・ジョエルって。プリンスとの共通点は実は結構あると、後年気がついたんです、その話はまた別の機会にしたいですけど。他はデビッド・ボウイも好きでしたね。ボウイにはもっと、アート心をくすぐられるというか、言わばトリック・スターでまったく別の存在でしたけど。

 

 同時期“ダーティ・マインド”の頃、音楽雑誌で始めてプリンスを知りました。モノクロで半ページくらいのスペースで、例のコートとバンダナ、ストッキングの格好の写真で、何かとってもショキングなヤツがいる、という紹介のされ方でしたが、まだ音楽を聴くには至りませんでした。それから少々経て本国で"パープル・レイン"が大ヒットし始めると曲もFMでガンガン流れ初め、何だか凄い音楽をやる奴なんだな〜、と気になり始めました。ヒットしているにも関わらず、当時の80年代のヒットチャートの曲とは明らかに違う何かを感じたのです。
 

 濃厚というか、渦巻く情念というか、そして過剰なまでのリビドー、良識からハミ出す何かヤバイものを・・・そして、映画「パープル・レイン」を観たのが決定打となりました。出身地・春日部にあった“春日部文化劇場”で、高校3年生のとき『フットルース』(1984)と2本立てでスクリーンで観てもう、その存在の虜に!!! 『フット〜』の記憶はどこかへ完全にフットびました。で、それまで発売されていたアルバムは全部買い、もっともっと聴いて観たくなって、当時まだ日本ではプリンスのソフトはレコード以外は皆無でしたから、1985年の米ツアーのライブビデオを輸入で取り寄せ、悶絶・・・・!!! なんというエナジー、なんという才能の塊なんだあああ!!!!

 “アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ”、“パレード”と、リリースされるのを予約し発売日にレコード屋に駆けつけ入手、むっちゃドキドキしながらターンテーブルに載せたのも良い想い出です。そのペースの早さと、ことごとく前作とは違う音楽世界、変化に驚きの連続でした。それまでのものを一切守ろうとしていない、捨てては新しく生まれ変わるその潔い姿勢!!! こんなメジャーアーティストはそうそういない!!!!

 KISSがチャートNo.1で席巻の'86年、プリンスが来日するのを知ったときは、もうこれは、何を置いてでも行きたい!!! と、春日部ロビンソンのちけっとぴあに走りました。春日部から横浜・関内の横浜スタジアムは当時たっぷり2時間かかり、めちゃ遠かったけれど2日間、足を運びました。生で見たプリンスは・・・もう神を現実に見てしまった、というくらいの体験でしたね〜〜〜、これだけで一万文字くらい楽に書けます(笑)。

 それから海賊盤屋を漁るようになり、レコード、カセットテープ、プリンスの載ってる向こうの雑誌も買いまくって、イケないものを入手してしまったかのように異様に興奮しました。妖しげなプリンス専門通販屋から毎月DMが来るようになって、やがてそれはEメールに変わり・・・一体いくらお金使ってきたのやら・・・。

 また、彼の音楽ルーツであるJBやジミヘン、スライ、Pファンク、キックレオール&ココナッツ、T−レックス、サンタナ、ジョニ・ミッチェル、その他もろもろも、同時期に聴き始め・・・プリンスは、それまで僕の知らなかった音楽の世界への、興味のドアを大きく開けてくれた存在でした。それだけでなく、影響は僕の中で"ただの趣味"の範疇を遥かに超えていきました。プリンスの持つクセや"イズム"(リズム?)が僕の思考、志向、嗜好にピッタリマッチしていったのです・・・。

———なるほど、趣味をはるかに超えて、プリンスの世界に飛び込んでいったわけですね! ラジカルさんの人生において、プリンスの楽曲が救いとなった例はありますか?

ラジカル:飛び込んでいったといいますか、ある意味プリンスを媒介として自己探求を始めたとでもいいますか・・・彼の音楽全部、行動、存在、統べてが救いで、日々の励みでした。彼の曲を聴いていると、前向きになれるんです。外見やアートワークに反して彼のメッセージは純粋なんですよね。1曲1曲例を挙げていったらきりがないんですが、曲"パープル・レイン"は「よくぞ自分が生きているこの時代に、これを発表してくれた。自分はなんてラッキーなんだろう」と思っています、多分もう1,000回以上は聴いてきたと思います(自分で歌ったりもします^^)。

 

 

 

「ザ・クロス」も特別な曲です。映画『パープル・レイン』もそうですが、悶々としていた20代前後、自分がちょいと行き詰まって、辛いなあ、苦しいなあ、というときに何度『サイン・オブ・ザ・タイムズ』のアルバムとビデオで救われたか判りません。「左にゲットー〜右には花畑〜我々は皆問題を抱えている〜大きいのやら小さいの〜もし信じるなら〜その問題は消えてなくなる〜 死ぬな〜ザ・クロスを知る前に」ってな歌詞に涙し、明日からの活力をもらっていました。無宗教のつもりの自分にとって、まるで教会のような機能をしていたのです。その後も、彼のスピリチュアルな曲はどれも特に大好きですね

 

 

 


———おおお、プリンスを媒介とした自己探求。そして救いであり、励みだったんですね!今現在のご活動は、プリンスに触発された部分があったのでしょうか?

