食わず嫌い王子 03 白川 烈/ライター・エッセイスト

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ヨーロッパやアメリカでは「現代のモーツァルト」として高く評価されリスペクトされる一方、日本の一般層には「プリンス?誰それ?」状態。そんな時代に、究極のお節介企画、『食わす嫌い王子』。プリンスをあまり聴いていない方、存在自体知らない若い世代に、「殿下の音楽は届くのか?」実験的インタビューをここにお届けします。

 白川 烈/ライター・エッセイスト 

白川 烈 (@recchaaaan) | Twitter

 

ーーーこんにちは、紫大学です。おせっかい企画、「食わず嫌い王子」へのご参加をありがとうございます。まずは白川さんの自己紹介をよろしくお願いします。

 

白川:こんにちは!関西でライターをしている、白川 烈と申します。25歳です。どうぞよろしくお願いします。20歳の頃に大学を休学して、オリコンチャート一桁にランクインしたバンドのアシスタントや、熊本地震のあった年には熊本県阿蘇NPOの現地責任者をしながら復興支援に携わったりなど、あまりジャンルに囚われない活動を多くしてきました。現在はフリーランスのライターとして活動しており、大学生向けのサービスサイトの運営や、日常風景をエッセイとして書く仕事をしています。

 

ーーーなるほど、いろんな立ち位置を経験されているんですね!大学生との接点も多いとのことで時代の空気を直に感じられるのではないでしょうか。普段、音楽は聴かれますか?また、どのような音楽が好みでしょうか?

 

白川:人並みには聴く方だと思います。仕事中や考え事をしたいときはピアノやアンビエント系の曲を聴くことが多いですね。散歩するときは、声の入ったものを聞いたり。当たり前かもしれませんが、シチュエーションに分けて聴く音楽のジャンルが変わります。

 あとこれは職業病とも言えるんですが、どうしても日本語の歌詞が好きなんです。集めているレコードもほとんど昭和歌謡だったりで。好きなジャンルは?と聞かれるとやっぱり歌謡曲やフォークと答えちゃいます。でもそれはジャンルとしてというより、「歌詞が好き」が半分以上入っちゃいますね。

 

ーーーなるほど、シチュエーションと音楽がリンクされているのが伝わり面白いです。日本語の歌詞のお話も納得というか、普段から恒常的に言葉に接していらっしゃるんですね。さて3曲ほどプリンスの楽曲を趣味や趣向、気分、興味などに合わせてご紹介するという企画なのですが、白川さんはプリンスをご存じでしたか?

 

白川:存在は知っていたものの、曲を聴いたことはないんです。友人にプリンスを好きな方がいてその話を聞いたくらいで、知っているとも言い難いかもしれません。というかそもそも、プリンスって本名なんですか??

 

ーーー初体験なんですね!そうなんです、プリンス・ロジャース・ネルソンといいます。幼少時に離婚しちゃいましたが、お父さんが場末のジャズピアニスト、お母さんがジャズシンガーだったんですね。で。お父さんがステージネームを息子につけてしまった、という。

 

白川:へえー!生粋の音楽家庭ですね。というかそもそも、お父さんのステージネームはプリンスだったんだ!お父さんなのに(笑)

 

ーーー(笑)プリンス・ロジャース・トリオというのをやっていて。息子に今でいうキラキラネームをつけてしまった(笑)息子は大変ですよね、王子ですから。

 

白川:そうですね!少し話は逸れますが、「名前」って住所をあらわすものだと思っていて。まだ名も無かった黄色い花に「たんぽぽ」と名前を付けたから、その黄色い花(がある場所)を「たんぽぽ」と呼ぶようになった。人間でも、例えば僕のことを名字で呼ぶ人と、名前で呼ぶ人、あだ名で呼ぶ人はそれぞれで、ピンを指されている「僕」の場所が違う気がするんですよ。日本なんか特に、地名が由来になっていますしね。

 それでいうと、「プリンス」は生まれながらにして、「プリンス」という場所にピンを指されたわけですよね。それって、とんでもないですよね。楽曲よりも先に、人生が気になってしまいます(笑)

 

ーーーそのご指摘は、実は凄く大切な部分で。プリンス=王子という既成概念と戦わざるを得ない運命にあったのかも知れません。たとえば、1999って曲であったり、パープルであったり、プリンス以前から存在する数字や色を「自分を象徴するもの」として「ぶんどってくる」感じがあるというか。一般性のある「パープル」=「個人の表現者であるプリンスの象徴」にしたって、ある意味凄くないですか?

 

白川:凄い。がぜん、彼が音楽で何を表現したのか、気になってきました。

 

ーーーでは、白川さんへの1曲目、いってみましょう。こんな感じの曲がいいとか、個性的なのがいいとか、何でも構わないので、ご希望を知らせてください。

 

白川:そうですね...プリンスの処女作を聴いてみたいです。

 

ーーーデビューアルバムの『FOR YOU』から1曲目の「FOR YOU」を。

 

 

白川:ちょっとこれ、いきなり度肝を抜かれました!想像していたのを遥かに上回る、完成度と歌声。脳に直接響いている感じがします。これがデビューアルバムのオープニングなんですか...完全に仕上がってるように感じます。もうすでに、芯があるというか。ブレたりすることが悪いわけではないけれど、もうこの時点でその境地には居ない。

 

ーーー早速、ご感想をありがとうございます。1978年のデビューアルバムは「全部自分ひとりで」つくってます。もはや意味が分かんない(笑)

 

白川:セルフプロデュースでこの完成度。いや、セルフプロデュースだからこそ、この完成度なんですね。もしかして、コーラスもすべてプリンス1人の声ですか?

 

ーーーはい、自分の声と自分が鳴らした音以外、ファーストアルバムには一切ありません。

 

白川:純度100%、無添加のプリンス。賛美歌すらも、己でつくれるのだと。

 

ーーー無添加プリンス(笑)たしかに!白川さんも、表現活動をされる上で、セルフプロデュースというか、全体を構築するみたいな視点で取り組まれることはありますか?

 

白川:そうですね、これも癖のようなものなんですが、全体を把握しておかないと気が済みません。森を見て、自分の木をどこに植えるかを決めたいので、まず森を人に聴いたり自分で観たりしちゃいます。これに気付いたの、小学生の頃におじいちゃんと将棋をしていたときなんですよ。

 

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ーーー将棋の時に。

 

白川:はい、将棋を始める際の自陣の作り方が、人によって違うことに気付いたんです。まず「歩」だけを集めて並べていく人もいれば、「王将」を先に探して、その周りから固めていく人もいる。とりあえず近いものから取って、揃っている駒なら渡してくる人も。おもしろい具合に、性格が出るんですよ。

 僕の場合は、適当に取って並べながら、相手の陣地も見つつ並べるんです。「あ、香車取ってるから、あとは自分のだな」とか。そうすると、駒が足りてない時に早めに気付いたりもします。そのときに「自分は現状把握をまずいちばんにしたい人間なんだ」と。

 

ーーーなるほど、将棋のフォーマットの中で「その人」が出てしまう、と。で、白川さんは、おじいさんとの将棋の中で、自分の特性を理解されたんですね。

 

白川:そうですね。将棋に限らず、そんな瞬間を見つけるのが好きで。

 

ーーー駒と将棋、そして木と森のお話にリンクする部分なのですが、プリンスの場合、「1曲で世界が完結してる音楽家」というよりも「1曲がまさに将棋の駒のように」全体を形づくっている、そんな側面があるんです。

 

白川:1曲が将棋の駒のように。

 

―――はい、先ほどのFOR YOUにしても、「私は私のせいいっぱいの愛と誠実さをあなたに捧げる」と宣言してるわけですが、次のアルバムにはI FEEL FOR YOU、あなたを探してる、という曲が出てくる。これが世界的に大ヒットしたパープルレインの時代になると、I WOULD DIE 4 Uという4 Uに変化する。「僕の話を心から信じてくれるあなたのなめなら、死んでもかまわない」になる。

 

白川:曲が、意味合いが進化してゆく。これは、プリンス自身の心境の変化と関係があるのでしょうか?

 

ーーー心境の変化の刻印、ジェットコースターみたいなアップダウンを含めて表現するようなところはあったように思います。さらに「変化からも何かを感じ取れるように」しかけてあるような。2009年にはNo More Candy 4 U (もう君たちに与えるキャンディーはないよ)って思いっきり突き放してますし(笑)

 

白川:デビューから30年で、キャンディは切れた。ここで比喩するところのキャンディは、なんだったんだろう。早くも、次の曲が聴きたくなってきました。

 

ーーーでは2曲目を選んでみたいと思います。どんな感じで参りましょう?

 

白川:そうですね・・・、では、プリンスの転換期、分岐点になったであろうと思う曲を聴いてみたいです。

 

―――では、ダーティー・マインドで!

 

 

白川:ははは!これ、チョーカッケー!!!!(笑)

食い入るように4分ずっと観てしまいました。かっこいい!同じ男としても、アーティストとしてもこんなことされると惚れ惚れしますね。

 

ーーーこんなことされると(笑)

 

白川:4分半、つまり一曲分まるまる飽きるどころか、食い入るように観れる。これって、とんでもない所業ですよね。たぶん、普通の人がやっても、ただのミュージシャンがやっても、コントですよ。最後まで観てらんない。でも不思議と、観れちゃう。なんならこのディスコソングに腰が動いちゃう感じ。

 

ーーーあははは、そうなんですよ、もうね、コント、ギャグの領域なんです。裸にスカーフに、リトル・プリンスもゆさゆさ揺れるビキニパンツに、ロングタイツに、ハイヒール。その上にトレンチコートを羽織って、クルクル、クネクネ、わけのわからん奇妙なダンスを繰り広げる・・・変質者ファンションの先駆者。

 

白川:あははは、観るからに分かりやすい!いったいどういう転換をしたのですか?

 

ーーー先ほどのデビューアルバムはつくりこみも完璧な作品だったんですが、当時はジャンルレス過ぎて売れなかったんです。で、セカンドアルバム『Prince』は完全に売りにいったら、ファーストシングルのI Wanna Be Your LoverがR&Bチャートで1位、総合チャートで11位のヒットになったんですね。マイケル・ジャクソンのと首位争いをしたりして。

 

 

白川:ほうほう。

 

―――で、そのままの路線で行けばおそらく「第2のスティービー・ワンダー」、すなわちR&Bやソウル、ファンクの才能ある若手の認知は得られたはずなんです。ところが、3枚目のアルバム『ダーティー・マインド』で大きく舵を切った!変質者ファッション、歌詞もオーラルセックスや近親相姦を題材にした放送禁止アルバムを発表してしまう。そのタイトル曲がこれです。

 

白川:1枚目で己をフルに表現して、2枚目で実績も勝ち取った。そして、3枚目。もしかしてですが、この舵の切り方は時代背景に大きく関係があるんでしょうか?

 

ーーーさすがの視点ですね、時代背景は極めて大きいです。1980年頃は、ロックやフォークは白人、ソウルやファンクは黒人、といった感じで音楽と人種が分けられていました。人種的マイノリティだったプリンスやマイケルは、マジョリティである白人の支持を得ることがメジャーブレイクに必要だったんですね。そこでプリンスは「なんじゃこいつは?」と注目を集める戦略に打って出たんです。ブラック特有のリズム感と演奏能力を持って、当時のパンクやニューウェーヴといったヨーロッパの音楽の要素も取り入れた音楽を出してきた。

 

白川:なるほど、新しい波を受け容れた、とも言えますよね。ヨーロッパの音楽の要素や新しい波だけでない、肌の色や今までの活動、すべてを受け容れて、変化した。まだ2曲しか聴いてないけれど、それでも1曲目の『FOR YOU』で驚くべきほどの完成度を見せていたのに、それらを捨ててまで変化することは並大抵の意志では出来ないように思います。

 プリンスにとって、大切だったのは"そこ"じゃなかった。そのために変化した。プリンスは一体、音楽というものに何を感じていたんでしょう。「よくわかんない変なヤツ」になってまで、やり遂げたいことがあった。それとも、ただ純粋に己を楽しんでいたんでしょうか。

 

ーーーなぜ変なヤツになったのか。これ彼の戦略だったんです。さっきの映像でやたらオーディエンスが映りますでしょ?

