食わず嫌い王子 01 三浦宏文/インド哲学者

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食わず嫌い王子 ~あなたの殿下がここにいる!かも?~

ヨーロッパやアメリカでは「現代のモーツァルト」として高く評価されリスペクトされる一方、日本の一般層には「プリンス?誰それ?」状態。そんな時代に、究極のお節介企画、『食わす嫌い王子』。プリンスをあまり聴いていない方、存在自体知らない若い世代に、「殿下の音楽は届くのか?」実験的インタビューをここにお届けします。

 

 01 三浦宏文さん/インド哲学者 

三浦宏文 MIURA Hirofumi (@HirMiura) | Twitter

 ーーーこんにちは、紫大学です。まずは三浦さんの自己紹介をいただけたらと思います、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

三浦宏文と申します。インド哲学の研究者ですが、それでは食べられないので大学の非常勤講師の他、予備校や看護学校、高校などでも教えています。

 

ーーーありがとうございます。主に哲学、そして教育にも関わられていらっしゃるのですね。趣味や好きなことはなんですか?

 

三浦:いちばんの趣味としては中学高校とやっていたラグビー観戦ですね。そしてアイドルグループのももいろクローバーZ(ももクロ)をあるきっかけで好きになり、ライブなどにも時々行っています。あとドラマや映画をよく観ます。今予定している著書はそういうサブカルチャーと仏教やインド哲学との関連を考察したものです。

 

ーーーなるほど、スポーツ、アイドル、サブカルチャーに哲学。三浦さんの幅白い嗜好性が伝わります。この企画は、プリンスをきちんと聴いたことがない方に、その方の趣味趣向や方向性にそった曲をお薦めする、という実験的なおせっかい企画なのですが、三浦先生はプリンスという音楽家をどのように認識されていますか?

 

三浦:私もプリンスの名前と曲は「パープルレイン」の頃から知ってましたが、特にとんねるずさんの番組のパロディネタから入った「バットマン」の印象が強かったです。大学に入ったぐらいだったんですけど、いつも他の洋楽と一緒にカセットに入れてウォークマンで聴いてました。ダークだけどダンサブルでかっこよかった。そして私はマイケルジャクソンをよく聴いてましたが、マイケルにはない色気をプリンスには感じてましたね。一言で言うと、セクシーなイメージが大きかったです。

 

ーーーパープルレインとバットマンのイメージですね。どちらも全米1位を獲得したメジャー作品でしたからからセクシーなイメージは広く伝わっているかも知れないですね。ではでは、早速、三浦さんへの1曲目を選んでみたいと思います。今の気分でも構いませんし、好きな音楽のタイプやジャンルでもいいですし、思いっきりロックなの、とか、わかりやすいポップがいいとか、前衛的なのとか、なんかありましたら教えてください。

 

三浦:私はやはりダンサブルな曲のイメージが強いので、まずそういう曲をお願いします。

 

ーーーでは、ダンサブルな1曲としてLOOSE! を選んでみました。

 

 

三浦:いま、三回ほど聴きました。一言で言うと「かっこいい!」です。やっぱり最初のシャウトがいいですね。高速で車運転する時とか、ジョギングなどのトレーニングの時にヘビロテで流したいです。

 

ーーーありがとうございます。「1,2,3,4」って子供でも言える数字を、なぜにこんな狂ったテンションで発するのか(笑)

 

三浦:私はジェームス・ブラウンを思い出しました。ジェームスだとあのシャウトがもう歌になくてはならないものになってる感じがします。プリンスのシャウトもやはりこの曲になくてはならないものなのではないでしょうか。

 

ーーーさすが、おっしゃる通りです。プリンスに最も影響を与えたのはJBですし、プリンスは「シャウトのまま言葉を発する唱法」に発展させました。海外では「プリンスの金切り声スクリーミング曲ベスト30」とかわけのわからないランキングがあるくらいです(笑)

 

三浦:ああ、やはりそうなんですね。

 

ーーー三浦さんのおっしゃる通り、プリンスのビートはトレーニングや運動に向いてますが、時々トンデモなくエロい歌詞の曲もあるんで、場所によっては要注意です(苦笑)では2曲目はどのような感じで参りましょう?

 

三浦:エロいの嫌いではないですが、気をつけます(笑) 私の一番強いプリンスの印象はさっきの曲のようやダンサブルなイメージでした。それとは全く異なる「え?こんな曲もあるの?」というような曲があれば教えてください。

 

ーーーインド哲学を専門にされている三浦さんにリンクするかも知れない楽曲がありました。インドの経典にインスパイアされて書かれた「カーマスートラ」という曲です。

 

 

 

 

三浦:これは驚きです。組曲、映画音楽みたいな感じですね。インストで10分以上なんて!インドには人生で得るべき三大目標というのがあって、それがダルマ(法)・アルタ(実利)・カーマ(性愛)と言い、そのカーマ(性愛)を得るためのテキストブックが「カーマスートラ」なんです。そしてそのカーマ(性愛)は単なる性的な快楽を求めるだけでなく、それによって子孫繁栄して一族が栄えることを目指すものなんです。だんだん壮大になっていく曲調がその子孫の繁栄をイメージできました。凄い!