ラジカル:プリンスなしでは今の自分はありません!!!! ユーアーエブリシング!!!でしたよ。ただ、依存したままではダメだと思っていましたね。どうやって自分の道を見つけたか - プリンスに手を取ってもらって、"それ"を見せてもらったんです^^

———プリンスがプリンスであったように、ラジカルはラジカルとして道を見つけるべきだ、と意識されたわけですね?

ラジカル:その通りです。誰かのインタヴューで「彼には、すべてを常識や借りたものではなく、自分流にしていくことを学んだ」と言っているのを読みました。激同感ですね。

———確かに、プリンスも自分の音楽をそのまま真似する人たちを嫌いましたね。自分に出来ないものを聴きたい、と。ラジカルさんの作品にある生命感や、毒も含めた存在感も独特ですね。

ラジカル:ヴィジュアルの表現に関しては、彼から直接の影響もあるけど、元々僕の中にあったものです。彼は"それでいいんだよ"と言ってくれました。(スターフィッシュ・アンド・コヒーの主題!)

 また、自分が自分のオーナーシップを持つ、みたいなことも彼から教わりました。たとえ間違っていようとも、やりたいこと、やりたくないことの責任は自分で持つ。やっぱりつくる者、つくりたい者にとって超強力なインスピレーションですよね。お手本、これほど見事な師はいないと思います。

———海外では芸術家、アーティストとしてリスペクトされていますが、日本での認知度や評価をどのように感じられますか?

ラジカル:不満です!まあ、以前と比べたら雲泥の差ではありますけど、一般には、未だに多くの人が先入観に支配されて、彼がどれほど偉大か、真価が知られていません。軽んじられています。まあ、敢えて彼はチープで猥雑なイメージを用いて、間口を狭くしているのだとは思いますけれど。その"先入観"にこそ、果敢に挑んで来たのがプリンスです。

 また、本当は魅了され、プリンスの凄さを十分解っているクリエイターも、口をつぐんでいる場合が多いような気がします。何故でしょうね? 彼には圧倒的に敵わないからでしょうか。素直ではないですね。エリック・クラプトンの素直さを見習って欲しいですねー。

———確かに、エリック・クラプトンはプリンスの先輩格にも関わらず、いかに彼に刺激を受けたか、また救われたか、語っています。ラジカルさんも、プリンスに影響を受けたことを公言することで、表現者としていかに偉大な存在かを世に伝えていらっしゃると思います。Words O Princeのプロジェクトを、ラジカルさんはどのように感じられましたか?

ラジカル:とても有意義なことだと思ってます!! 彼の凄さ・真価をより多くの人に判ってもらいたい、その志の高さ、自由さ、感性、ユーモア、COOLさ、素晴しい感動を・・・貴男貴女の世界はグ〜ンと広がります! 触れることによって、人生はより豊かなものになるでしょう。知らなきゃ、もったいない!!!

———ラジカルさんは、書籍にワン・アンド・オンリーなプリンス・アートを提供されていますが、ラジカルさんにとって、「プリンスを描く」というのはやはり特別な思いはありますか?

 

ラジカル:もちろんです、自分にとってもの凄く大きな存在を描くわけですから。多彩な音の表現を展開していたプリンスみたいに、自分も様々なタッチを駆使して描きたいと思いました。

 

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———最近、プリンスに興味を持った方や新しい世代に、「あくまでも入門用として」1枚(1)セットだけ、オリジナルアルバムを薦めるとすればどれにしますか?(ベスト盤以外)、またその理由も聞かせてください。

ラジカル:「Musicology」です。まず表題曲が軽快でキャッチー。他の曲のラインナップも、アメリンポップス&ロック&ファンクの王道的なテイストが多く、聴き易いと思います。「プリンスって、普通じゃん!」 みたいな。彼は意図的にアメリカの聴衆に向かってこれを作ったんじゃないかと思ってます。ちょい久ぶりに大ヒットアルバムになりましたもんね。この時のツアーも同様、バランス感覚がハンパなく、楽しく、感動的で、最高でした。NYのMSGまで観に行ったんですが、このとき観たのが僕の生涯ベストライブであるのはこれからも揺るぎません。

 

 

 あと、「One Nite Alone...Live!」のBOXセットに入ってる、ピアノ引き語り曲が中心の「One Nite Alone」、これを薦めたいです。これはプリンスをあまり知らないヒトの漠然としたイメージを十分くつがえずでしょう、「彼は本当のミュージシャン、アーティストなんだ」って。僕やっぱり、ピアノの音色が好きなんです。だから、ピアノ&マイクロフォン・ツアーは、観たかったですね・・・・何とも、残念極まりありません。。。

 

 

 