 

白川:あ、それとっても気になってました。カメラワークと、それに対するプリンスが仲良すぎるな、と。

 

―――あれ、実はフェイクなんです。

 

白川:フェ、フェイク?

 

ーーーはい、あの時期の支持層はクロスオーバーしていなかったらしいんです。音楽的にはデビュー作から、ハードロックもフォークもあって、完全にジャンルレスだったんですけどね、彼の支持者はブラックがほとんどだったんです、本当は。そこで、映像で先にクロスオーバーさせて、つまりアファーメーションとして「これからクロスオーバーさせっからな、見とけよ」みたいな映像なんですね。で、変態路線で耳目を集めながら「存在としてのインパクトを優先した」という。今でいう炎上商法のような。

 

白川:なるほど、自分が、あらゆるものの交差点となったんだ。音楽を通路にして。たった2曲でここまで聴けて、語れるというのも凄いですよね。縦横無尽に話が展開できてしまう。このあとのプリンスは、いったいどこへ向かうんでしょう。

 

ーーーあまりインタビューなどにも答えずに「???」を打ち出しておいて、映画「パープルレイン」で「これがプリンス!」をわかりやすく伝えてスターになりました。しかしその後も、そこに安住することなく、変化、変化、変化。ある特定のジャンルの住人になることを拒否して、現代音楽のあらゆるスタイルを手中に収めていく、そんな冒険を見せてくれましたね。

 

白川:そうなんですね!興味深いです。どうして僕は、マイケルやボブ、ジョンレノンは大好きで通ってきたのに、彼だけ見過ごしたんだろう。

 

―――今日がその日になりますよう、ラスト曲を選んでみたいと思います。ご希望はありますか?

 

白川:そうですね、処女作、転換期と来たので最後は晩年のプリンスを聴いて、時間軸で捉えてみたいです。

 

ーーーありがとうございます、それでは2014年にリリースされたアルバム『Art Official Age』からオープニングの1曲め「Art Offcial Cage」を。もし可能なら、ヘッドホンもしくは大きめのスピーカーシステムがお薦めです。

 

 

白川:うおお!EDMのようなイントロから、素晴らしいサウンド。こんなところまで行くのかー。今っぽさと昔の感じが上手く混ざり込んでるのもありますね。

こちらは、プリンスの中で最後のアルバムになるのでしょうか??

 

ーーーこのアルバムの後に2枚でるのですが、アルバム『Art Official Age』の拾遺集、後拾遺集みたいな色彩があるんです。活動中に他界してしまったので、その2枚のあと、どのような展開になったのか、謎を残したまま・・・。ただコンセプトとしては『Art Official Age』は一つのマイルストーンであることは間違いなさそうです。アルバム名と、1曲目のタイトルが微妙に違ったの、気づかれましたか?

 

白川:たしかにAgeがCageになってますね。Cageは籠という意味ですか?

そもそもArt Official Age、ってなんなんだろう?

 

ーーーArt Official Age、無理やり直訳すれば「芸術が公式化する時代」ってことになりますよね。でも、音だけ聞くとartificial、すなわち人工的、にも聞こえる。「人工的な時代」でもある。AgeがCageになると、人工的な籠、檻。

 人間表現であるアートの時代になるか?それともスマホやPCに支配された人工的な時代になるか?そして我々は檻の中にいないか?問いかけているんです。白川さんがEDMっぽいサウンドに感じたのも、「こういうのもできるぜ」でもあるけど同時に「こういうのでいいのか?」でもあるわけです。

 

白川:うわー、なるほど。最後に、とてつもない作品。遺していったんだ。なんだかプリンスは、僕たちに、人間に期待している印象を受けるんです。信じてるよ、というか。

 

ーーー人間への期待、その視点は非常に興味深いです。彼の表現の中には「LIFE」、その対概念としての「死」や「終わり」も頻繁に出てくるんです。『Art Official Age』に収録されているWay Back Homeという曲にちょっとゾッとする歌詞が出てくるんです。「この世の多くの人は生まれながらにして死んでいる。でも僕は生きるために生まれた。」

 

白川:生きるために生まれた。

 

―――人間の賢さも、愚かさも、ブライトサイドも、ダークサイドも、喜びも悲しみも含めて「人間らしく生きる」への愛や肯定があったんだと思います。ただその愛は「まあ、人間なんだから楽しくやりましょうよ」みたいなぬるい感じじゃない。人間の不完全性を理解しながらも、魂を殺さずに生きる様を見せるというか。おそらくは彼自身を含めた「人間の可能性への期待」のようなところでしょうか。

 

白川:人間の可能性への期待。なんでしょう、「勝手に期待されても・・・」と表面では思いつつも、奥底では感動してしまう。以前、ほぼ日刊イトイ新聞さんに掲載されている、矢沢永吉さんと糸井重里さんの

ほぼ日刊イトイ新聞 - 上がりたかったんだ。E.YAZAWAの就職論

の中で、矢沢永吉さんがこんなこと言ってたんです。

 『人のせいにしちゃダメだよ。周りのせいにしちゃダメだよ。そして、いま言ったことは、俺もそっくりそのまま、自分に問いかけるから。』

 僕、もう、涙をこらえちゃって。「そんな約束されても・・・」、なんて戸惑いながらも、矢沢永吉ほどの人間が、「おれも守るからお前も守ってくれよ」と言ってるんだ、って。その期待というか、彼の約束に胸を打たれたことを思い出しました。

 

ーーーそっくり自分に問いかける・・・読者であった白川さんにも約束が届いた。おそらく矢沢さんは「YAZAWA」を。プリンス・ロジャース・ネルソンは「PRINCE」を創造した。その時に他に求めなかった。先ず真っ先に自分に求め、ずっと自分に求め続けた。おもえば、矢沢永吉さんも「曲」よりも「存在」が超えちゃうイメージがありますね。

 

白川:おっしゃるとおり、そんな印象はありますね。

 

―――偶然にも、Art Official Cageのイントロで「紳士淑女の皆様、王様たち、女王様たち、そして全ての皆さん!僕の教室へようこそ。あなたは今、人生を永遠に変える授業にきています。さぁ、檻を開きましょう。」という意味のデンマーク語でナレーションが入るんです。矢沢さんのメッセージで、白川さんは何かを受け取った。プリンスの世界もまたひとつの教室だったような気がします。

 

白川:まさにそう思います。そしてプリンスが亡くなられた今、そして命日である今日に時代を経て、何かを受け取ることができた気がします。

 

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ーーー今回は、20代の若き表現者といろんな対話をさせてきただきました。白川さん、いかがでしたか?

 

白川:いやあ、楽しかったです。なんていうでしょう、いい意味での「添加物」が盛りだくさんだったというか。料理で例えると、純粋に食べ物そのものを味わってることって、実は意外に少ないんじゃないかと思っていて。

 「これは気仙沼で今朝獲れたサンマなんだよ」とか「同じウニでも、〇〇産のはよりクリーミーでね」とか。何日も食べれなかった後のなんてことないおにぎりがとっても美味しかったり、お袋の味なんてのもそうです。味そのものよりも、知識だったりシチュエーションだったり思い出だったり、ある意味食材とは別の添加物と一緒に味わってるなと思うんですね。

 まさに今回のプリンスはそんな感じでした。曲の裏話や時代背景、プリンスを初めて味わうぼくのリクエストを聴いてもらいながら3曲を紹介してくださった。それらと一緒にプリンスを聴けたのが、とっても良かった。もちろんそれは、プリンスという素材の素晴らしさありきですし。今までプリンスを聴いてこなかったのは、「今日出逢うためだったんだ!」と思ったぐらいです。

 

ーーーおっせかい企画、やってよかったです(笑)言われてみれば、あんまり味では覚えてないですね。誰と食べたとか、店の親父のキャラとか、どんな会話したとか、そんなのとセットとしての「食の記憶」のような。アートも、音楽も、映画も、スポーツなんかもそうかもしれないけれど、やっぱり「出逢い」あっての名作であり、名試合ですよね。絶世の美女も、誰からも知られなければ美女ですらない、というのと同じで。英語圏では現代版のモーツアルトとして認知されてるプリンスですが、日本では伝わる機会が減ってしまえばしまうほど、どんどん過去の人になってしまいます。そんな状況の中で、若者に彼の音が届いたというのは、言葉にできない感動がありますね。

 

白川:僕はこれからプリンスを聴くたび、プリンスの話をするたびに、今日のことを思い出すわけですから。特別な出会いにしていただいて、心からありがたいなと思います。残念ながら、プリンス自身がもうこの世には居ないので、プリンス自身は塗り替えられませんが、プリンスを通してこれからの僕は何度も塗り替えられ、更新されます。そういう意味では、ぼくにとっては過去の人どころか、これから関わる人になります。そのきっかけをいただいた。

 

ーーーそうか、白川烈という若者にとって、彼は新しいんですね!それは僕にとって希望の言葉です。たしかに彼の音楽は「伝統と革新のお好み焼き」のようなところがありました。古さと新しさを掛け合わせることで、世代を超えて語り合えるギフトを遺してくれたんですね。偶然にもこの対話は彼の旅立ちの日(4.21)に行われていますが、終わりは始まりでもあったんですね。

 

白川:心から好きなものを語っている人には、自然と耳が傾いちゃいますから。プリンスの引力もそうですが、紫大学さんの「好きの引力」につられて、ついつい聴きたくなることを聴いてしまう。好きなものを語っている人は分かりやすくキラキラしているから、どうしてもそっちに目が行きがちなんだけど、それをきちんと相槌を打ちながら耳を寄せている人も同じくらいキラキラしてる。なんだか久しぶりに自分がそう在れたような気がして、嬉しくなりました。

 

ーーーありがとうございます。インタラクティヴ(双方向)の重要性を改めて感じるとともに、読んでくださる皆さんにもキラキラ感が伝われば嬉しいです。ヒーローのリアルタイムの後をどう過ごせばいいのか?暗中模索ではありましたが、おかげで光が見つかったような気がします。ありがとうございました!

 

白川:僕も、これから何度も何度も聴くことになるでしょうし、違う曲を聴いてどんなことを思うのか、また時間が経ってどんなことを感じるのか。楽曲を通じて手ほどきを受けながら、プリンスという芸術家を通じて、新しい自分に出会えることが楽しみです。こちらこそ、ありがとうございました!

 

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(構成・編集 Takki)

パープルインタビュー/ラジカル鈴木氏(イラストレーター) 表現系01

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独自の世界観をもったイラストで衝撃を与え続けるラジカル鈴木氏。プリンスを創造の師と仰ぎ、クリエイティヴ道を歩み続けるラジカル氏にとってのプリンスとは?