 

ーーーインドには人生の3大目標というのがあるんですね!初めて知りました。勉強になります。そしてカーマ。気まぐれな質問ですが、これって、よく言われるカルマ(業)とは違うものなんですか?

 

三浦:カルマとは全く違うものです。カルマはもともと行為とか作用を意味する言葉でそこから業(過去の行為が影響を及ぼすこと)の意味が出てきました。カーマは何かに対する願望や欲望、愛着といった意味で別のことばです。

 

ーーーなるほど、違うのものなんですね!三浦さんがおっしゃる子孫の繁栄へのイメージには。驚きました。この曲はマイテ夫人との結婚式のために録音されたんです。「結婚=子供が欲しい」と願った記録なのかも知れません。これに関連して、ぜひ伺いたいのですがインドでは「性と愛は切り離せない」と考えられているのでしょうか?

 

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三浦:なるほど、そういう思いのこもった曲だったんですね。性と愛は基本的にはセットと考える事が出来ると思います。愛の定義にもよるのですが、性を追求することの一番の目的は夫婦円満にすること(あるいは伴侶にしたい異性の心を得ること)で家族を繁栄させることです。

 

 

ーーーそれは興味深いです。西洋のキリスト教文化の中にいたプリンスは、性と愛の分断に対して疑問を感じていたと思われるからです。裸のジャケットのLovesexyという組曲のアルバムがあるのですが、愛と性がくっついて一語になっていて。テーマは調和。先ほど、ダンサブルな曲を、とありましたが、ダンスは「生」や「性」のメタファーとして登場することがあって。カーマスートラによる「性の肯定」は救いだったのかも知れません。

 

三浦:なるほど、プリンスはそこで「カーマスートラ」に魅かれたんですね。性の肯定が生の肯定につながるわけですね。素晴らしい。ちなみに「カーマスートラ」は正直引くぐらい細かなセックスの技術的探求をしていきますから(笑)なかなか研究対象にしづらい文献です(笑)

 

ーーーなるほど、アカデミアの先生方が扱いづらいテーマこそ、殿下の独壇場かも知れません、あははは。

 

三浦:まさに!(笑)

 

ーーーちなみに、インドではモラル的に自慰行為に対しては寛容なのでしょうか?というのもキリスト教社会では「よろしくない」とされていて、プリンスはそれにも歯向かったんです。映画のパープルレインなんて、ギターをしごいたらギターから液体がビョーンと発射されるんです。普通、映画でそんなエンディングあります?

 

三浦:凄い映画ですね(笑)インドは自慰についてはどうなんでしょう。ちょっと調べてみないと分かりませんがヒンドゥー教や仏教では少なくとも罪として挙げていることは見たことないです。ただ仏教教団では女性と交わらなければよいというので同性や鳥獣との交わりをした人がいて、トラブルになるので改めてそれを禁止するという条項が戒律に残っています(笑)そう考えるとかなり大らかだったのだと思います(笑)

 

ーーーそれもまた凄い戒律ですね!でも、三浦先生が仰る通り、プリンスもインド文化に大らかさを見つけた可能性はある気がします。ホント勉強になります、プリンスだけ聴いていては解らない部分ですから。では、ダンサブル、インスト組曲と来ました、ラストはいかがしましょう?

 

三浦:私はサイモン&ガーファンクルのファンで、「明日に架ける橋」のようなピアノが中心になったメロディアスなバラードが好きなんですよね。なので、しっとりしたメディアスな曲があればぜひおしえてください。

 

 

 

 

ーーー三浦さんのご提案をきっかけに、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」を改めて聴いているのですが・・・いいですねー、静かなピアノでシンプルに始まったと思ったら・・・次々に音が重なっていって。どんどん音が重厚になっていく感じ。サイモン&ガーファンクルの音楽に初めて向き合いました。この余韻の中で選んでみたいと思います。When We're Dancing Close And Slow

 

 

三浦:美しい。そして繊細な曲ですね。私はアコースティックギターの音色が好きで一時期自分でも弾いていたこともあるんですが、そのアコースティックギター音色で静かに始ってピアノも美しいメロディーを添える。そしてまたギターに戻っていく。刻まれるリズムがゆったりとしたダンスをイメージさせてくれます。湖畔の白いコテージで恋人と二人、という自分では全く経験したことのない映像を思い浮かべて聞いていました(笑)

 

ーーーありがとうございます!ほぼピアノだけの曲とも迷ったのですが、「明日に架ける橋」を聴いたときに、ピアノはもちろん、ピアノにスッと加わってくる音も心地よくて、この曲を選ばせていただきました。三浦さんはアコースティックギターの演奏もされていたんですね。

 

三浦:父がクラシックギターをやっていて、その影響もあってしばらく弾いていましたね。もう指がうごきません(笑)

 

ーーーお父様の影響だったんですね。音で「近づく、寄り添う情景」を表していたとは、ずっと気がつきませんでした。

 

三浦:そうですね、どこか寄り添うイメージが浮かびました。

 

ーーーそれを音で感じられる三浦先生が凄いと感じました。この曲は全ての演奏をプリンス1人がやっていて、アコギもヘッドホンでよく聴くと左右で別々の演奏が録音されてるんです。

 

三浦:ええ!本当ですか!