———とても興味深いセレクトに感じました。今後プリンスファムとしては、何を発信し、どうしていきたいですか

ラジカル:いわゆるスタンダード、ホントに凄いものは、時間や時代を超えますよね。彼の仕事のクオリティは過去も現在も未来も超えています。彼の活動や音楽が古くなっていく心配はまったくしていません。しかし、これからもじわじわと長い時間をかけてでも、興味のないヒトにも彼の真価をもっと浸透させる者の一端にはなりたいです。無理強いはしたくない、無理に奪いたくはない、けど。やっぱり「自分は自分らしくある」っていうのが最もやらなきゃいけないことかとは思います。自分自身があの十代の頃の情熱を持ち続けること。それが結果として、Uを紫の雨の中に手を引いていくことになるのではないかと・・・。”死は、リアルタイムで作品をリリース出来ないということを意味しない”なんて意味深な発言もありましたね。彼は、彼の精神はまだまだぜんぜん生きている、と思っています。むしろ、ある意味スタートラインなのではないかと

 僕にとって、プリンスは永遠の師ではありますが、まあ、彼のように生きるのは正直しんどいです(笑)、とてもじゃないけど、なかな真似できやしません。アンドレ・シモンがプリンスから離れた後に発言したように、「冗談を言いながらダラダラとジャムったりする、そういうのも良いもんだと思ったよ。プリンスのバンドには全くと言っていいほどそういう雰囲気はなかったから」って、僕もただの凡人ですからあまりにも判る(笑)ついお酒のんでサボっちゃうし(笑)。でも、志だけは忘れたくない。それを知っているのは素晴らしいことですから。これからも、どうしたら“Face”でなく魂”が救われるのか、梯子を探し続けます。

 

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ラジカル鈴木氏 

twitter.com

 

(構成・編集 Takki)

 

プリンス 7 つの質問  12 井上 ミウ

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1.あなた自身を紹介してください。

 

井上 ミウ、国籍は日本です。職業は、コンテンポラリーダンサー、パフォーマー、アロマセラピスト、調香家です。好きなことは、踊ること、植物を育てること、発酵、映画、絵を描くこと、歌うこと。イメージすること。何かを作ること。生きることの全てです。

 

2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 ベストヒットUSAという番組で、すごく魅力的なのにPVが流れず、アルバムジャケットしか映らない曲がありました。しかも、3曲です。そのアルバムジャケットにすら、アーティストの姿は写っていない。紫色で何かゴチャゴチャと絵が描いてある。

  曲名は1999、Little Red Corvette 、Delirious。刻むビートの合間にひょいっとひとつ爪先で飛ぶような、聴いたこともないリズム。その爪先はラテン音楽のような絶妙なキックで、私の心臓を蹴るようでした。なんだかドキドキして胸が痛かったです。程なくラジオで、そのアーチストが「25歳の天才少年プリンス」と紹介されるのを聞きました。私より11歳年上の、まるで少年のような妖しい人でした。

 当時私はデヴィッド・ボウイのアルバムを集めていて、お小遣いが足りず、駅前のレンタルレコード屋から『1999』を借りて来ました。レコードに針を落としたのですが・・・。

 「この人はどうして私のことをこんなにもわかっているのか」と思うほど、プリンスのビート感は私の心臓と同じだったのです。フレーズがループするごとに、螺旋を描いて私の中を昇っていきます。小学時代はディスコ全盛期、そこからパンク、ニューウェイブ、グラム、ゴチパン、ノイズと音楽の嗜好は広がったけど、これほど踊る衝動が沸き起こるのは初めてでした。胸が締め付けられるのに、踊ることをやめられないのです。

 

 そしてアルバム後半、『Free』。歌詞はほとんど理解出来ないのに嗚咽がこみ上げて来ました。プリンスが「Free」と発する度に「自由」の困難さと、切望を感じて・・・。

 

 

  80年代初め、地域の中学はかなり荒れていて、1年の段階ですでに教室の窓ガラスは割られ、授業中は後ろのロッカーが燃えていました。教師が生徒たちを追いかけるたびに、授業は中断されました。ただ教員であることだけに胡座をかき、成長をやめた人たちと、それにNOを突きつける、甘えた子供たち。私は、どちらにも共感出来ませんでした。日常的に暴力がある環境で、私は顔に火傷を負って、次第に人と上手く話が出来なくなっていきました。
 だから必死で、毎日必死で、自分と世界の境界の壊れてしまう外壁を、塗り固めて修復して、なんとかその日を生きていたんです。叫ぶように歌う彼の声は、私に「生きていてもいいよ」と、言ってくれるようでした。性的な表現も含め、「生きていることを全肯定してくれている」ようだったんです。

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 ひとつめは、ドイツに来て2年目の夏のことです。苦しかった思春期をPRINCEをはじめとする音楽に救われて、表現することで自分を見つけ、それを生業としたんですが、体調を崩してしまい半年ほど引きこもったんです。