———ラジカルさんがプリンスを聴くようになったきっかけを教えてください。

ラジカル:プリンスファンになる前は、映画音楽ファン、洋楽ファンでした。兄の部屋のステレオで聴いたザ・ビートルズ、ベイシティ・ローラーズ(!)なんかから入り、小〜中学生のときはFMエアチェック小僧で、ビリー・ジョエルがヒットを連発しててハマって、なんつっても一番好きでした。放課後に友達の家に入り浸って、ステレオで大音響で聴いて、タバコを吸っちゃったりしながら"これがロックなんだ〜"なんて思ったもんです、可愛らしかったですね(笑)。

 でもね、“ピアノマン”じゃないですビリー・ジョエルって。プリンスとの共通点は実は結構あると、後年気がついたんです、その話はまた別の機会にしたいですけど。他はデビッド・ボウイも好きでしたね。ボウイにはもっと、アート心をくすぐられるというか、言わばトリック・スターでまったく別の存在でしたけど。

 

 同時期“ダーティ・マインド”の頃、音楽雑誌で始めてプリンスを知りました。モノクロで半ページくらいのスペースで、例のコートとバンダナ、ストッキングの格好の写真で、何かとってもショキングなヤツがいる、という紹介のされ方でしたが、まだ音楽を聴くには至りませんでした。それから少々経て本国で"パープル・レイン"が大ヒットし始めると曲もFMでガンガン流れ初め、何だか凄い音楽をやる奴なんだな〜、と気になり始めました。ヒットしているにも関わらず、当時の80年代のヒットチャートの曲とは明らかに違う何かを感じたのです。
 

 濃厚というか、渦巻く情念というか、そして過剰なまでのリビドー、良識からハミ出す何かヤバイものを・・・そして、映画「パープル・レイン」を観たのが決定打となりました。出身地・春日部にあった“春日部文化劇場”で、高校3年生のとき『フットルース』(1984)と2本立てでスクリーンで観てもう、その存在の虜に!!! 『フット〜』の記憶はどこかへ完全にフットびました。で、それまで発売されていたアルバムは全部買い、もっともっと聴いて観たくなって、当時まだ日本ではプリンスのソフトはレコード以外は皆無でしたから、1985年の米ツアーのライブビデオを輸入で取り寄せ、悶絶・・・・!!! なんというエナジー、なんという才能の塊なんだあああ!!!!

 “アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ”、“パレード”と、リリースされるのを予約し発売日にレコード屋に駆けつけ入手、むっちゃドキドキしながらターンテーブルに載せたのも良い想い出です。そのペースの早さと、ことごとく前作とは違う音楽世界、変化に驚きの連続でした。それまでのものを一切守ろうとしていない、捨てては新しく生まれ変わるその潔い姿勢!!! こんなメジャーアーティストはそうそういない!!!!

 KISSがチャートNo.1で席巻の'86年、プリンスが来日するのを知ったときは、もうこれは、何を置いてでも行きたい!!! と、春日部ロビンソンのちけっとぴあに走りました。春日部から横浜・関内の横浜スタジアムは当時たっぷり2時間かかり、めちゃ遠かったけれど2日間、足を運びました。生で見たプリンスは・・・もう神を現実に見てしまった、というくらいの体験でしたね〜〜〜、これだけで一万文字くらい楽に書けます(笑)。

 それから海賊盤屋を漁るようになり、レコード、カセットテープ、プリンスの載ってる向こうの雑誌も買いまくって、イケないものを入手してしまったかのように異様に興奮しました。妖しげなプリンス専門通販屋から毎月DMが来るようになって、やがてそれはEメールに変わり・・・一体いくらお金使ってきたのやら・・・。

 また、彼の音楽ルーツであるJBやジミヘン、スライ、Pファンク、キックレオール&ココナッツ、T−レックス、サンタナ、ジョニ・ミッチェル、その他もろもろも、同時期に聴き始め・・・プリンスは、それまで僕の知らなかった音楽の世界への、興味のドアを大きく開けてくれた存在でした。それだけでなく、影響は僕の中で"ただの趣味"の範疇を遥かに超えていきました。プリンスの持つクセや"イズム"(リズム?)が僕の思考、志向、嗜好にピッタリマッチしていったのです・・・。

———なるほど、趣味をはるかに超えて、プリンスの世界に飛び込んでいったわけですね! ラジカルさんの人生において、プリンスの楽曲が救いとなった例はありますか?

ラジカル:飛び込んでいったといいますか、ある意味プリンスを媒介として自己探求を始めたとでもいいますか・・・彼の音楽全部、行動、存在、統べてが救いで、日々の励みでした。彼の曲を聴いていると、前向きになれるんです。外見やアートワークに反して彼のメッセージは純粋なんですよね。1曲1曲例を挙げていったらきりがないんですが、曲"パープル・レイン"は「よくぞ自分が生きているこの時代に、これを発表してくれた。自分はなんてラッキーなんだろう」と思っています、多分もう1,000回以上は聴いてきたと思います(自分で歌ったりもします^^)。

 

 

 

「ザ・クロス」も特別な曲です。映画『パープル・レイン』もそうですが、悶々としていた20代前後、自分がちょいと行き詰まって、辛いなあ、苦しいなあ、というときに何度『サイン・オブ・ザ・タイムズ』のアルバムとビデオで救われたか判りません。「左にゲットー〜右には花畑〜我々は皆問題を抱えている〜大きいのやら小さいの〜もし信じるなら〜その問題は消えてなくなる〜 死ぬな〜ザ・クロスを知る前に」ってな歌詞に涙し、明日からの活力をもらっていました。無宗教のつもりの自分にとって、まるで教会のような機能をしていたのです。その後も、彼のスピリチュアルな曲はどれも特に大好きですね

 

 

 


———おおお、プリンスを媒介とした自己探求。そして救いであり、励みだったんですね!今現在のご活動は、プリンスに触発された部分があったのでしょうか?

ラジカル:プリンスなしでは今の自分はありません!!!! ユーアーエブリシング!!!でしたよ。ただ、依存したままではダメだと思っていましたね。どうやって自分の道を見つけたか - プリンスに手を取ってもらって、"それ"を見せてもらったんです^^

———プリンスがプリンスであったように、ラジカルはラジカルとして道を見つけるべきだ、と意識されたわけですね?

ラジカル:その通りです。誰かのインタヴューで「彼には、すべてを常識や借りたものではなく、自分流にしていくことを学んだ」と言っているのを読みました。激同感ですね。

———確かに、プリンスも自分の音楽をそのまま真似する人たちを嫌いましたね。自分に出来ないものを聴きたい、と。ラジカルさんの作品にある生命感や、毒も含めた存在感も独特ですね。

ラジカル:ヴィジュアルの表現に関しては、彼から直接の影響もあるけど、元々僕の中にあったものです。彼は"それでいいんだよ"と言ってくれました。(スターフィッシュ・アンド・コヒーの主題!)

 また、自分が自分のオーナーシップを持つ、みたいなことも彼から教わりました。たとえ間違っていようとも、やりたいこと、やりたくないことの責任は自分で持つ。やっぱりつくる者、つくりたい者にとって超強力なインスピレーションですよね。お手本、これほど見事な師はいないと思います。

———海外では芸術家、アーティストとしてリスペクトされていますが、日本での認知度や評価をどのように感じられますか?

ラジカル:不満です!まあ、以前と比べたら雲泥の差ではありますけど、一般には、未だに多くの人が先入観に支配されて、彼がどれほど偉大か、真価が知られていません。軽んじられています。まあ、敢えて彼はチープで猥雑なイメージを用いて、間口を狭くしているのだとは思いますけれど。その"先入観"にこそ、果敢に挑んで来たのがプリンスです。

 また、本当は魅了され、プリンスの凄さを十分解っているクリエイターも、口をつぐんでいる場合が多いような気がします。何故でしょうね? 彼には圧倒的に敵わないからでしょうか。素直ではないですね。エリック・クラプトンの素直さを見習って欲しいですねー。

———確かに、エリック・クラプトンはプリンスの先輩格にも関わらず、いかに彼に刺激を受けたか、また救われたか、語っています。ラジカルさんも、プリンスに影響を受けたことを公言することで、表現者としていかに偉大な存在かを世に伝えていらっしゃると思います。Words O Princeのプロジェクトを、ラジカルさんはどのように感じられましたか?

ラジカル:とても有意義なことだと思ってます!! 彼の凄さ・真価をより多くの人に判ってもらいたい、その志の高さ、自由さ、感性、ユーモア、COOLさ、素晴しい感動を・・・貴男貴女の世界はグ〜ンと広がります! 触れることによって、人生はより豊かなものになるでしょう。知らなきゃ、もったいない!!!

———ラジカルさんは、書籍にワン・アンド・オンリーなプリンス・アートを提供されていますが、ラジカルさんにとって、「プリンスを描く」というのはやはり特別な思いはありますか?

 

ラジカル:もちろんです、自分にとってもの凄く大きな存在を描くわけですから。多彩な音の表現を展開していたプリンスみたいに、自分も様々なタッチを駆使して描きたいと思いました。

 

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———最近、プリンスに興味を持った方や新しい世代に、「あくまでも入門用として」1枚(1)セットだけ、オリジナルアルバムを薦めるとすればどれにしますか?(ベスト盤以外)、またその理由も聞かせてください。

ラジカル:「Musicology」です。まず表題曲が軽快でキャッチー。他の曲のラインナップも、アメリンポップス&ロック&ファンクの王道的なテイストが多く、聴き易いと思います。「プリンスって、普通じゃん!」 みたいな。彼は意図的にアメリカの聴衆に向かってこれを作ったんじゃないかと思ってます。ちょい久ぶりに大ヒットアルバムになりましたもんね。この時のツアーも同様、バランス感覚がハンパなく、楽しく、感動的で、最高でした。NYのMSGまで観に行ったんですが、このとき観たのが僕の生涯ベストライブであるのはこれからも揺るぎません。

 

 

 あと、「One Nite Alone...Live!」のBOXセットに入ってる、ピアノ引き語り曲が中心の「One Nite Alone」、これを薦めたいです。これはプリンスをあまり知らないヒトの漠然としたイメージを十分くつがえずでしょう、「彼は本当のミュージシャン、アーティストなんだ」って。僕やっぱり、ピアノの音色が好きなんです。だから、ピアノ&マイクロフォン・ツアーは、観たかったですね・・・・何とも、残念極まりありません。。。

 

 

 


———とても興味深いセレクトに感じました。今後プリンスファムとしては、何を発信し、どうしていきたいですか

ラジカル:いわゆるスタンダード、ホントに凄いものは、時間や時代を超えますよね。彼の仕事のクオリティは過去も現在も未来も超えています。彼の活動や音楽が古くなっていく心配はまったくしていません。しかし、これからもじわじわと長い時間をかけてでも、興味のないヒトにも彼の真価をもっと浸透させる者の一端にはなりたいです。無理強いはしたくない、無理に奪いたくはない、けど。やっぱり「自分は自分らしくある」っていうのが最もやらなきゃいけないことかとは思います。自分自身があの十代の頃の情熱を持ち続けること。それが結果として、Uを紫の雨の中に手を引いていくことになるのではないかと・・・。”死は、リアルタイムで作品をリリース出来ないということを意味しない”なんて意味深な発言もありましたね。彼は、彼の精神はまだまだぜんぜん生きている、と思っています。むしろ、ある意味スタートラインなのではないかと

 僕にとって、プリンスは永遠の師ではありますが、まあ、彼のように生きるのは正直しんどいです(笑)、とてもじゃないけど、なかな真似できやしません。アンドレ・シモンがプリンスから離れた後に発言したように、「冗談を言いながらダラダラとジャムったりする、そういうのも良いもんだと思ったよ。プリンスのバンドには全くと言っていいほどそういう雰囲気はなかったから」って、僕もただの凡人ですからあまりにも判る(笑)ついお酒のんでサボっちゃうし(笑)。でも、志だけは忘れたくない。それを知っているのは素晴らしいことですから。これからも、どうしたら“Face”でなく魂”が救われるのか、梯子を探し続けます。

 

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ラジカル鈴木氏 

twitter.com

 

(構成・編集 Takki)

 

プリンス 7 つの質問  12 井上 ミウ

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1.あなた自身を紹介してください。

 

井上 ミウ、国籍は日本です。職業は、コンテンポラリーダンサー、パフォーマー、アロマセラピスト、調香家です。好きなことは、踊ること、植物を育てること、発酵、映画、絵を描くこと、歌うこと。イメージすること。何かを作ること。生きることの全てです。

 

2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 ベストヒットUSAという番組で、すごく魅力的なのにPVが流れず、アルバムジャケットしか映らない曲がありました。しかも、3曲です。そのアルバムジャケットにすら、アーティストの姿は写っていない。紫色で何かゴチャゴチャと絵が描いてある。