やっぱりプリンスは天才なんですね。たぶん全体の音の構成とかも浮かんじゃってるのかな。

 

ーーーピアノ・プリンス。ドラム・プリンス。アコギ1・プリンス。アコギ2・プリンス。シンセサイザー・プリンス。19歳くらいの録音です。

 

三浦:ええ!!!マジですか?恐ろしい・・・。

 

ーーーある意味、変態ですよ。

 

三浦:完全変態(笑)打ち込みじゃなくて自分が全部やってしまうところが凄いですね。

 

ーーーデビュー前にバンド組んだんです、プリンス。それでカバーとか演奏してて。地元のミネアポリスの音楽界隈では凄いヤツがいる、ってなってたらしいんです。でも、「バンドメンバーがオレの求めるレベルじゃない」ってことで「そんなら全部自分でやる」って、やっちまったのがこの人。

 

三浦:凄過ぎる。でも、できちゃうんですよね、一人で。う〜む・・・変態ですね(笑)しかもこんな美しい精細な作りの曲を。。。

 

 

ーーーそうなんですよ、変態だから。ステージでもギターは弾くは、ベースはならすは、ドラムは叩くは、ピアノもサンプラーも演奏するわ、おまけにハイヒール履いてダンス。

 

 

三浦:でも、そう聞くとライブの映像を見たくなりました(笑)推薦はありますか?

 

―――そうですね、各時代でステージングも全く異なるんですが・・・これはいかがでしょう?1曲目は“ロックギタリスト”なプリンス、2曲目が“ハイヒールダンサー”プリンス、3曲目が“ピアノ&バラード”プリンス。多重人格。

 

 

 

三浦:今ちらっと見ただけなんですが、カオスですね(笑)

 

ーーーカオス(笑)今日は三浦さんにたくさんお付き合いいただきましたが、率直なところいかがでしたか?

 

三浦:いやあ、ちょっと、じゃなく、かなり驚きました。こんな多様な音楽を自在に操るアーティストだとは正直思っていませんでした。いろいろと聴いてみたい気がしました。特にこのライブの映像はゆっくり観たいです。ミュージシャンに留まらない方ですね。アーティストと言う言葉が文字通りぴったりくる人だと再認識しただけじゃなく、かなり驚きました。

 

ーーーありがとうございます。ジャンル分けにも抵抗した人だから、総合芸術的で「わかりやすくない」のです。実は全部が突き抜けてる名レスラー、ジャンボ鶴田みたいな。

 

三浦:その例え、プロレスファンの私としてはとても分かりやすい(笑)

 

ーーー(笑)プリンスを主軸にスタートしたのに、インド哲学から、明日に架ける橋、エロ変態まで飛び出して、とても興味深かったです。三浦先生のおかげで世界が拡がり、僕のほうこそ同じ音楽が違って聴こえるような体験でした。

 

三浦:こちらこそ、私のプリンス像が全く変わりました。まだ「簡単には理解できない人」という時点ですが、それが分かっただけでも嬉しいです。昔聴いていた「バットマン」も違うように聴こえてくるように思います。やはり語り合うことで様々な風景がひろがっていきますね。

 

ーーーほんとですね!これらからもいろんな景色を教えてください。貴重なお時間をいただきありがとうございました。

 

三浦:こちらこそありがとうございました。

 

 (インタビュー・構成 Takki)

プリンス 7 つの質問  10 R. Ochiai

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1.あなた自身を紹介してください。

 

  R.Ochiai 日本人 バイオリン講師です。音大在学中に弟子入りしたポップス・バイオリニストの下で、裏方業に興味を持つようになり、スタッフとして音楽業界に入り、バンド系・R&B,Hiphop系のアーティストマネージャーになりました。その後、ストリングスアレンジや演奏活動をしている中、先輩の薦めで音楽教室の講師に。家業の営業も務めるWワーカーです。趣味は仕事、映画・映画音楽鑑賞、宇宙全般、軍事から香水まで主にインドア系で超多趣味だと思います。

 

2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 
 高校生の時、地元の中古レコード屋に飾られていた「Lovesexy」や雑誌のレコ評で「Graffiti Bridge」を見かけたのが最初の出会いです。なんだかすごいセンスだなぁと思いつつ、自分が子供の頃からクラシックの英才教育を受けていたので、"1000種類の楽器が弾けて、多重録音で全て1人で演奏しているマルチミュージシャン"というプロフィールが気になっていたが、音を聴くまでには至らずでした。