 「このまま自分はダメになってしまうかも知れない。だったら、その前に国境を見よう」と思い立ち、北京からシベリア鉄道に乗り、友人のいるドイツへ、バックパックを背に一人旅をしました。22歳の時のことです。ソ連最後の年、初めて見た国境は驚くほどのどかで、緑が美しかったです。そのドイツで、ルドルフ・シュタイナーアントロポゾフィー人智学:19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツ語圏を中心とするヨーロッパで活躍した哲学者・神秘思想家のルドルフ・シュタイナー1861年-1925年)が自身の思想を指して使った言葉)に出会いました。今までとは全く違う表現「オイリュトミー」(ルドルフ・シュタイナーによって新しく創造された運動を主体とする芸術)に惹かれ、そのまま学校を決めて留学してしまったのです。一言もドイツ語は分からない状態、辞書と首っ引きの日々でした。

 夏休みを利用して語学学校に通っていた時のことです。長期休暇に旅行を兼ねて語学学校に通うのは、ヨーロッパでもよくあることで、そのクラスもクロアチアからブラジルまで、国際色豊かでした。仲良くなったメンバーで、森でピクニックをすることになりました。

 私はスペイン・カタルーニャから来たエスタという女性の車に乗って森へ向かいました。出逢った時から、彼女に惹かれるものがありました。スペイン語で「星」を意味する名前の彼女、エスタがカーステレオにカセットテープを入れ、「これは私のテーマ曲よ」と言った次の瞬間、『Let’s Go Crazy』が流れたんです。世界が、急にいきいきとし始めました。

 

 

「ああ、そうだ、私はプリンスファンだったのだ!!」

 

 と、思い出したんです。ドイツに来てからは、授業で使うバッハなどのクラシック音楽や、ゲーテやシラーといった詩にどっぷり浸かっていて、1年以上プリンスを聴いていなかったのです。プリンスのドイツ公演の広告を横目に見ながら、室内楽やオペラ、バレエの舞台ばかり見ていたんです(学生なので安かった!)。あ、でもソニック・ユースだけは行きました。前座はなんとあのニルバーナでした。

 海外暮らしの2年目、内なる日本的なものと、外側のヨーロッパ的な世界観とのギャップに苦しむようになりました。このまま頑張って何年もここで学ぶべきなのか、悩んでいたんです。それが、プリンスを聴いたとたん、「あー、私、自分の表現をしなくちゃダメだ」と気がつきました。自分の言葉(表現方法)でちゃんと自分を語らなくてはダメだ。それが世界を語ることになるんだ、と悟りました。これを機に、自分なりにドイツでの学びに終止符を打ち、半年後、日本へ帰ることになりました。そしてまた新たに、自分の表現と向き合い始めたのです。

 

 ふたつめは、長男が生まれた時のこと。帰国して結婚し、子供を授かりました。
先天的に重い障害を持って彼は生まれました。NICU新生児集中治療管理室)に長期入院となり、手術を繰り返して・・・。長男を救う情報が欲しくてインターネットを繋いだ。まだ電話回線だった頃です。けれど、どうしても辛くて障害についてのワードを検索に入れられす、プリンスと入力しました。何のページからか忘れてしまったけど、渋谷のクラブでプリンスだけをかけるオールナイト・イベントがあると知りました。

 子供の入院している日程だから、家から出ることができる!踊りに行こう!しばらく夜遊びもしていなくて、まるで王子様のパーティーに向かうシンデレラの気持ちでした。初めて爆音で聴くあの曲、この曲。ここにいる人、みんなプリンス好きなのか!みんな踊り上手で、朝まで踊り倒していました。その中の1番踊りの上手い男の子(笑)から、ファンなら絶対に行くべきサイトとして、NPG music siteを教わりました。そこから一気に世界が広がり、たくさんのプリンス・ファムに出会うことになりました。

 現実世界では、医療器具を持ち込んで子供の在宅介護が始まりました。睡眠時間が短く、家から出られない日々を、プリンスの音楽と、それを一緒に楽しむネット上のファムの存在が救ってくれました。サタデーナイトフィーバーのジョン・トラボルタのように、普段は介護(育児のつもりなんだけど)でボロボロでも、たまに行けるプリンス・イベントのダンスフロアでは"Baby I'm a Star"でした。夜毎のリスニング・チャット、プリンスのRPGゲームのようなサイトの攻略、ネットを介してやっとファムは自分一人じゃなかったことを知りました。
 そして、最後の来日公演となった2002年O.N.Aツアーを迎えました。私にとっては初めてのライブ。それまでは好き過ぎてライヴに行けませんでした。プリンスとの遠い距離を思い知らされるようで・・・。チケットを取るまでの大騒ぎは、プリンスの会員制音楽クラブ・NPGMCのメンバーの協力なしには乗り越えられませんでした。