  曲名は1999、Little Red Corvette 、Delirious。刻むビートの合間にひょいっとひとつ爪先で飛ぶような、聴いたこともないリズム。その爪先はラテン音楽のような絶妙なキックで、私の心臓を蹴るようでした。なんだかドキドキして胸が痛かったです。程なくラジオで、そのアーチストが「25歳の天才少年プリンス」と紹介されるのを聞きました。私より11歳年上の、まるで少年のような妖しい人でした。

 当時私はデヴィッド・ボウイのアルバムを集めていて、お小遣いが足りず、駅前のレンタルレコード屋から『1999』を借りて来ました。レコードに針を落としたのですが・・・。

 「この人はどうして私のことをこんなにもわかっているのか」と思うほど、プリンスのビート感は私の心臓と同じだったのです。フレーズがループするごとに、螺旋を描いて私の中を昇っていきます。小学時代はディスコ全盛期、そこからパンク、ニューウェイブ、グラム、ゴチパン、ノイズと音楽の嗜好は広がったけど、これほど踊る衝動が沸き起こるのは初めてでした。胸が締め付けられるのに、踊ることをやめられないのです。

 

 そしてアルバム後半、『Free』。歌詞はほとんど理解出来ないのに嗚咽がこみ上げて来ました。プリンスが「Free」と発する度に「自由」の困難さと、切望を感じて・・・。

 

 

  80年代初め、地域の中学はかなり荒れていて、1年の段階ですでに教室の窓ガラスは割られ、授業中は後ろのロッカーが燃えていました。教師が生徒たちを追いかけるたびに、授業は中断されました。ただ教員であることだけに胡座をかき、成長をやめた人たちと、それにNOを突きつける、甘えた子供たち。私は、どちらにも共感出来ませんでした。日常的に暴力がある環境で、私は顔に火傷を負って、次第に人と上手く話が出来なくなっていきました。
 だから必死で、毎日必死で、自分と世界の境界の壊れてしまう外壁を、塗り固めて修復して、なんとかその日を生きていたんです。叫ぶように歌う彼の声は、私に「生きていてもいいよ」と、言ってくれるようでした。性的な表現も含め、「生きていることを全肯定してくれている」ようだったんです。

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 ひとつめは、ドイツに来て2年目の夏のことです。苦しかった思春期をPRINCEをはじめとする音楽に救われて、表現することで自分を見つけ、それを生業としたんですが、体調を崩してしまい半年ほど引きこもったんです。

 「このまま自分はダメになってしまうかも知れない。だったら、その前に国境を見よう」と思い立ち、北京からシベリア鉄道に乗り、友人のいるドイツへ、バックパックを背に一人旅をしました。22歳の時のことです。ソ連最後の年、初めて見た国境は驚くほどのどかで、緑が美しかったです。そのドイツで、ルドルフ・シュタイナーアントロポゾフィー人智学:19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツ語圏を中心とするヨーロッパで活躍した哲学者・神秘思想家のルドルフ・シュタイナー1861年-1925年)が自身の思想を指して使った言葉)に出会いました。今までとは全く違う表現「オイリュトミー」(ルドルフ・シュタイナーによって新しく創造された運動を主体とする芸術)に惹かれ、そのまま学校を決めて留学してしまったのです。一言もドイツ語は分からない状態、辞書と首っ引きの日々でした。

 夏休みを利用して語学学校に通っていた時のことです。長期休暇に旅行を兼ねて語学学校に通うのは、ヨーロッパでもよくあることで、そのクラスもクロアチアからブラジルまで、国際色豊かでした。仲良くなったメンバーで、森でピクニックをすることになりました。

 私はスペイン・カタルーニャから来たエスタという女性の車に乗って森へ向かいました。出逢った時から、彼女に惹かれるものがありました。スペイン語で「星」を意味する名前の彼女、エスタがカーステレオにカセットテープを入れ、「これは私のテーマ曲よ」と言った次の瞬間、『Let’s Go Crazy』が流れたんです。世界が、急にいきいきとし始めました。

 

 

「ああ、そうだ、私はプリンスファンだったのだ!!」

 

 と、思い出したんです。ドイツに来てからは、授業で使うバッハなどのクラシック音楽や、ゲーテやシラーといった詩にどっぷり浸かっていて、1年以上プリンスを聴いていなかったのです。プリンスのドイツ公演の広告を横目に見ながら、室内楽やオペラ、バレエの舞台ばかり見ていたんです(学生なので安かった!)。あ、でもソニック・ユースだけは行きました。前座はなんとあのニルバーナでした。

 海外暮らしの2年目、内なる日本的なものと、外側のヨーロッパ的な世界観とのギャップに苦しむようになりました。このまま頑張って何年もここで学ぶべきなのか、悩んでいたんです。それが、プリンスを聴いたとたん、「あー、私、自分の表現をしなくちゃダメだ」と気がつきました。自分の言葉(表現方法)でちゃんと自分を語らなくてはダメだ。それが世界を語ることになるんだ、と悟りました。これを機に、自分なりにドイツでの学びに終止符を打ち、半年後、日本へ帰ることになりました。そしてまた新たに、自分の表現と向き合い始めたのです。

 

 ふたつめは、長男が生まれた時のこと。帰国して結婚し、子供を授かりました。
先天的に重い障害を持って彼は生まれました。NICU新生児集中治療管理室)に長期入院となり、手術を繰り返して・・・。長男を救う情報が欲しくてインターネットを繋いだ。まだ電話回線だった頃です。けれど、どうしても辛くて障害についてのワードを検索に入れられす、プリンスと入力しました。何のページからか忘れてしまったけど、渋谷のクラブでプリンスだけをかけるオールナイト・イベントがあると知りました。

 子供の入院している日程だから、家から出ることができる!踊りに行こう!しばらく夜遊びもしていなくて、まるで王子様のパーティーに向かうシンデレラの気持ちでした。初めて爆音で聴くあの曲、この曲。ここにいる人、みんなプリンス好きなのか!みんな踊り上手で、朝まで踊り倒していました。その中の1番踊りの上手い男の子(笑)から、ファンなら絶対に行くべきサイトとして、NPG music siteを教わりました。そこから一気に世界が広がり、たくさんのプリンス・ファムに出会うことになりました。

 現実世界では、医療器具を持ち込んで子供の在宅介護が始まりました。睡眠時間が短く、家から出られない日々を、プリンスの音楽と、それを一緒に楽しむネット上のファムの存在が救ってくれました。サタデーナイトフィーバーのジョン・トラボルタのように、普段は介護(育児のつもりなんだけど)でボロボロでも、たまに行けるプリンス・イベントのダンスフロアでは"Baby I'm a Star"でした。夜毎のリスニング・チャット、プリンスのRPGゲームのようなサイトの攻略、ネットを介してやっとファムは自分一人じゃなかったことを知りました。
 そして、最後の来日公演となった2002年O.N.Aツアーを迎えました。私にとっては初めてのライブ。それまでは好き過ぎてライヴに行けませんでした。プリンスとの遠い距離を思い知らされるようで・・・。チケットを取るまでの大騒ぎは、プリンスの会員制音楽クラブ・NPGMCのメンバーの協力なしには乗り越えられませんでした。

 私は思い切って子供が生まれた時からお世話になっているケアマネージャーさんに相談しました、「私はプリンスのライブに行きたい」と。こんなことを相談していいものかと、とても悩みながら。でもケアマージャーは、そんな私を非難することなく「行ってらっしゃい!」と1週間子供を預かってくれたんです。これは緊急一時預かり、ショートステイという制度で、今では障害を持つ人をケアする家族にとって一般的なことになっています。

 こうして臨んだ東京フォーラム、浜松、武道館2日の4公演。浜松公演では、ステージに上がることが出来ました。すぐそばに、プリンスがいました。キーボードをはさんで向かいにいる、彼の指が見えました。「気を失うっていうのはこういうことか!」と思うほど、サーっと血の気が引きました。「これは夢じゃないのか?」曲は"All the Critics Love U In New York”。初めて聴いたアルバム『1999』、あの子供だった頃夢中で聴いた曲。私は今、その曲で本人と踊っている。信じられる?あの頃の私に言っても絶対に信じないと思う!!「生きていていろんなことがあったよね、でも生きているとこんなこともあるんだよ」、なんだか彼にそう言われた気がしました。

 曲が終わって私の前を通る時、プリンスはそっと短い握手をしてくれました。彼の手を私は一生忘れないでしょう。

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? 

 

“Diamonds and Pearls“

 

 「もし僕が真珠とダイヤモンドをささげたなら、君は小さな子供のように喜んでくれるだろうか」

 PVでのクラシカルなダンスがよく似合う、ロマンチックな曲です。ゲストボーカルのロージーが、そのロマンチックさを、外へ外へと開く力を与えています。私が本当に辛い時に、真珠とダイヤモンドをプレゼントしてくれた人がいました。「まるで歌の通りじゃないか!」と思いました。その人は曲を知らなかったけれど。

 

“Purple Rain“

  

 電話でかなりシリアスな話をしていた時、急に英語の何かの放送?が混線し始め、ラジオDJが何か曲紹介をして“Purple Rain“が流れました。最初の静かなギター。波のようにかき鳴らし、寄せては引いていく・・・。それだけで、それまでのトゲのある深刻な空気は、どう表現していいのか分からないが、「清らかになってしまった」気がしました。訳がわからず、ふたりして会話を止めて雑音の混ざるPurple Rainを聴いていたのです。

 いろんな友情や愛情の終わりがあります。後悔もあります。でも、Purple Rainは始まりも終わりも全てを肯定する力のある曲です。「ただ、君を見ていたかった」人と人の出会いはそれが全てなのかもしれません。まるでフィクションのような話です。

 

“Sometimes It Snows in April“

 

 2019年の11月に長男が亡くなりました。

 入院はしていたが、本当に急なことでした。主治医の病院ではなかったため、彼はその地域の警察署に置かれることに。一晩経って朝、安置されている場所へ、家族を乗せて私が車を運転しました。1時間余りの移動時間、運転中はなるべく集中出来る様に、いつも通りプレイリストをかけました。息子の元へ着く頃、この曲が流れました。静かなピアノとスキャット、優しい、でも少し諦めたような歌い出し。ところどころマイナーコードを思わせながら、なぐさめるようにそっと曲は進みました。

 

「時には4月に雪が降るように、時には心が沈むことだってあるよね」

 

 静かに車の中に歌が響いて。街の音が重なりました。そして、目的地が近づいてきます。ウィンカーを点滅させて駐車場に入ると、涙があふれました。エンジンを切って、息子に会いに向かいました。まるで一編の映画のようでした。

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか? 

もちろん、トップはシーラ.E。

チャカ・カーン
キャンディ・ダルファー
なども、彼が関わらなければ、聴くことはなかったかもしれません。

この3人に共通に感じることは、プリンスに関わっても「取り込まれなかった」こと。
自身がミュージシャンであることを揺るがせない、強い存在感があります。

シーラの楽曲では「Glamorous Life」が本当に好き。シーラのソロ来日公演は、高校生の時にちゃんと行きました(プリンスは行けなかったくせにw)ラテン的な焦燥感。焦がれるように、タイトに心臓を高鳴らせるパーカッション。蹴り上げて鳴らすステージ・アクションにも惚れました。

 

 

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

私の人生の中で、何度でも、何度でも彼は気付かせてくれます。
「自分自身であれ!」と。

そしてまさに私にとって「ぼくはメサイヤ。君がその理由」でした。

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?


音楽ネット配信の時代になって、子供達の年代も、親世代の影響なくPRINCEに出会っています。自分の好きなミュージシャンが、あるいは尊敬する人が、「好き」って名前を挙げていたら聴きますよね。彼に影響された人は、大きな声で彼の良さを語って欲しいです。そして、楽曲も気軽に耳にする機会を。PRINCEを愛するミュージシャンたちがカバーした楽曲も、新しい人に届くだろうし、それが何より楽しいです!