 きっかけは、深夜テレビ放送した「Diamonds & Pearls」のライヴを録画したものを観た時でした。当時は、コンクールでの酷評や音大受験失敗で、音楽を続けるべきか、自分の能力に絶望して最も苦しんでいた時期で、何気なくどんな感じなんだろうと録画して観たPrinceのパフォーマンスに衝撃を受けたんです。

 

 

 それまで観てきたクラシックの演奏家のコンサートでは感じた事がなかった衝撃で、画面の中のPrinceは全てが完璧で洗練されていて、「何を悩んでるの?音楽は自由なんだよ」って言われているように感じて、衝撃と感動で泣いてしまいました。音楽で心が揺さぶられたのは、あれが初めてでした。

 そして、世界には作曲・編曲・演奏だけじゃなく、全てをこなす超人がいる、自分は自分の能力なりに音楽と生きていけばいいんだと思えて救われたんです。クラシックやってる人なのに、プリンスの何がそんなにいいの?とよく聞かれます。その答えは、プリンスが亡くなった時にU2のボノが出したコメントそのものです。

 "モーツァルトには会ったことがない。デューク・エリントンチャーリー・パーカー、エルヴィスにも。でもプリンスに出会った"

  モーツァルトが音楽の天才の喩えとしてプリンスにも使われますが、よく知られているように、モーツァルトは幼少期から恵まれた音楽環境下で活動をしていて、圧倒的な神童としてヨーロッパ中に認められていたので、当時の体制と闘う必要もなく、恐らくそんな事を考えたこともなく自由に活動することができました。
 伝えられている彼の生き方は、プリンスとは正反対の享楽的なもので、その結果周囲から人が去り、晩年非常に困窮した生活を送って亡くなりました。残念ながらモーツァルトは、作曲家・演奏家としての才能以外は、プリンスのように全てにおいて一流ではありませんでした。だから、一般的にプリンスはモーツァルトのようだ!と比喩されると、いや次元が違う、それ以上だとわたしは感じます。モーツァルトが現代に生きていてもプリンスにはなれなかったでしょう。
 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか? 


・プリンスを教授してくれた友人
お互いの好きな曲の傾向が似ていて、ブートからPrinceのルーツ音楽に至るまで教えてくれた先生のような存在の方がいました。当時の私が知らなかっただけで、ある世界の超有名人です。そのころ定期的に送られてきたり、手渡されたオリジナルのミックステープは今も大切な宝物です。


・プリンスの子供の頃の友人
2016年11月に行ったミネアポリス の教会で、中を見学させてほしいと交渉していたら、翌日のライブの準備に来ていた彼と遭遇しました。ペイズリー・パーク・スタジオの帰りで、シンボルマークだらけの私に気付いた彼が、海外から来たプリンスファムだから、と交渉してくれたら、教会側もあっさり案内してくれました。彼はプリンスとは通学仲間であり、彼の自宅にもよく遊びに来ていたそう。彼もあるグループのミュージシャンで、翌年の来日公演に行って以来、いろんな思い出話やミネアポリス の音楽事情を聞かせてくれる大切な友人となりました。

 

・プリンス本人の品を譲り受けた事。
形のあるなかではいちばんの宝物ですね。

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか?

 

Little Red Corvette
 歌詞の意味もまだよくわからなかった頃から、意味を理解した今に至るまでNo.1です。この曲の切なさが無条件にたまらなく好きですね。仲良くなる人は、この曲をNo.1に挙げる人が多いかも知れません。だからNo.1 Soul Songです。

 

 

Diamonds & Pearls
はまるきっかけの曲です。MVはどれだけヘビロテしたかわかりません。メロディーの美しさ、歌詞の世界観、この人の精神世界はどんな風なんだろうと、プリンスの内面に強く興味を持った曲です。

 

 

Gold
"All that glitters ain't Gold"(キラキラ光るものすべてが黄金ってわけじゃない)の部分は、物事を見る時の戒めにしています。形や見た目に捕われずに、本質を見極める事。似たような歌詞があるInto The Lightも、似たような意味で個人的に重要な曲ですね。

 

 

 

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

スライ& ザ・ファミリー・ストーン
Diamonds & Pearlsから聴き始めたので、そこからのリアルタイムを聴きながら、過去も遡っていく中、ルーツとされる音楽に辿り着いた時、プリンス以外に好きで聴いていたスライやPファンク、オハイオ・プレイヤーズがプリンスの時間に存在していたのは、うれしかったし、だからPrinceの音が好きなんだと納得しました。自分が好きな音楽を再確認しているような気がしました。

 

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

"音楽は自由なんだよ"
質問2と重複しますが、クラシック音楽は、様々な守らなくてはいけない奏法・作法がある音楽の世界で、その中で道を見失いかけていた自分に、プリンスは光を与えてくれました。私の人生に音楽をどう活かすのか、そのために闘うことも時には必要だとも教えてくれたんです。音楽と共に生きる道を照らしてくれたから、今の自分があります。