 私は思い切って子供が生まれた時からお世話になっているケアマネージャーさんに相談しました、「私はプリンスのライブに行きたい」と。こんなことを相談していいものかと、とても悩みながら。でもケアマージャーは、そんな私を非難することなく「行ってらっしゃい!」と1週間子供を預かってくれたんです。これは緊急一時預かり、ショートステイという制度で、今では障害を持つ人をケアする家族にとって一般的なことになっています。

 こうして臨んだ東京フォーラム、浜松、武道館2日の4公演。浜松公演では、ステージに上がることが出来ました。すぐそばに、プリンスがいました。キーボードをはさんで向かいにいる、彼の指が見えました。「気を失うっていうのはこういうことか!」と思うほど、サーっと血の気が引きました。「これは夢じゃないのか?」曲は"All the Critics Love U In New York”。初めて聴いたアルバム『1999』、あの子供だった頃夢中で聴いた曲。私は今、その曲で本人と踊っている。信じられる?あの頃の私に言っても絶対に信じないと思う!!「生きていていろんなことがあったよね、でも生きているとこんなこともあるんだよ」、なんだか彼にそう言われた気がしました。

 曲が終わって私の前を通る時、プリンスはそっと短い握手をしてくれました。彼の手を私は一生忘れないでしょう。

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? 

 

“Diamonds and Pearls“

 

 「もし僕が真珠とダイヤモンドをささげたなら、君は小さな子供のように喜んでくれるだろうか」

 PVでのクラシカルなダンスがよく似合う、ロマンチックな曲です。ゲストボーカルのロージーが、そのロマンチックさを、外へ外へと開く力を与えています。私が本当に辛い時に、真珠とダイヤモンドをプレゼントしてくれた人がいました。「まるで歌の通りじゃないか!」と思いました。その人は曲を知らなかったけれど。

 

“Purple Rain“

  

 電話でかなりシリアスな話をしていた時、急に英語の何かの放送?が混線し始め、ラジオDJが何か曲紹介をして“Purple Rain“が流れました。最初の静かなギター。波のようにかき鳴らし、寄せては引いていく・・・。それだけで、それまでのトゲのある深刻な空気は、どう表現していいのか分からないが、「清らかになってしまった」気がしました。訳がわからず、ふたりして会話を止めて雑音の混ざるPurple Rainを聴いていたのです。

 いろんな友情や愛情の終わりがあります。後悔もあります。でも、Purple Rainは始まりも終わりも全てを肯定する力のある曲です。「ただ、君を見ていたかった」人と人の出会いはそれが全てなのかもしれません。まるでフィクションのような話です。

 

“Sometimes It Snows in April“

 

 2019年の11月に長男が亡くなりました。

 入院はしていたが、本当に急なことでした。主治医の病院ではなかったため、彼はその地域の警察署に置かれることに。一晩経って朝、安置されている場所へ、家族を乗せて私が車を運転しました。1時間余りの移動時間、運転中はなるべく集中出来る様に、いつも通りプレイリストをかけました。息子の元へ着く頃、この曲が流れました。静かなピアノとスキャット、優しい、でも少し諦めたような歌い出し。ところどころマイナーコードを思わせながら、なぐさめるようにそっと曲は進みました。

 

「時には4月に雪が降るように、時には心が沈むことだってあるよね」

 

 静かに車の中に歌が響いて。街の音が重なりました。そして、目的地が近づいてきます。ウィンカーを点滅させて駐車場に入ると、涙があふれました。エンジンを切って、息子に会いに向かいました。まるで一編の映画のようでした。

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか? 

もちろん、トップはシーラ.E。

チャカ・カーン
キャンディ・ダルファー
なども、彼が関わらなければ、聴くことはなかったかもしれません。

この3人に共通に感じることは、プリンスに関わっても「取り込まれなかった」こと。
自身がミュージシャンであることを揺るがせない、強い存在感があります。

シーラの楽曲では「Glamorous Life」が本当に好き。シーラのソロ来日公演は、高校生の時にちゃんと行きました(プリンスは行けなかったくせにw)ラテン的な焦燥感。焦がれるように、タイトに心臓を高鳴らせるパーカッション。蹴り上げて鳴らすステージ・アクションにも惚れました。

 

 

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

私の人生の中で、何度でも、何度でも彼は気付かせてくれます。
「自分自身であれ!」と。

そしてまさに私にとって「ぼくはメサイヤ。君がその理由」でした。

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?


音楽ネット配信の時代になって、子供達の年代も、親世代の影響なくPRINCEに出会っています。自分の好きなミュージシャンが、あるいは尊敬する人が、「好き」って名前を挙げていたら聴きますよね。彼に影響された人は、大きな声で彼の良さを語って欲しいです。そして、楽曲も気軽に耳にする機会を。PRINCEを愛するミュージシャンたちがカバーした楽曲も、新しい人に届くだろうし、それが何より楽しいです!

 

 

miu (@ohya_sinju) | Twitter

 

パープルインタビュー/服部暁典氏 音楽家01

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演奏家として、音の職人として、表現者として、そしてファムとして。プリンスを深く研究し、自らの音楽も追求する服部暁典氏。彼の見識は、それぞれのプリンスの旅に深みと気づきをもたらします。プリンスにインスピレーションを受けながらも、自身の音楽を追求する服部氏のプリンス観とは?