 

 

miu (@ohya_sinju) | Twitter

 

パープルインタビュー/服部暁典氏 音楽家01

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演奏家として、音の職人として、表現者として、そしてファムとして。プリンスを深く研究し、自らの音楽も追求する服部暁典氏。彼の見識は、それぞれのプリンスの旅に深みと気づきをもたらします。プリンスにインスピレーションを受けながらも、自身の音楽を追求する服部氏のプリンス観とは?

ーーー服部さん、プリンス好きになったきっかけはどのようなものですか?

服部:当時大はやりだったビリヤード場(プールバーみたいなお洒落なとこじゃない…)でのレーザーディスク・ジュークボックスで「Partyman」のPVを見たことです。なんだこのバカ映像は…!と。しかも演奏は単純。スカスカ。なのになぜか気になる…。なんだこの気持ちよさは…。気がついたら元に戻れない身体に・・・(笑)

 


ーーーあははは。バカ映像!演奏単純!服部さんおっしゃるようにプリンスの音楽には「なぜか気になる」ある種の中毒性があると思うのですが、服部さんはその秘密をどのように分析されてますか?

服部:その曲に必要な要素を、本質的に必要な音を、プリンスは見極める能力が異様に高いからだと思っています。

 例えばですが”Sticky like glue”や”Black Sweat”は「これ以上音を差し引いたら曲が壊れちゃう」というレベルまで音数が少ないけど、普通に聴いている分にはそれを意識させません。音の数が必要最小限である上に、「ここに、この音が必要だ」、という判断能力も高いです

 

 

 

 

 このことは「必要な音を見極める能力」と「必要な場所を見極める能力」は表裏一体の才能ですけど、ここまで双方の才能がバランスよく、かつ高い次元で一人の人間の中に存在するものかなぁ?といつも思います。

ーーーなるほど、絶妙なバランス感覚がプリンス・ミュージックの鍵のひとつ、というわけですね。服部さんはプロの音楽家であるわけですが、音楽製作側の立場から、「この曲は創り手からすると、実は相当凄い」的な例がありましたら解説を頂けますか?

服部:先に書いたSticky like Glue、Black Sweatも飛び抜けた曲ですが、やはり「KISS」は次元が違います。あまりに有名曲であまり意識しませんが(笑)。

 

 

 よく言われることですが、ベースが鳴ってません。When Doves Cryで前科があるとは言え、通常考えられる判断ではありません。もちろんヴォーカルパフォーマンスが過剰にドラマティックなのでまったく寂しい感じはありません。

 そもそもこの曲はほぼブルースのコード進行そのもので、ポップスの原初形態のブルースをほとんどそのまんまでチャート1位に放り込むこと自体が偉業です。古くさいブルースを新鮮に聴かせている理由のひとつが「ベースがいない」ことです。

 

ーーーファンク・ミュージックの要であるベースがいない!


服部: そうなんです。そして、もうひとつの理由はドラム。LINNドラムのキック(バス)ドラムとスネアドラムしか鳴っていません。普通は、グルーヴを印象づける重要な役目をするハイハットというシンバルの仲間も鳴るのですが、この曲ではあまり目立たずタンバリンのようにやや補助的な立場にいます。つまりドラマーが考えるようなドラミングではないのです、まったく。キックとスネアがドーンと真ん前で鳴っててくれればこの曲は成り立つのだという、ものすごい「引き算のアレンジ」です。

 

ーーー引き算のアレンジ。

 

服部:さすがにキックとスネアとヴォーカルだけではハーモニーを感じにくい(=感情移入しにくい)ので、ワウギターがデュエットヴォーカルのように主役の立場にいます。もうこれだけでOKなところにスパイスをひと振り、キックとスネアにかけられたリバースリヴァーブ。おかげでどんなに騒然とした呑み屋ででも、わずかにスネアやギターのフレーズが耳に届けば、KISSは「あ、プリンスの曲だ」とわかる程の個性を得ています。トレードマークになる音やフレーズをこれでもか!と投入するのではなく、「この曲はこれで充分」と見切ること、曲が曲として成立する最低限必要な音を見つけること、ここに「作家としてのプリンスの凄み」があるのです。

ーーー作家としてのプリンスの凄み!服部さんの解説を伺って、プリンスのあの代表曲を聴くだけでも、新たな発見や曲の違った側面が感じられます。同じ曲が違って感じられる経験につながるんです。服部さんはプリンスを語り継ぐNew Power Talkライヴにも登壇されましたが、その時の様子を「多幸感」という言葉で表されていましたね。そのときの印象について、聞かせてください。

服部:我々のようなマニアになると、同じレベルで話し合える、共感しあえる友を得にくくなります。致し方ないこととは言え、鬱憤を募らせていましたが、あのトークイブですべての欲求不満が浄化されました(笑)。

 誰かと共感しあえる喜び、知的欲求を満たせる喜び、何よりもプリンスを通じて繋がる縁。これを多幸感と言わずして何と言うのか(笑)。

ーーーたしかに(笑)海外では芸術家としての評価を得ているプリンスですが、国内の評価についてはどのように感じていらっしゃいますか?

服部:個人的にはずいぶんとプリンスの評価は高くなったと感じています。転換点はやはり改名騒動の頃でしょうか。「いろいろ言われているけど、そもそもこの人すげえ!」という認識が広まったように思います。

アルバム『COME』を知り合いのミュージシャンがすごく高く評価していて、しかもその人はずぶずぶのジャズ・ミュージシャンで、これまでプリンスなんて聴いたこともない!という人だったのに。日本国内ではそういう小さい事例がたくさん積み重なってきていると感じます。

 

ーーーなるほど、他ジャンルにも真価が伝わり始めた、と。


服部:音楽の領域では、そう感じますね。

プリンスがビートルズスティーヴィー・ワンダーのように「誰からも批判されない」状況はあり得ないと思うのです。プリンスはそういう空気をかき回す人ではないか。

 モントルー・ジャズフェスティバルに出演した時だって、「なんでジャズフェスにプリンスなんだよ。あいつジャズじゃねーじゃん」という批判はあったと思うけど、いざ演奏してみれば、強烈なオリジナリティと常に自身をブラッシュアップし続けるという意味では、昨今のどんなジャズミュージシャンよりもジャズだったというオチを付けてくれた。

 

ーーージャズよりもジャズ!

 

 

服部:そうです。「本質を理解していない批判」に対しては常に実力で落とし前を付けてきたプリンス。これからも音楽の本質に気付いた人たちから高く評価され続け、長い時間をかけて浸透していくと思います。

 我々はプリンスに関する(おこがましいけど)生き字引として、そういう目の覚めた人たちに対して正しい情報を発信できるよう常にスタンバイしておくこと、そしてその状況を長く維持することが肝要だと思います。

 

ーーーなるほど、正しい情報のスタンバイ。


服部:若いミュージシャンはともかく、プリンスと同時代に音楽活動をした経験のあるミュージシャンでプリンスを知らない人はいないでしょう。好き嫌いはともかく、一定の評価はせざるを得ないと思います。私が挙げたジャズ・ミュージシャンの件は本当に草の根事例ですけど、これまでプリンスと無縁な人でも、ある日「なにこれカッコいい!」となる瞬間を何度も見ているので、これは普遍性の高い音楽には必ず起こる話だと思うのです。

 なのであまり現状を心配していない…とも言えます(笑)。ブルーノ・マーズを通じてプリンスと出合う若いリスナーもいるでしょう。その意味では楽観しています。

 

 
ーーー確かに、プルーノマーズに代表される、プリンスに影響を受けた世代が頑張っていますね!最後に、服部さんより、Purple Universityの読者の皆さんにメッセージをお願いします。

服部:様々な知見を持ち寄れることこそが、我々プリンスに影響を受けた者の良いところだと思います。私自身もひとりのファムとして、あるいはオーディエンスとして、新しい知識と視点を得られればと思います。そしてプリンスに最大級の感謝を!

ーーー服部さん、ありがとうございました。私が知りえない素晴らしき見識をシェアしてくださり感謝してます。

服部:こちらこそありがとうございます!

 

 

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服部暁典 Official Website

http://www.acatsuki-studio.jp/

 

最新作 琥珀

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プリンス 7 つの質問 11 古賀 史健

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1.あなた自身を紹介してください。

 

 ライターの古賀史健と申します。『嫌われる勇気』(共著・岸見一郎)という本や、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(共著・糸井重里)という本などを書いている46歳です。

 

 2.あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

※(古賀註)本サイトをご覧のみなさま。ここに書かれている「ファム」とは誤植ではありません。プリンスは「ファナティック=狂信的な」に通じる「ファン」ということばを避け、「ファミリー」に通じる「ファム」の語で、自らのファンを呼んでいました。

 

 彼の存在は小学生のころから知っていたのですが、自分のお小遣いでレコードを買って聴いたのは『Lovesexy』が最初でした。そこから旧作をさかのぼり、また新作を追いかけ、現在までずっと一緒に生きてきました。

 

3.あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 2002年11月の「One Night Alone...」ツアー、武道館公演です。90年代のワーナーとの確執(ぼくは Slave 期と呼んでいるのですが)から解放され、心身ともに自由になったプリンスがこころの底から音楽をたのしんでいる、すばらしいステージでした。

 あれはどの曲のあいだだったのかなあ。確信を持って挿入された「マイ・ネーム・イズ・プリンス、アンド・アイ・アム・ファンキー! マイ・ネーム・イズ・プリンス、ワン・アンド・オンリー!」の歌詞。観客をステージに上げて「ファンク!」の掛け声とともにダンスさせる、あの演出。

 ライブ会場で踊ることの苦手な自意識過剰のぼくが、唯一ダンスフロアのように踊りまくったのがあの日の武道館でした。

 

4.あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? 

 

(1)Pop Life

 すみません、正直言って大学生になるくらいまで、プリンスの歌詞をほとんど気に留めていませんでした。「キスとかラブとかセックスとか、そういうエッチなことを歌ってるんだよね」くらいに思っていました。そんなぼくが、はじめて歌詞カードと睨めっこして衝撃を受けまくったのが、この "Pop Life" です。

 

 

 

 これ、めちゃくちゃポップな曲調じゃないですか。サビの部分では何度も「♪ポップ、ライフ」ってくり返してるじゃないですか。当然、そういう能天気な、ひまわりみたいな歌だと思うじゃないですか。でも、ぜんぜん違うんですよ。いや、これからプリンスを聴く人に向けて話していますけど。めちゃくちゃ意訳を交えながら話しますけど。

 

曲の冒頭、「最近どうしちゃったの?」と問いかけるプリンス。

傷つき、塞ぎ込んでる誰かに向けて、それが貧困のせいなのか、セクシャリティのせいなのか、肌の色のせいなのか、薬物のせいなのか、さまざまな問いを投げかけるプリンス。そしてサビの部分で、こう歌うのです。

 

" ポップ・ライフ

  みんなスリルを求めてる

  ポップ・ライフ

  ぼくらはこころの隙間を埋めていく

  ポップ・ライフ

  誰もがトップに立てるわけじゃない

  でも、ポップに生きなきゃ、

  ほんとのファンキーにはなれないんだよ

  わかるよね? "

 

さまざまな苦難や絶望を受け入れ、それでも「ポップであれ、ファンキーであろう」と。ああ、こんな人生賛歌を届ける人だったのか、この人は!