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 まず動画や人気のあるコンテンツで、特定の楽曲が頻繁に使用されれば、音を耳に残すことが可能だと思います。そして大人たちが聴き続けて、語ることです。洋楽が好きな人は、周りの大人が聴いていた影響で好きになったという人が昔から多いですし、私がプリンスを聴いて話すので、親戚の子はプリンスの曲が、彼女が好きなアーティストにカバーされた時に、「すぐわかった!」と言ってきたことがあります。
 彼は様々なビジュアル・音楽性を持っていたから、対象にする時代・世代に適した面をアピールできたらいいと思います。長年のFamが思う感覚と、これから興味を持つ世代の感覚。情報を提供する側が、柔軟な感性を持ち続けていける事も大事かと思います。

 

 

プリンス 7 つの質問 09 坂本 圭

 

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Sananda Maitreya (TTD) 公式サイトより

1.あなた自身を紹介してください。 

 
 坂本圭と申します。1970年6月8日生まれ。双子座。戌年です。プリンスとはひとまわり違いますので、プリンスも戌年で誕生日が1日違いです。惜しい!札幌出身、現在は埼玉県在住です。13年間、札幌の私立高校で体育教諭として勤務し、サッカー部顧問を勤めました。2012年3月末に退職し、4月にスペインのバルセロナへ妻と犬2匹と渡西、スペインサッカーコーチングコースを受講し、最高レベルであるレベル3を取得しました。バルセロナに6年間住みました。プリンスのアルバムComeの表紙としても有名なサグラダファミリアが大好きです。現在は、サッカー研究家、サッカー関連の本執筆、フットボリスタ等の媒体で記事を書いたりしています。
  趣味は、音楽鑑賞です。プリンスはもちろん、最近はミュージカル映画サウンドトラックも好きです。サルサダンスを札幌で6年間学び踊っていたので、特にキューバサルサミュージック、レゲトンなどのラテン音楽も好きです。レニー・クラヴィッツジミ・ヘンドリックスも好きです。ジャズにはあまり詳しくはないですが、マイルス・デイビスビル・エバンスをよく聴きます。
 次に読書も好きです。小説は村上春樹の本は出版されたらすぐに読みます。村上春樹の世界中で大ヒットした小説「海辺のカフカ」で、主人公の少年が聴く音楽はいつもプリンスでした。村上春樹はクラシックから、ロック、ジャズまで幅広く音楽に精通しているので、いつかプリンスの音楽について語ってもらいたい、書いてもらいたい、対談してもらいたいと密かに強く思っています。村上春樹とプリンスは実は似ています。LGBTへの理解、セックス描写、作品に対するストイックさなど共通点は多いと思います。
 もう一つの趣味はサッカー観戦です。これは仕事でもありますが。FCバルセロナのソシオに入るくらいバルサが好きで、いつも試合をテレビで観ています。バルセロナに住んでいた時はFCバルセロナのスタジアムから歩いて8分くらいのところに住んでいました。チケットが高額なので、そんなに多くの試合を観戦することはできませんでしたが、クラシコチャンピオンズリーグなど様々な試合を生で堪能することができました。
 
2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?
 