ーーー服部さん、プリンス好きになったきっかけはどのようなものですか?

服部:当時大はやりだったビリヤード場(プールバーみたいなお洒落なとこじゃない…)でのレーザーディスク・ジュークボックスで「Partyman」のPVを見たことです。なんだこのバカ映像は…!と。しかも演奏は単純。スカスカ。なのになぜか気になる…。なんだこの気持ちよさは…。気がついたら元に戻れない身体に・・・(笑)

 


ーーーあははは。バカ映像!演奏単純!服部さんおっしゃるようにプリンスの音楽には「なぜか気になる」ある種の中毒性があると思うのですが、服部さんはその秘密をどのように分析されてますか?

服部:その曲に必要な要素を、本質的に必要な音を、プリンスは見極める能力が異様に高いからだと思っています。

 例えばですが”Sticky like glue”や”Black Sweat”は「これ以上音を差し引いたら曲が壊れちゃう」というレベルまで音数が少ないけど、普通に聴いている分にはそれを意識させません。音の数が必要最小限である上に、「ここに、この音が必要だ」、という判断能力も高いです

 

 

 

 

 このことは「必要な音を見極める能力」と「必要な場所を見極める能力」は表裏一体の才能ですけど、ここまで双方の才能がバランスよく、かつ高い次元で一人の人間の中に存在するものかなぁ?といつも思います。

ーーーなるほど、絶妙なバランス感覚がプリンス・ミュージックの鍵のひとつ、というわけですね。服部さんはプロの音楽家であるわけですが、音楽製作側の立場から、「この曲は創り手からすると、実は相当凄い」的な例がありましたら解説を頂けますか?

服部:先に書いたSticky like Glue、Black Sweatも飛び抜けた曲ですが、やはり「KISS」は次元が違います。あまりに有名曲であまり意識しませんが(笑)。

 

 

 よく言われることですが、ベースが鳴ってません。When Doves Cryで前科があるとは言え、通常考えられる判断ではありません。もちろんヴォーカルパフォーマンスが過剰にドラマティックなのでまったく寂しい感じはありません。

 そもそもこの曲はほぼブルースのコード進行そのもので、ポップスの原初形態のブルースをほとんどそのまんまでチャート1位に放り込むこと自体が偉業です。古くさいブルースを新鮮に聴かせている理由のひとつが「ベースがいない」ことです。

 

ーーーファンク・ミュージックの要であるベースがいない!


服部: そうなんです。そして、もうひとつの理由はドラム。LINNドラムのキック(バス)ドラムとスネアドラムしか鳴っていません。普通は、グルーヴを印象づける重要な役目をするハイハットというシンバルの仲間も鳴るのですが、この曲ではあまり目立たずタンバリンのようにやや補助的な立場にいます。つまりドラマーが考えるようなドラミングではないのです、まったく。キックとスネアがドーンと真ん前で鳴っててくれればこの曲は成り立つのだという、ものすごい「引き算のアレンジ」です。

 

ーーー引き算のアレンジ。

 

服部:さすがにキックとスネアとヴォーカルだけではハーモニーを感じにくい(=感情移入しにくい)ので、ワウギターがデュエットヴォーカルのように主役の立場にいます。もうこれだけでOKなところにスパイスをひと振り、キックとスネアにかけられたリバースリヴァーブ。おかげでどんなに騒然とした呑み屋ででも、わずかにスネアやギターのフレーズが耳に届けば、KISSは「あ、プリンスの曲だ」とわかる程の個性を得ています。トレードマークになる音やフレーズをこれでもか!と投入するのではなく、「この曲はこれで充分」と見切ること、曲が曲として成立する最低限必要な音を見つけること、ここに「作家としてのプリンスの凄み」があるのです。

ーーー作家としてのプリンスの凄み!服部さんの解説を伺って、プリンスのあの代表曲を聴くだけでも、新たな発見や曲の違った側面が感じられます。同じ曲が違って感じられる経験につながるんです。服部さんはプリンスを語り継ぐNew Power Talkライヴにも登壇されましたが、その時の様子を「多幸感」という言葉で表されていましたね。そのときの印象について、聞かせてください。

服部:我々のようなマニアになると、同じレベルで話し合える、共感しあえる友を得にくくなります。致し方ないこととは言え、鬱憤を募らせていましたが、あのトークイブですべての欲求不満が浄化されました(笑)。

 誰かと共感しあえる喜び、知的欲求を満たせる喜び、何よりもプリンスを通じて繋がる縁。これを多幸感と言わずして何と言うのか(笑)。

ーーーたしかに(笑)海外では芸術家としての評価を得ているプリンスですが、国内の評価についてはどのように感じていらっしゃいますか?