 

いまでも聴くたびに泣きそうになる(こんなポップな曲調なのに!)曲です。

 

 

(2)Sign O’ The Times

じつはこれも「すみません」の告白からはじまる1曲です。

えーとですね、もちろん2枚組の大傑作アルバム、『サイン・オブ・ザ・タイムス』の冒頭を飾るタイトル曲です。1曲目ですから当然、うんざりするほどの回数、聴いています。けれども正直、この曲について「すごいことがはじまる幕開け感」以上のものは、感じていなかったんですよ、むかしは。なので CD で買い直してからは、スキップしてしまうこともしばしばでございました。

 

 

 

  ところがイギリスのロック・バンド MUSE がカバーしたこの曲を聴いて、震えまくったんです。こんなにカッコイイ曲だったのかと。やっぱりギター、ベース、ドラム、キーボードの4人という、シンプルなロックバンド編成で弾いてくれたことがおおきかったんだと思います。いやー、ごめんなさい。こんな感じでたぶんぼく、まだまだそのポテンシャルをわかりきれていないプリンス曲、たくさんあるんだと思います。

 

 

(3)Rock & Roll Is Alive! (And It Live In Minneapolis)

 プリンスって、よくも悪くも謎が多い人で、気むずかしい完璧主義者のように思われている面も多いんじゃないかと思います。

 録音済みの新曲が数千曲ストックされているとか、来日当時ポップコーンしか食べていなかったという目撃証言とか、例外的に受けるインタビューではテープ録音を禁じるとか。

 で、そんな気むずかしいイメージをぶっ壊してくれるのがこの曲。1995年にレニー・クラヴィッツが発表した "Rock and Roll is Dead" へのアンサーソングです。

 

 

 

「ロックンロールは(オレの本拠地ミネアポリスに)生きている!」って、もうタイトルだけで爆笑モノの、出オチソングじゃないですか。こういうお茶目なところも、プリンスの魅力なんですよねー。シングル盤 "Gold" のカップリング曲です。

 

 

そしてプリンス、腹を立ててこの曲をつくったわけじゃなく、レニー・クラヴィッツの登場が嬉しかったんだと思うんですよ。自分と同じマルチプレイヤーの、骨のあるミュージシャンが出てきたことが。2000年のカウントダウンを祝うライブ、"Rave Un2 the Year 2000" での共演は最高でしたしね。

 

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

 ぼくにとっては「ブラック・ミュージック」の扉を開けてくれたアーティストが、プリンスです。ですから、答えは「ブラック・ミュージックのすべて」になると思います。

  プリンス自身がインスピレーションを受けた、ジェームズ・ブラウンジョージ・クリントンブーツィー・コリンズメイシオ・パーカーら、The J.B.'s 〜 P-Funk 軍団の素晴らしさを教えてくれたことがなによりも大きかったです。エリック・クラプトンがブルーズへの扉を開いてくれた偉人だとすれば、プリンスは豊潤なファンク・ミュージックへの扉を開いてくれた大恩人です。

 

 

 

6.プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

ポップに生きること。ファンキーであること。自らのスタイルに忠実であること。

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

  プリンスの死後、それまで厳しく制限されていたオンライン上のプリンス動画が一挙に解き放たれました。やはりプリンスはレコードよりも LIVE の人なので、できるだけたくさんの人に彼の映像を観てほしいです。いちばんいいのは "Rave Un2 the Year 2000" かなあ。これまで何人もの「非プリンスファム」に見せてきましたが、当然のように全員が感激、感動、大絶賛していました。また、MUSE のように、彼をリスペクトするミュージシャンたちのよるカヴァーも、もっともっと期待したいですね。

 

 

古賀史健 

twitter.com

 

 

パープルインタビュー/NPG Prince Site KID氏 情報系01

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日本語で「プリンス」「曲名」を入力すれば、必ず上位に出てくるサイト、【NPG Prince Site】、その膨大な情報量と客観性を忘れない解説は、数え切れないくらい多くの人たちのガイドとなってきた。日本語圏における最大のプリンス情報データベースをリアルタイムで更新し続けるその情熱はどこからくるのか?オーナーであるKIDこと松下康博氏にお話を伺った。


――まずはプリンスを聴かれるようになったきっかけから教えてください。

 最初に聴いたのは学生の頃、AMラジオから流れてきたI Wanna Be Your Loverでしたその番組ではEW&Fとかディスコ・ソングが流れてて、その中の一曲だったんですが、プリンスのファルセットに魅了されました^^
 
 

 
――I Wanna Be Your Loverがファーストコンタクトだったんですね!それから、どんな風にハマっていったのですか?

 その時は単に好きな楽曲の1つ程度だったんですが、Dirty Mindがリリースされた頃にまたラジオで流れてきて、これでハマってしまいレンタル・レコード屋に借りに行きました。
 その時、初めてプリンスの容姿をアートワークで知る事になり衝撃が走りました!あまりにも声と容姿のギャップに・・・
 

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――ショックを受けた、と(笑)その衝撃は、どちらの方向にいったのですか?

 最初は”ビキニ・・・”って感じでしたが、良くも悪くも私が聴いてた頃は音楽雑誌やMTVが無かったので、それ以上の情報が入らないので純粋に音だけで好きになりました。
 元々、カーティス・メイフィールドが好きだったので、プリンスのファルセットが気に入ったってのもあるかもしれません。Controversy→1999と毎年アルバムをリリースしてくれてたので、毎回ワクワクしながらアルバムを聴いていました。

――純粋に音楽で判断できた時代だったんですね!ずっとプリンスを聴いてきて、プリンスの凄さ、魅力ってズバリ、どんなところでしょう?もちろん語りつくせないのは十分わかっておりますが(笑

 難しいですね・・・小柄な体から繰り出される音域の広いヴォーカル、そして毎回新しい事にチャレンジするサウンドに魅了されました。実は映像を見るのは少したってからなんで、最初はとにかく音先行でした。初めて見たのは中学生頃に地元熊本で放送されてた”かなぶんやのサタデー・ミュージック・スペシャル”で、そこでPVを見て、また衝撃!
 ビキニパンツで踊ってるプリンスを見てビックリしたんですが、もうその時すでにファンになってたので多少戸惑いはあったけど気持ちが揺らぎませんでした。1980年位だったのでDirty Mindを筆頭にまとめて色々見たって感じでした。
 
 


ーーーいちばんアヴァンギャルドな時期じゃないですか!素晴らしいです。ご自身のサイトで、ずっとプリンス、またプリンス関連の情報をご紹介されています。あれだけの情報量をずっと追いかけ続けるのは大変だと思うのですが・・

 今だとネットで簡単調べられるけど、あの当日は情報も少なく音楽雑誌でも取り上げられる事も少ないから大変でしたね~。ですので、レコード屋の店員さんとお友達になって情報もらったりしてました。あとはレコード棚をAから順に見ていき、雰囲気が似てそうなのを見つけたら裏面のクレジットみたりしてました。

――そのようなご苦労があったんですね!松下さんのサイトで情報を得られた方は、物凄い数に上ると思います。本当にありがとうございます。プリンスのみならず、プリンスファミリーや関連の人たちもフォローされていますが、そのあたりの魅力とは?

最初のとっかかりはThe TimeやVanuty 6でした。そこでプリンス・サウンドだけど自分で表現出来ないサウンドを展開してると解り、魅了されて行きました。

―――このアルバムは聴いておくといいよ、という推薦があればぜひ教えてください!

 時代毎に色々良いアルバムがあるから難しいですね・・・聴く相手の好みもあるけれど、Madhouseの「8」と「16」かな?エリック・リーズと出会いエリックからマイルスを勧められた事でプリンスがジャズ・サウンドにのめり込むキッカケ的な作品ですよね。
 


 
 色んなサウンドを吸収したプリンスだけどジャズはずーっと根底に流れていて、このアルバムが後々「Xpectation」や「NEWS」等に発展していったと思います。この辺から音楽の幅がグッっと広がりましたよね。

―――確かにそうかも知れないですね!90年代のプリンス・プロデュース作品はいかがですか?一般的にはあまり知られていない現状があるとは思うのですが・・・

 90年代は新しくNPG Recordを設立した大きな波でしたね。チャカ・カーンやラリー・グラハムとか当時レーベルに見放されたアーティストを迎え入れ救済したのは印象的でした。
 
 

 
 この他にもメイヴィス・ステイプルズ、ザ・スティールズ、サウンド・オブ・ブラックネス等、数多くのアーティストをプリンスが救済した年代だと思います。自身のレーベル以外にも一番外部にプロデュースした年代ですよね。

 ジョージ・クリントンみたいな大御所がいるかと思えば、エリサ・フィオリオやマルティカポーラ・アブドゥルみたいなアイドルまで、とにかく多彩なアーティストをプロデュースしてましたね。1曲だけプロデュース、のケースを含めると40組以上いますから。ビックリです!

――40組以上!90年代も新人からベテラン復活サポートまで、重要な活動をしていたんですね!松下さんは、『プリンスの言葉』の書籍のチームメンバーとしてもご活躍いただいたのですが、多国籍軍によるプロジェクトに参加してみていかがでしたか?

 私より豊富な知識をお持ちのファンがいる中で、お声かけいただき大変光栄な事だと思ってます。参加する事で色んな方のプリンスに対する思や自分では気づかなかった新しい発見が出来てる事は本当に楽しいです。

 特に今回の書籍のプロジェクトで歌詞、リリースされた時代背景等を調べていく事で、プリンスが伝えたかった事を再発見出来たのは有り難かったです。個人的には、このプロジェクトや自身のサイトで追悼コメントをまとめる事で、ショックを少し和らげる事が出来ました。もし何もやってなかったら途方に暮れてる日を過ごしたと思います。

――膨大な蓄積、そしてご自身のサイトでの情報発信に感謝しています。多くの方がプリンス・ロスにさいなまれている中、追悼コメントの作成も本当にお疲れ様でした。松下さんの蓄積が、多くのファンの皆さんに勇気を与えていると思います。それでは、最後にPurple Universityをご覧の皆様にメッセージをお願いいたします。
 

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 4/21に起こった"ミネソタの悲劇”は未だ信じられない事で”実はペイズリー・パークでこっそりレコーディングしてるんじゃないか?”ってつい頭をよぎってしまいます。
 悲しみはなかなか癒えませんが、私自身はこれからも彼の作品を聴きながら新しくfamになってくれる方の道しるべ的なサイトを目指して運営していこうと思います。

―――貴重なお話の数々、どうもありがとうございました。

こちらこそありがとうございました!

NPG Music site
http://www.npg-net.com/prince/
 

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「The Beautiful Ones プリンス回顧録」推薦の言葉 

プリンスが書いたのはたったの28ページ、スーパーボウルまでを書くと発表されていた事を考えると曲にしてみればAメロどころかイントロにも満たないラフなメモ。完璧主義のプリンスにとって未完成過ぎる作品ですが、冒頭の一音目から繊細且つ衝撃的な言葉選びはプリンスらしい歌詞の様で、もし完成していれば回顧録として革命が起きていた事は想像に難くなく、隣で追体験するような感覚に浸る事ができるダン・パイペンブリング氏による序章も素晴らしいです。翻訳をされた押野素子さんに感謝します。

――KID(http://npg-net.com運営・書籍『プリンス・ファミリー大全』監修者/執筆者)

 

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DU BOOKS

diskunion/DU BOOKS (@du_books) | Twitter

 

THE BEAUTIFUL ONES プリンス回顧録/PRINCE / プリンス|DU BOOKS|ディスクユニオンの出版部門

 

食わず嫌い王子 02 勝井 洋/理学療法士

 

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食わず嫌い王子 ~あなたの殿下がここにいる!かも?~

ヨーロッパやアメリカでは「現代のモーツァルト」として高く評価されリスペクトされる一方、日本の一般層には「プリンス?誰それ?」状態。そんな時代に、究極のお節介企画、『食わす嫌い王子』。プリンスをあまり聴いていない方、存在自体知らない若い世代に、「殿下の音楽は届くのか?」実験的インタビューをここにお届けします。

勝井 洋さん/理学療法士 https://twitter.com/fightingmed

ーーーこんにちは、紫大学です。このような実験的な企画にご賛同いただき、ありがとうございます。まずは勝井さんの自己紹介をお願いします。

 

勝井:勝井洋と申します。この度はとても面白い企画へ参加させて頂きありがとうございます。私は格闘技をしていたことからリハビリの理学療法士という仕事に就いています。音楽は高校の頃は同級生に洋楽好きが何人かおりロックを中心に勧められたCDを聴いていることが多く、激しい曲調で政治的な思想をメンバーが持っていることにも興味がありRage Against The Machineが特に好きでした。

 

ーーーロックからスタートされたんですね!