 1984年にサッカー部の練習でグラウンドの周りを皆で和気藹々とランニングしていた時に、音楽に詳しい友達が、「プリンスって知ってる?」とみんなに質問。「プリンス?」「なんだそれ!?」という、みんなの反応でした。私にとってそれが初めてプリンスを認知した瞬間でした。「マイケル・ジャクソン、マドンナ、そして・・・プリンス?」絶対変だよね!というみんなの反応!私もその一人でした。ふざけた名前だと。 
 私たちの世代は、洋楽世代であり、マイケル・ジャクソンのスリラーをMTVで観て驚愕した世代でした。マイケルのスリラーにはノックアウトされて、こんな音楽というか、映像というか、ムーン・ウォークをはじめとする今まで見たことのないダンスなど、マイケルの存在自体がありえないと思うほどに彼の音楽にダンスに興味を持ちました。中学生の頃はマイケルを聴いて育ちました。彼の音楽は健全で、心が美しくなるように感じていました。
 ただ思春期というのは、それで満足する世代ではありません。「新しい世代の音楽」を直感的に無意識に探していたのだと思います。私は何かに惹きつけられるように、深夜、親に隠れて11PMやイタリア映画「青い体験」を見るような感じで、ベストヒットUSAでプリンス特集があると、一人で、居間で静かにその特集を見ていました。本当に四つん這いになって、手だけで歩いたりするのだと、評判通りの姿に、ショックを受け、これは見てはいけないものを見たと思いました。
 それと同時に彼の多分Let’s go Crazyだと思うのですが、曲がめちゃくちゃ速いなと思いました。こんな新しい音楽があるのだ。そして、あんなルックスで、あんな格好で、あんなことをして歌っているのに、メロディが耳に残る、キャッチーだと思ったのです。それがプリンスの醜い美しさに気がついた瞬間だったのかも知れません。
 ただ、それ以降は、マイケルがWe are the worldをやったりしたので、そちらに夢中になっていました。同時に「プリンスがパープルレインの後、新しいアルバムを出したけど、良くないらしいよ。」という噂を伝え聞いていました。それと極少数ですが、「実は新しい方が好きなんだよね」という友達もいました。当時14、15歳。友達とよく玉光堂レコード店)に行って、レコードジャケットを見たり、音楽雑誌を見てプリンスが嫌いなアーティスト1位に君臨しているのを見て、「これはこれで凄いな」と思った記憶があります。あるときは、友達がパープルレインの洋盤と日本盤のレコードジャケットのバイクの傾き方が違うことを友達4、5人で確かめに玉光堂に行ったこともあります。僕たちは何気にヴァン・ヘイレンの大ヒットアルバム1984のジャケットも好きでした。
 私がいつも行動を共にするサッカー部の友達4、5人全員が洋楽ファンでした。サッカーの練習の帰り道に雑誌とお菓子、プラモデルが売っている店で、ビルボードチャートの本を一人が買って、「プリンスのパープルレインまだ1位だ!」とか、「プリンスが抜かれた、ブルース・スプリングスティーンのボーイン・ザ・USAが一位だ。すげー!」というような日常を過ごしていました。
 この1984年は特別な年で、よく記憶しています。グラミー賞マイケル・ジャクソンが7冠を制し、スリラーの売り上げはギネスブックに載りました。ロスアンゼルスでオリンピックがあり、カール・ルイスが4冠を制しました。そして84年に流行った色はパープルでした。学年対抗陸上競技大会があり、ハチマキの色をクラスで選ぶのですが、パープルが選ばれました。他のクラスにもパープルがいてというそれくらいパープルが1984年に流行っていました。1984年にパープルがなぜ流行ったのかは、後付けで気が付きました。この1984年は世界中でパープルレインが降り続く年だったのですね。
 その後、チェッカーズのフミヤはスプリットをし、吉川晃司はロングコートにギターを弾きながら歌っていました。今思えば、プリンスの影響を多くの人が受けていたのです。チェッカーズはその後、円形ステージにもトライしています。現在はアイドル全般、世界中で様々なアーティストが円形ステージを使っていますが、流行を作ったのはプリンスのLOVESEXYツアーの円形ステージなのだと思います。。
 高校は、北海道内でサッカーが強豪な私立高校に進学したので、音楽よりもサッカーに熱中していました。この時期、少しプリンスから離れました。ただ、日本いや世界中でマイケル・ジャクソン旋風が凄まじく、BADのテープを買って毎日聴いて、日本公演を録画してそれを何度も何度も見て「やっぱマイケルって凄いなあ!」と思い、その頃再びマイケル大好きモードでした。
 私が高校2年生の冬、寒い時でした。1987年です。ラジオから非常に奇妙な声で、しかも、耳に残る、どうしてももう一度聞きたくなる音楽が札幌のいたる所で流れたのを耳にしました。これ誰!?とその時思い、調べると曲名は「サイン・オブ・ザ・タイムス」、アーティスト名はプリンスじゃないですか!「えええ、これプリンス!?」衝撃でした。音楽を聴いてこれほど衝撃を受けたのは、後にも先にもおそらくないと思います。今まで聴いたことのない斬新な曲でした。玉光堂に行くと、確かCD2枚組だったので5000円以上しました。全てのお金と時間をサッカーにつぎこんでいた私には買ええず、泣く泣く諦めました。
 
 
 翌年1988年、サッカー部を引退した高校3年の秋です。部活がなくなり、時間に余裕ができた私は再び音楽に興味を持ちました。東京の方の体育大学に進学することが推薦で決まっていたので時間があったのです。深夜一人で、居間にあるステレオが最も音が良いので、そこでFMラジオを聴いていました。その時、今まで聴いたことのないような美しい曲がかかりました。ファルセットで歌われ、男性が歌っているのか、それとも女性かわからないほどの声とメロディの美しさと洗練された演奏に圧倒されました。DJが最後に「プリンスのLOVSEXYから何たらかんたらでした」と言いました。その時、曲名(When 2 R in love)はわかりませんでしたが、LOVESEXYというアルバムタイトルだけはわかりました。次の日の学校が終わってすぐに玉光堂に直行して、LOVESEXYの真っ裸なアルバムジャケットにおののきましたが、CDを購入し、家でじっくり聴きました。どの曲も素晴らしく、今まで聴いたことのない音楽で、9曲で1曲なのだと理解しました。
 