服部:個人的にはずいぶんとプリンスの評価は高くなったと感じています。転換点はやはり改名騒動の頃でしょうか。「いろいろ言われているけど、そもそもこの人すげえ!」という認識が広まったように思います。

アルバム『COME』を知り合いのミュージシャンがすごく高く評価していて、しかもその人はずぶずぶのジャズ・ミュージシャンで、これまでプリンスなんて聴いたこともない!という人だったのに。日本国内ではそういう小さい事例がたくさん積み重なってきていると感じます。

 

ーーーなるほど、他ジャンルにも真価が伝わり始めた、と。


服部:音楽の領域では、そう感じますね。

プリンスがビートルズスティーヴィー・ワンダーのように「誰からも批判されない」状況はあり得ないと思うのです。プリンスはそういう空気をかき回す人ではないか。

 モントルー・ジャズフェスティバルに出演した時だって、「なんでジャズフェスにプリンスなんだよ。あいつジャズじゃねーじゃん」という批判はあったと思うけど、いざ演奏してみれば、強烈なオリジナリティと常に自身をブラッシュアップし続けるという意味では、昨今のどんなジャズミュージシャンよりもジャズだったというオチを付けてくれた。

 

ーーージャズよりもジャズ!

 

 

服部:そうです。「本質を理解していない批判」に対しては常に実力で落とし前を付けてきたプリンス。これからも音楽の本質に気付いた人たちから高く評価され続け、長い時間をかけて浸透していくと思います。

 我々はプリンスに関する(おこがましいけど)生き字引として、そういう目の覚めた人たちに対して正しい情報を発信できるよう常にスタンバイしておくこと、そしてその状況を長く維持することが肝要だと思います。

 

ーーーなるほど、正しい情報のスタンバイ。


服部:若いミュージシャンはともかく、プリンスと同時代に音楽活動をした経験のあるミュージシャンでプリンスを知らない人はいないでしょう。好き嫌いはともかく、一定の評価はせざるを得ないと思います。私が挙げたジャズ・ミュージシャンの件は本当に草の根事例ですけど、これまでプリンスと無縁な人でも、ある日「なにこれカッコいい!」となる瞬間を何度も見ているので、これは普遍性の高い音楽には必ず起こる話だと思うのです。

 なのであまり現状を心配していない…とも言えます(笑)。ブルーノ・マーズを通じてプリンスと出合う若いリスナーもいるでしょう。その意味では楽観しています。

 

 
ーーー確かに、プルーノマーズに代表される、プリンスに影響を受けた世代が頑張っていますね!最後に、服部さんより、Purple Universityの読者の皆さんにメッセージをお願いします。

服部:様々な知見を持ち寄れることこそが、我々プリンスに影響を受けた者の良いところだと思います。私自身もひとりのファムとして、あるいはオーディエンスとして、新しい知識と視点を得られればと思います。そしてプリンスに最大級の感謝を!

ーーー服部さん、ありがとうございました。私が知りえない素晴らしき見識をシェアしてくださり感謝してます。

服部:こちらこそありがとうございます!

 

 

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服部暁典 Official Website

http://www.acatsuki-studio.jp/

 

最新作 琥珀

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プリンス 7 つの質問 11 古賀 史健

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1.あなた自身を紹介してください。

 

 ライターの古賀史健と申します。『嫌われる勇気』(共著・岸見一郎)という本や、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(共著・糸井重里)という本などを書いている46歳です。

 

 2.あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

※(古賀註)本サイトをご覧のみなさま。ここに書かれている「ファム」とは誤植ではありません。プリンスは「ファナティック=狂信的な」に通じる「ファン」ということばを避け、「ファミリー」に通じる「ファム」の語で、自らのファンを呼んでいました。

 

 彼の存在は小学生のころから知っていたのですが、自分のお小遣いでレコードを買って聴いたのは『Lovesexy』が最初でした。そこから旧作をさかのぼり、また新作を追いかけ、現在までずっと一緒に生きてきました。

 

3.あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 2002年11月の「One Night Alone...」ツアー、武道館公演です。90年代のワーナーとの確執(ぼくは Slave 期と呼んでいるのですが)から解放され、心身ともに自由になったプリンスがこころの底から音楽をたのしんでいる、すばらしいステージでした。

 あれはどの曲のあいだだったのかなあ。確信を持って挿入された「マイ・ネーム・イズ・プリンス、アンド・アイ・アム・ファンキー! マイ・ネーム・イズ・プリンス、ワン・アンド・オンリー!」の歌詞。観客をステージに上げて「ファンク!」の掛け声とともにダンスさせる、あの演出。

 ライブ会場で踊ることの苦手な自意識過剰のぼくが、唯一ダンスフロアのように踊りまくったのがあの日の武道館でした。

 

4.あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? 