 

勝井:はい!20代からヒップホップを好きになりその中でも特に生き方にも刺激を受けた2PACのファンになり今もよく聴いています。ジャズも好きで毎年常連として通っていたカフェで行われていた野外ジャズライブに行っていたこともありました。

 今は特定のジャンルやミュージシャンにハマっているということはありませんが、寝る前には脳をリラックスさせるような音楽をかけたり運転中に好きな音楽をかけたりなどライト感覚で音楽を楽しんでおります。

 

ーーーなるほど、医療者であり、格闘技もされているのですね。RATM、2PACがお好きということですが、ぜひ彼らの魅力を教えてください。

 

勝井:RATMの魅力は感情を揺さぶられるような音の強さがあることで、特にアドレナリンが出るような曲をよく格闘技の練習に向かう車の中で聴いていました。20代後半になると少し落ち着いてリラックスして聴けるような音楽が好きになり、2PACの作品にはアップテンポなものだけでなくメロウな曲もあることに魅力を感じています。

 そこから2PACがどんな人物かにも興味を持つようになり、短い生涯の中でも多数の未発表曲を残して多作であったことや、当時の黒人社会の厳しい環境をリアルに伝えていることに一人の人間としての強さを感じてより好きになりました。2PACが獄中で読んだ哲学者のニッコロ・マキャヴェッリの著書「君主論」に影響を受け「マキャベリ名義」にしたエピソードがあり、当時の自分はそれを知って現実的な考え方やリーダー論の勉強になるきっかけをもらいました。

 

―――RATMのアドレナリンがでる、すなわちテンションがあがるような音楽はここぞというときの強烈なカンフル剤としても意義があるように思います。そして2PACは25歳で凶弾に倒れた、カリスマラッパーですよね。よろしかったら、勝井さんのお薦めの曲を紹介していただけますか?

 

勝井:推薦曲は「To Live and Die in L.A.」です。歌詞にある「またこうして耳障りな曲を書いてる俺。けどこんな俺でも物事を前向きに考える事を身につけたんだぜ。だからこうしてペンを片手に戦ってるのさ 」という言葉にポジティブ思考が感じられて好きです。

 

―――2pacの歌詞も力強いですね。名前を変えて活動した、という点も興味がわくところです。こうやってお話を伺っていますと、「差別や問題の中にあっても強くあろうとする意志のような音楽」が勝井さんのお好みなのかな、という印象を勝手に受けたのですが、いかがでしょうか?もちろんそれだけではないという前提の上で。

 

勝井:仰る通りだと思います。逆境の中から立ち上がる、自分を強くするような勇気をもらえる音楽は楽曲だけでは無い「何か」を感じます。自分の中ではそういう要素もひっくるめてカッコ良さであったり、曲から受ける印象であったりが音楽に求めるものなのかも知れません。

 強くなりたかった、格闘技をやり始めた頃や社会人として働き始めた頃の気持ちとリンクしているような気もします。そのミュージシャンに対する憧れもセットで好きになっているのも確かにあります。ですので今の自分の状態や気持ちに合わせた音楽に出会えたら、そこからまた好きになれる音楽との出会いがあるのかもしれないと、質問を受けて私も気付かせて頂きました。

 

ーーーなるほど、格闘技、お仕事、ご自身が目指す方向などをふくめて、音楽がそれらを緩やかにつないでいるのかも知れないですね。

 

  

2PACのご推薦の曲も聞かせていただきましたが、あくまでも主観ですが、アメリカ西海岸の開放感ある心地よいサウンドの中に、時々いわゆる放送禁止のダーティーワードが混じってくる感じが印象的でした。「だからこうしてペンを片手に戦ってるのさ 」のメッセージ通り、ポジティヴなサウンドと映像に伝えたい本音を乗せてるのかな?なんて。続いて、RAGE Against The  Machineも検索してみました。

 

 

「疾走感に溢れててカッコいいなぁ!」が第1印象だったのですが、何回か聴くと、1曲の中に抑揚があったり、展開があったりで、「いわゆるノリだけで突っ走る感じ」じゃないんだなぁ!と。フラストレーション溜まったときに大音量で浴びたい曲がまた見つかった気分です。

 

勝井:音源を検索して頂きありがとうございます。2PACのこの曲はいつ聴いても日本には無い独特の感性を感じます。レイジのこの曲は総合格闘技イベントPRIDEのテーマにも使われていて久しぶりに聴くと当時の熱さが蘇ってきますね!

 

ーーーたしかに!2PACは映像も含めてLAを知る手がかりのような気がしましたし、RATMと格闘技は納得の組み合わせですね!またあらたな音楽を知れて嬉しいです。ありがとうございます。では、まず1曲目を選んでみたいと思います。「こんな感じ」とか「ジャンル」とか何でもいいですので、お知らせください。

 

勝井:では、自宅でトレーニングで一人でもモチベーションが上がるような曲をお願いしたいです。

 

ーーーわかりました、ではEndorphine Machineをご紹介します。

 

 

勝井:まずは曲のパワフルさを感じました。全ての音が大音量で流れているような、それぞれの力強さがありますね。そしてリズムに乗りやすいのも格闘技トレーニングにはすごく良いですね。始めから終わりまでずっと乗っていられる心地よさがあります。

  曲の全体的な感じとしてはすごく明るいですね。怒りをぶつけるような曲ではなく、中にあるエネルギーをとにかく解き放ちたいようなエネルギッシュさからくる激しさ、こんな感じは身体を動かしたい衝動ともリンクすると思いました。

 「細かいことは気にせずガンガン行こう」というような気持ちにさせてくれるのも日常のストレスを気分転換したい時に良いですね。プリンスのシャウトや途中のラップのような部分も印象的で、楽しく歌っているのが伝わってくるような感じがあって好きなことに打ち込みたい時にも気分的にマッチするように感じました。

 

ーーー素敵なインプレッションをありがとうございます。K-1のテーマにもなった曲でもありますので、パワーありますよね。そして「エネルギーを解き放ちたい」という言葉にはびっくりしました。

 

勝井:おおお!

 

ーーーこの時期のプリンスは、名前をシンボルマークに変えた時期で、簡単に言えば「新しい自分としてデビューする」そんなフレッシュさがあって。音と映像からも以前のプリンスとは明らかに異なるオーラを放ってるような気がします。

 ラップの部分、言われてみればラップでしたね。僕なんかは逆に、プリンスのいろんなスタイルが混ざった唱法に良くも悪くもなれてしまっていますから、逆のその表現が新鮮だったりします。

 

勝井:色々とお話を聞くと面白いですね。「新しい自分としてデビューする」、そんなタイミングと重なっていた曲だとは知りませんでした。

 

ーーー新しい名前は発音できないシンボルマークだったんです。「改名しますが、新しい名前は読めません」って意味が解らんでしょう(笑)?

 

勝井:発想がすごいですね。他のアーティストには無いプリンス独自の魅力という部分でしょうか。

 

ーーー長年フォローしてきた支持者でも「???」なんてことはしょっちゅうあってですね。「はーー?」「なにそれ?」みたいに「?」を投げてくるんです。また質問で恐縮ですが、勝井さん、音楽って見るものですか?聴くものですか?

 

勝井:見るものと思ったことがあまりなかったですが、やはり聴くものではないでしょうか。

 

ーーーそうですよね、音楽は目に見えない。じゃあ、彼のシンボルマークは目には見えるけど、読めないし発音できない。ということは・・・・

 

勝井:発音できないものは、見て感じるしかないですね。

 

ーーーそうなんです。感じろ、そして自分で意味を考えろ!と。彼は最終的に答えを言わなかったんですが、「形には見えないプリンスの音楽」に「発音できない形を与えた」、つまり「プリンスの音楽」をシンボライズしたと考えられるわけです。

 

勝井: あー、なるほど、音楽にそれまでには無かった見えるイメージが付与されるような感じですね。プリンスといえば…と思った時に音だけで無く可視化されたイメージがわくような。

 

―――まさしく。逆に形をみれば音楽が想起される。音楽に形を与えた人、でもあるわけです。普通、そんなことは誰も思いつかないですよね?

 

勝井:音楽に形を与える・・・それだけ音楽というものを深く考えていたような気がしますね。そのお話を伺うと、音楽の世界だけで考えるのでは無く、全体の中の音楽を考えていたのではという気がします。音楽というジャンルの壁に穴を開けて現実に生きてる人たちに何かを語りかけるメッセージがあるのかも、と思わされます。

 

ーーー今、勝井さんが仰ったとおりだと思います。映画にしても、スポーツにしても、学問にしてもそうかもしれませんが、彼は「音楽は人々にとってどうあるべきか?」という視点を持ち続けたんじゃないかな?と僕は思います。

 

勝井:興味深いところですね。私はそういう「人」の部分を知るのが好きなのでこういうお話はとても楽しいです!

 

ーーーお付き合いいただきありがとうございます!それでは2曲目に参りましょう。なにか浮かびましたらお知らせください。

 

勝井:ここまでは元気の出るような曲でしたので今度は気持ちがリラックスするような曲、夜に聴きたくなるような曲はいかがでしょうか。

 

ーーーでは、瞑想、入眠用の1曲としてこちらはいかがでしょうか?  プリンスの覆面プロジェクト、Madhouse のEightです。

 

 

勝井:瞑想、入眠にぴったりですね。無駄を省いた音が印象的な序盤から、だんだんと舞台が作られるように音が重なり、3分を越えたあたりからは色んな音と旋律がキャラクターとして次々に入れ替わり登場するような情景が浮かび楽しい音楽として最後まで聴きました。

 この曲一つの中で自分が好きなパートを探して人と比べてみるのも面白いかもしれませんね。全体的にも落ち着いているのですごく聴きやすかったです。

 

――よかったです!

 

勝井:瞑想時に心を落ち着かせたい時にも、今聴いている音そのものに精神が引き込まれて、雑念が無くなる感覚があって良いですね。心がざわついている時にはこれからも度々聴きたいと思いました。

 こういう曲は今まで聴いたことが無かったです。ジャンルがあるのか分かりませんが、型にはまらない、脳へ直接作用するような音の連続は非常に心地良くて好きになりました。素敵な曲に出会わせて頂いてありがとうございます。

 

ーーー繊細な部分まで言葉にしてくださったことをうれしく思います!おっしゃる通りで、この曲の面白さのひとつは、少しずつ、少しずつ、音が丁寧に重なっていくところだと思います。

 最初のリズムを刻む変な声?が徐々に他のサウンドに包まれていくような。ちなみにこの曲、データベースによれば、サックスとフルートはエリック・リーズ、残りはプリンス自身が演奏してるとされています。ほんとかよ!?といつも思うんですが。でも、この人ならやりかねない、という。

 

勝井:そこがまたすごいですね。まさかとは思ったのですが、プリンスが様々な楽器に精通していることを証明するような曲ですね!

 

ーーー尋常じゃないですよね(笑)ちょっと話が戻ってしまうのですが、2PACのことで思い出しました。ジャネット・ジャクソンが主演の映画、Poetic Justiceに2PACも相手役で出演しているのですが、そのサントラにプリンスが書いたGET IT UPという曲がありまして、当時飛ぶ鳥落とす勢いで大人気だった3人ガールグループのTLCがカバーしているんです。

 

 

 

勝井;プリンスの幅の広さに驚きました!まさか2PACTLCとも映画作品を通して繋がっていたとは思いませんでした。この曲も耳に残るキャッチーさがありますね。

 

ーーーそもそも、ジャネット・ジャクソンがブレイクしたのは、プリンスの子分バンド、ザ・タイムのメンバー2人がプリンスに解雇されたところからスタートしてるんです。

 

勝井:え!?そうだったんですか!関連しているどころか源流に関わる繋がりだったんですね。そこからどうなるんですか?