 
 ここから、プリンスファムになり、CDを買いあさりエディ・マーフィのテーマソングがDeliriousなら、僕のテーマソングはLittle Red Corvetteだと思っていました。Free、そしてInternational loverも大好きでした。
 その後パープルレインの映画のビデオに感動し、それから何十回と見ました。私もBSでLOVESEXYツアーを観てしまい、このライブは凄いと興奮し、ライブに行きたいといてもたってもいられなくなり、新聞の広告欄をいつも眺めていました。1989年高校3年生の2月だったと思います。もうすぐ卒業ですが、札幌ではLOVESEXYツアーのライブはなく、一番近くて仙台でのライブでした。その当時、一人で北海道を離れたことも、ライブを見に行ったこともない私は、親にプリンスのライブに行きたいから、航空券を買ってくれとは言えず泣く泣く断念した苦い思い出があります。
 追記ですが、中学2年生の冬1985年2月に確か、映画パープルレインが日本で公開されました。私は新聞のパープルレインの映画広告を見ながら、毎日、観に行こうか散々悩み結局行きませんでした。おそらく中学2年生の私には早すぎたのかもしれません。その頃映画はジャッキー・チェンスター・ウォーズスピルバーグ映画、マッドマックスなどにハマっていました。その後、プリンスのパープルレインツアーのビデオを買って、これも何十回と観て、親に「マイケルより凄いよ!」と何回もわめいていたのを覚えています。母は「そう?」と言って一緒に観てくれましたが、「やっぱマイケルがいちばんだね」と言っていました。1990年、札幌で母がプリンスのNUDEツアーを体感するまでは。
 私はその当時、東京の大学に通っていたので、札幌公演には行けませんでした。母は初めて生でみるプリンスのパフォーマンスに、二つのパイプ椅子の上に立ちあがって熱狂したそうです。母は電話で「パープルレインがものすごく良かった、パープルレインのドラムがズシーン、ズシーンと響いて迫力がすごかった。それとThe Question Of Uもいいね。コンサートが始まったら最初から、ノリノリだったよ。」と興奮して話していたのを思い出します。それ以来、母の車ではいつも、90年のnudeツアー前に発売されたアルバム、Graffiti Bridgeを聴くことができました。今はもう母は車に乗らないので、聴くことはできないですが。その札幌のライブ以来、私の母のお気に入りはThe Question Of Uです。
 
  父はクラシック、現代のクラシックギター奏法の父とみなされるスペインのアンドレス・セゴビア、そしてイタリア民謡を歌うことにしか興味がありませんでした。
それでもプリンスのライブを見せると、「うまい!でも、変だね」と父なりの表現で認めてくれました。
 
3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか? 
 