 

(1)Pop Life

 すみません、正直言って大学生になるくらいまで、プリンスの歌詞をほとんど気に留めていませんでした。「キスとかラブとかセックスとか、そういうエッチなことを歌ってるんだよね」くらいに思っていました。そんなぼくが、はじめて歌詞カードと睨めっこして衝撃を受けまくったのが、この "Pop Life" です。

 

 

 

 これ、めちゃくちゃポップな曲調じゃないですか。サビの部分では何度も「♪ポップ、ライフ」ってくり返してるじゃないですか。当然、そういう能天気な、ひまわりみたいな歌だと思うじゃないですか。でも、ぜんぜん違うんですよ。いや、これからプリンスを聴く人に向けて話していますけど。めちゃくちゃ意訳を交えながら話しますけど。

 

曲の冒頭、「最近どうしちゃったの?」と問いかけるプリンス。

傷つき、塞ぎ込んでる誰かに向けて、それが貧困のせいなのか、セクシャリティのせいなのか、肌の色のせいなのか、薬物のせいなのか、さまざまな問いを投げかけるプリンス。そしてサビの部分で、こう歌うのです。

 

" ポップ・ライフ

  みんなスリルを求めてる

  ポップ・ライフ

  ぼくらはこころの隙間を埋めていく

  ポップ・ライフ

  誰もがトップに立てるわけじゃない

  でも、ポップに生きなきゃ、

  ほんとのファンキーにはなれないんだよ

  わかるよね? "

 

さまざまな苦難や絶望を受け入れ、それでも「ポップであれ、ファンキーであろう」と。ああ、こんな人生賛歌を届ける人だったのか、この人は!

 

いまでも聴くたびに泣きそうになる(こんなポップな曲調なのに!)曲です。

 

 

(2)Sign O’ The Times

じつはこれも「すみません」の告白からはじまる1曲です。

えーとですね、もちろん2枚組の大傑作アルバム、『サイン・オブ・ザ・タイムス』の冒頭を飾るタイトル曲です。1曲目ですから当然、うんざりするほどの回数、聴いています。けれども正直、この曲について「すごいことがはじまる幕開け感」以上のものは、感じていなかったんですよ、むかしは。なので CD で買い直してからは、スキップしてしまうこともしばしばでございました。

 

 

 

  ところがイギリスのロック・バンド MUSE がカバーしたこの曲を聴いて、震えまくったんです。こんなにカッコイイ曲だったのかと。やっぱりギター、ベース、ドラム、キーボードの4人という、シンプルなロックバンド編成で弾いてくれたことがおおきかったんだと思います。いやー、ごめんなさい。こんな感じでたぶんぼく、まだまだそのポテンシャルをわかりきれていないプリンス曲、たくさんあるんだと思います。

 

 

(3)Rock & Roll Is Alive! (And It Live In Minneapolis)

 プリンスって、よくも悪くも謎が多い人で、気むずかしい完璧主義者のように思われている面も多いんじゃないかと思います。

 録音済みの新曲が数千曲ストックされているとか、来日当時ポップコーンしか食べていなかったという目撃証言とか、例外的に受けるインタビューではテープ録音を禁じるとか。

 で、そんな気むずかしいイメージをぶっ壊してくれるのがこの曲。1995年にレニー・クラヴィッツが発表した "Rock and Roll is Dead" へのアンサーソングです。

 

 

 

「ロックンロールは(オレの本拠地ミネアポリスに)生きている!」って、もうタイトルだけで爆笑モノの、出オチソングじゃないですか。こういうお茶目なところも、プリンスの魅力なんですよねー。シングル盤 "Gold" のカップリング曲です。

 

 

そしてプリンス、腹を立ててこの曲をつくったわけじゃなく、レニー・クラヴィッツの登場が嬉しかったんだと思うんですよ。自分と同じマルチプレイヤーの、骨のあるミュージシャンが出てきたことが。2000年のカウントダウンを祝うライブ、"Rave Un2 the Year 2000" での共演は最高でしたしね。

 

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

 ぼくにとっては「ブラック・ミュージック」の扉を開けてくれたアーティストが、プリンスです。ですから、答えは「ブラック・ミュージックのすべて」になると思います。

  プリンス自身がインスピレーションを受けた、ジェームズ・ブラウンジョージ・クリントンブーツィー・コリンズメイシオ・パーカーら、The J.B.'s 〜 P-Funk 軍団の素晴らしさを教えてくれたことがなによりも大きかったです。エリック・クラプトンがブルーズへの扉を開いてくれた偉人だとすれば、プリンスは豊潤なファンク・ミュージックへの扉を開いてくれた大恩人です。

 

 

 

6.プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

ポップに生きること。ファンキーであること。自らのスタイルに忠実であること。

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

  プリンスの死後、それまで厳しく制限されていたオンライン上のプリンス動画が一挙に解き放たれました。やはりプリンスはレコードよりも LIVE の人なので、できるだけたくさんの人に彼の映像を観てほしいです。いちばんいいのは "Rave Un2 the Year 2000" かなあ。これまで何人もの「非プリンスファム」に見せてきましたが、当然のように全員が感激、感動、大絶賛していました。また、MUSE のように、彼をリスペクトするミュージシャンたちのよるカヴァーも、もっともっと期待したいですね。

 

 

古賀史健 

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