 

ーーー解雇されたジャム&ルイスの2人組はプロデューサーとして頭角を現し、ジャネットを「マイケルの妹」からジャネット・ジャクソンに成長する手助けをしたんです。その子分バンド、ザ・タイムの曲(プリンスが書いた)をTLCがカバーしている、という運命の皮肉で、2PACともつながる、という(笑)

 

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勝井:なんだかすごい繋がりですね。プリンスの周りには有能な人もたくさん集まっていたということでしょうか。

 

ーーーそうですね、結果として才能が集まったんですけど、やっぱりミネアポリスという田舎にいながら、しかも人種的マイノリティがメジャー契約を勝ち取った、ってのが、最初の扉を開いたみたいです。それまでNYとかLAに「上京」するしかなかったんですけど、「実力があれば何とかなる!」を見せつけちゃった。

 

勝井:それは凄い!

 

ーーー映画『パープルレイン』で、ミネアポリスを音楽都市として有名にして。ジャネットもミネアポリスに滞在して録音したり、で。

  

勝井:不利な状況をひっくり返しちゃったんですね。それも大きな影響ですね。新しい扉を開くのはそれまでにない結果を出すような突き抜けた実力だったということですね。プリンスのキャリアは、計画的だったんでしょうか?

 

ーーーどこまで計画だったかはわかりませんが、僕がスゲーな、とデビュー前に「飛びつかなかった」ことですね。いろんな話もあったけど、納得いく契約になるまで、金が無くても耐えたらしいんです。僕ならすぐ飛びついちゃうだろうな、と。

 

勝井:そういうところもすごいですね。自分の能力の高さを分かっていて安売りはしなかったということですね。

 

ーーーそうかも知れないですね。10代の頃は1日12時間くらい練習してたそうですから、虚勢ではない自信があったのでしょう。さて、いよいよこのおせっかいな企画も、ラスト曲となります。どんな感じで参りましょう?

 

勝井:せっかくですのでプリンスの才能や能力の凄さが分かる一曲が聴きたいです。プリンスがそれだけの練習量をこなし、自信があったことを感じられるような、もちろん表には分からない裏話も含めてのエピソードのある曲など、渾身のおすすめ曲を教えて頂きたいです。

 

ーーーでは、こちら  Condition Of The Heart を。もしも可能ならヘッドフォンを使って試していただけたら。

 

 

勝井:何度も聴いてみました。ヘッドフォンでの大きめの音で聴いた時、一つ一つの音の響きや違いが感じられて重厚さがとてもよく分かります。それだけ繊細さの積み重ねのような曲なのだと思いました。一つの曲の中に一体いくつの楽器が使われているのか、と思わされる前半部分でした。

 後半から始まる歌声に合わせるようなそれぞれの音も一つとして同じものが無いように思いました。これもヘッドフォンで雑音の無い状態で聴かないと感じにくい部分ですね。

 これだけの構成を考えるのはすごい手間がかかっているのではないかと思いました。このようなじっくりと聴かせる曲があるというのが、今までプリンスのイメージとして知らなかったことなので興味深かったです。もっとキャッチーさがあってポップな曲を作るイメージがあったのですが、プリンスの力の幅広さを感じる一曲でした。何度聴いても飽きが来ない曲でもありますね。1人の時間で集中して過ごす時には聴きたい曲という印象でした。

 

ーーー長めの曲に関わらず聴いてくださりありがとうございます。そして一人の時間を過ごすときに聴きたい、という言葉に驚きました。歌い出しまで、イントロが二分四十秒くらいあるんですが、全くキャッチーではないし、ラジオやストリート、ショッピングモールでかかるような曲では無いのは間違いないと思うんです。ヒットには不向きということですよね。

 

勝井:たしかに。

 

―――じゃあ、なぜプリンスはこのような曲をアルバムの中にぶっこんでくるのか?それを考えたときに、まさに勝井さんのおっしゃる通り、一人の時間を過ごす、すなわち自分のインナーな世界に向き合うためなんじゃないかと思うんです。

 僕がそういうことに気がついたのは、聴き始めてからかなり経ってのことなんですが、今日初めて聴かれた勝井さんがその印象をもたれたことに驚きました!

 

勝井:プリンスとインナーな世界と聴くと、しっくりくる感じがするのですが、プリンスはこういう曲の良さを世間に知らせたかったという思いがあったのでしょうか?私はこの曲からプリンスの芸術家としての一面を見たような気がしました。

 

ーーーきっとあったと僕は思います。「魂を込めて音楽をやれば、自分に起きた変化が聴いている人にも必ず起きる」彼はこのような発言をしていて、自分の中での深い気づきであったり、反省であったり、寂しさであったり、怒りであったり。そういうものを作品として発表することを恐れなかったんですよね。

 

勝井:魂を込めて音楽をやれば・・・

 

ーーー勝井さんも、医療者として患者さんに共感するというか、感情を共有するような場面を経験されることはありませんか? プリンスがやってきたのも、おそらく深い部分でつながる、ってことなんだと思いますし、インナーな世界、つまり「パーティー」だけじゃなく 「内省」も促したんだと思うんです。

 

勝井:すごいです。そのプリンスの言葉に感動しました。仰る通り、他の分野や仕事においても同じことが言える、普遍性を持った言葉ですね。これは今の曲と合わせて私の人生に新しい大切な気付きとしてずっと残ると思いました。

 私の体験と重なる部分としても、本当はリハビリという体験を通して患者さんには自分の身体のことを知って自らコントロールできるようになる、ということが伝わった時、気持ちを込めてやっていて良かった、と思います。

 本当は伝えたい部分はそこでも、やはり誰もがすぐにはそこまで意識はできない、だからその現状を踏まえて患者さんが受け入れやすい形で治療のプログラムを考えて提供するのですが、それは音楽に例えれば耳触りの良い音楽ではあるけれども本当に自分がやりたかったことでは無いような…「大ヒットはしたけど自分としては実はイマイチな曲だった」と表現するような感覚があります。

 

―――そのお話、ぜひ続けてください。

 

勝井:はい、私が理学療法士として成長する為に、1人の時間で学問としての理学療法や医学に向き合ってきたこともすごく大切な自分自身の変化になっており、それは決して楽しいだけの過程では無かったのですが、その先には素晴らしい成長が待っていた、ということも伝えたい思いがあります。そういう部分は学生さんや後輩に伝えたいと思っていてもなかなか伝わらないことなのですが、私も「魂を込めて」やっていることなので、「自分に起きた変化が聴いている人にも必ず起きる」という言葉に勇気をもらった気がしました。

 

ーーー今の勝井さんの言葉に、感動する僕がいます。後天的に獲得された医学知識と経験がベースにあり、相手に対する責任と愛があるから、今のお仕事でプロとしてやっていけるのだと思うのですが、それは逆に見れば、患者さんとのギャップでもあるわけで、伝わる、伝わらない、とか誤解や曲解も必然的に内包すると思うんです。

それでも勝井さんが目指していらっしゃる「患者さんが自らコントロールできるようになる」地点というのは、まさにプリンス自身が目指した地点だと思うのです。

 

勝井:誤解があろうともその地点を目指した。

 

―――そうです、結局この人が伝えたかったテーマは「オレはオレの歌を最大限に歌うから、お前はお前の歌を歌ってくれ」ってことであって、医療者として「自立」を支援される勝井さんの態度に、なんかプリンスのマインドを見つけてしまったような気がするんです。

 

勝井:おおお〜、すごいです、まさかプリンスのそういう根本的な考えがあったとは!「お前はお前の歌を歌ってくれ」というマインドは人生をどうより良くするかに繋がっていると思います。医療は健康という面で人のために仕事をしますが、プリンスはアーティストとして人の生き方や哲学に関してより良くしたいという思いがあったのではと思いました。

 

―――それが伝わっていちばん喜んでるのは彼だと思います。

 

勝井:だったら私も嬉しいです。何よりプリンスが実際にアーティストとしてとった方向性に私は興味を持ちました。突き詰めた考え方は他の人とのギャップでもあるので、やり方によってはただのエゴの押し付けとしてGIVEでは無くなってしまうと思います。でもプリンスはセールスでも結果を出し、同じ業界のアーティストにも多大な影響を与えたという点でしっかりプラスの方向へ持っていったというのが、私が学びたいところです。

 

ーーープラスの方向!

 

勝井:プリンスはすごく人並み以上に考える人だったのではないかと私は想像しています。自分とも向き合い、外の世界とも向き合い、2つの世界を矛盾なく最高の形で成立させる境地を見つけることは難しいと思います。自分の思い描く理想と現実とのギャップに、自分が現実に合わせて妥協することで折り合いを付けることが私自身ありますし、そこで苦悩することも多いです。だからプリンスの伝えたかったテーマの「オレはオレの歌を最大限に歌うから、お前はお前の歌を歌ってくれ」という言葉がすごく考えさせられます。

 そして「オレの歌を最大限に歌う」プリンスに憧れる人がいることから、彼は「その人が変わるという道筋」を考えたのではないか、と思いました。それを成立させたのが圧倒的な音楽的スキルやセルフプロデュース力だったのならそれはプロとしてすごくカッコいいですね。

 

―――その人か変わる道筋、なるほど。

 

勝井:私も医療者として「自立」を支援する思いがあったら、それを本当に実現できるようにしたいです。

 一度きりの人生をどう使うか、この対話から考えさせられるとは思いもしませんでしたが、プリンスを知ることがそういうことに繋がった、というのは見事に「お前はお前の歌を歌ってくれ」と考えたプリンスの狙い通りだったんだと思います。こういうことは例えば一冊の哲学書を読んで影響を受けるような感覚に似ていますね。このインタビューはすごく楽しかったですし、人生観を考えさせられるような機会を頂けてすごく有り難かったです。本当にありがとうございます。

 

ーーー彼もまた自助努力により圧倒的才能を手にしながらも、苦悩したんだと思います。水準が高ければ高いほど、やはり理解できる人の分母も減ってしまう。あのクラスになれば、プリンスという大企業みたいなものですから、やりたいことやるにはヒットも出さなきゃいけないし、授賞式にも出なきゃならないし、伝わりやすいこともしなきゃならない。時代と合わない時もあっただろうし、人間だから身体も引退できないアスリートみたいにボロボロになっていったと思われます。

 

勝井:たしかに、天才とはいえ人間ですもんね。

 

―――傷つき、倒れ、また立ち上がり、音を鳴らす。そんな生き様みたいなもので魅せてくれた芸術家なんですね。あれほど名曲がたくさんありながらも、人々に「曲」ではなく「プリンス」が記憶されてしまうのも、そんな特質があるからかも知れませんね。 

 

勝井:ほんと、プリンスという人が気になってしまいますね!

 

ーーー今回は、勝井さんとのお話を通じてヒップホップやミネアポリスの影響から、インナーな心象風景まで、多岐に渡るディスカッションができたこと、心から感謝します。楽曲もさることながら、表現を通じた「生き様」が伝わることが、その人が「存在」するということなんだ、と確信した時間でした。お付き合いいただきありがとうございました!勝井さんのご活動のほうも、これからも応援しています。

 

勝井:こちらも鳥肌が立つようなインスピレーションを頂いて、素晴らしい時間でした。Purple University のコンセプトは本当に素晴らしいと身をもって体験させて頂きました。ありがとうございました!

 

 (構成・編集 Takki)

 

この記事が完成したのが4月19日、同日に公開され、Twitterなどでも反響をいただきました。そして4月21日、プリンスの命日。私Takkiの携帯に、師匠の原さんから着信が。この記事を読んだ原さん曰く・・・勝井さんが推薦してくれた2PACの曲にはプリンスのDo Me Babyがサンプリングされている、というのです。つまり勝井さんはプリンスの声をすでに聴いていた・・・ちょっと驚いてしまい追記してます。

(4/21 追記 Takki)https://www.billboard.com/articles/columns/hip-hop/7341638/10-rb-rap-songs-prince-samples