プリンスの記憶はやっぱりライブですね。運良く11回も体感することができました。
本当は12回目の予定もあったのですが….私の12回目のライブとして予定されていた、ピアノ&マイクロフォーンツアーを2015年12月13日に、バルセロナのリセウ劇場で観る予定でした。しかし、フランスでの無差別テロが起こり、ヨーロッパツアーが急遽キャンセルになったのでライブを観ることができませんでした。これは悲しい思い出です。
 11回のライブは全て素晴らしかったのですが、イギリスに語学とサッカーを学びに1年間留学した1993年にプリンスのACT2ツアーのライブを4回体感しました。その中でも、世界のサッカーの聖地であり、ライブエイドでも使われたウェンブリー・スタジアムを満員したライブは今でも忘れられない凄まじい体験でした。1993年当時、12万7000人収容の超巨大サッカースタジアムです。そのウェンブリースタジアムが超満員となりました。ソールドアウトです。スタジアムの後ろまでぎっしり人が詰まっていました。
 プリンスのヨーロッパツアーは常にソールドアウトです。前年、1992年のダイアモンズ&パールズツアー(D&Pツアー)はロンドンのライブ会場の聖地アールズコートで8回連日行われ全ての回がソールドアウトでした。映画「ボヘンミアンラプソディー」を観た方なら、あのスタジアムの大きさとファンの熱気がわかると思います。その日のプリンス初のウェンブリースタジアムでのACT2ライブはそのような凄まじい熱狂の中で行われたのです。その当時、チケットを買えば座席は自由でした。私は、ステージ前のオールスタンディングの中腹当たりに一緒に行った友達と場所を確保。今思えば、水を持っていたのか、トイレに行くことができたかとか思い出せませんが、ペットボトルが時折投げられて宙を舞っていましたので、水を浴びることはできていました。7月31日でしたが、ロンドンの夜なので涼しく過ごしやすかったと思います。ロンドンの夏は昼が長いです。夜10:00でもまだ夕方のような感じです。その当時のチケットを見るとゲートオープンが16:30でした。そこから何時間待ったかはわかりません。辺りが少し薄暗くなってから始まったので、おそらく21:00頃にライブが始まったかと思います。ACT2ツアーのステージは限りなくシンプルでした。ステージの頭上にプリンスの巨大シンボルマーク(照明としての機能も果たす)があるだけで、例えば、D & Pツアーのような豪華さはありません。Nudeツアーのように2階建のステージになっているわけでもありません。いたってシンプルなステージで、「演奏を聴け!」ということだと理解しました。
 ライブは突然、始まりました。ついに始まった!と思いきや!なんとステージの頭上からMy Name Is Princeの衣装とあのチェーンがジャラジャラついたキャップをかぶった(顔が見えない)プリンス?が、ブランコのような椅子に座って、観客を煽りながらゆっくりとステージに降りてきます。降りてきたら、色々踊って、歌って、グランドピアノを開けて風船を出して、ステージの前にきてファンに向かって片膝を立てるような感じで深いお辞儀。
 それが終わると、いきなり上着の胸元をはだけます。中からピンクのブラジャーのようなものが見えます。次にズボンを一瞬で剥ぎ取ると、ピンクのビキニを着た女性が!!!ゆっくりとチェーンのキャップを取り、頭をクルッと回すと長い黒髪がストンと落ち、女性が踊り出しました。ダンサーのマイテでした。マイテがプリンスに変装していたのです。あっけに取られているとSexy MFのイントロとともにプリンスがラップしながら登場、ここで盛り上がりが最高潮に達します。
 Sexy MFを叫ぶところにくると、このライブに来ているイギリス人はSexy MFを連呼するために来たかのように大きな声で、「Sexy MF!」と叫びます。私はこの時、イギリス人はプリンスの本当のファンだと思いました。色々な国で放送禁止になったり、クリーンバージョン(編注:放送禁止部分が聴こえないようプリンスのシャウトが被されている)がリリースされたりしたSexy MFですが、イギリス人はストレスでも発散するかのように野太い大きな声で「Sexy MF!」と叫びます。
 後で調べたのですが、なんとSexy MFのシングルがイギリスチャートで1位を獲得しているではありませんか!アメリカでは66位だったのに。ちなみにイギリスチャートで初めて1位になったプリンスの曲はオーラルセックスを歌った名曲Alphabet St.です。アメリカでは8位でした。BatdanceとThe Most Beautiful In The Worldもイギリスシングルチャートで1位になっています。プリンスのアルバムはイギリスで1988年のLovesexyから1994年のComeまで全て1位です。Diamonds&Pearlsは惜しくも2位でしたが、Batman、Graffiti Bridge、Love Symbol、そしてComeが1位です。ベスト版:The Hits/ The B-sideは4位と5位でした。
 シェークスピアやオスカーワイルドなどの文豪や芸術や音楽が発展したイギリスはプリンスの本質を理解できるんですね。イギリス人は建前上、Fから始まる4文字の言葉の使用を嫌いますが、ライブやサッカーの試合ではその言葉を大声で連呼する二面性があります。もう最初から、我を忘れてしまいました。みんな押し合いへし合いしながら、前に押すので、プリンスが見えなくなることも。Act2ツアーは、ヒットメドレーの要素が多いライブなので、ずっと盛り上がりぱなしでした。バラードSometimes It Snows In Aprilを歌う頃に少し落ち着いてプリンスを観ることができますが、The Beautiful One など後半が盛り上がる曲では、オーディエンスも気が狂うほど叫び盛り上がります。
このツアーはバラードが特に素晴らしく、珍しいところではScandalousを歌いました。この曲プリンスのお父さんとの共作ですよね。サックスが途中から入ってきて、プリンスの声と絡み合い、感動の嵐だったのを覚えています。
 サックスは女性だったので、キャンディーダルファーだったのかと思いましたが、後で調べるとCathy Jという女性バリトンサックス奏者でした。彼女のサックスはScandalousに最高にマッチしていました。身体をのけぞるようにして、エモーショナルに吹きました。イギリス人は本当にプリンスが大好きです。もう押し合いへし合いの状況がずーっと続き、Let’s go crazyなどの大盛り上がりする曲では、みんな前に行くじゃないですか、そうすると私も押されて前に出ると、前の女の子から「FxxK off!」と、何度も言われながら観ていました(苦笑)
 ライブの途中から、一緒に来た日本人の友達ともはぐれてしまいました。日本でもNudeツアー、D&Pツアー、ゴールド•エクスペリエンスツアー、ワンナイトアローンツアーにも行きましたが、やはりヨーロッパの盛り上がり方は凄いです。スタジアムのスタンド席以外、オールスタンディングなので、立ち見で押し合いへし合いしながら、背の小さい女性は男性に肩車されて観る人も多いです。プリンスも言語が同じなのでよく喋りますし、オーディフェンスの反応も素早い。ライブ映像でよく見られる、失神して後ろに運ばれる女性も多く見受けられました。ボディガードや警備も大変です。前で苦しそうにしている女の子を引っ張り出す。自分からファンの波に身を委ねてみんなでその人を後ろの方に運びます。おそらく水を飲んだりするのでしょう。そして回復したら、ファンの波に入っていくのです。
 何より、プリンスはイギリス公演全てにおいて絶好調というか、波に乗った状態でライブに臨んでいるように思いました。それとこのツアーでは一曲一曲、ほとんど省略せずに最初から最後まで歌っていました。パープルレインも全部歌い、ギターソロも圧巻でした。ライブの後半(ACT2なので)は、funk大会になったのですが、Americaが大々的に演奏されたことでしょうか。しかも、ステージ横に大きなアメリカ国旗を花火で燃やす演出もあり、Scandalousと同じくこのライブのハイライトだったと思います。
 
 
  私個人としては、これを超えるライブ体験ありません。一緒にライブに行った友達も感動していて、パープルレインの後は、後ろ方に行って観ていたと。帰りは二人とも放心状態で、深夜ロンドンの街をライブの感動の余韻に浸りながら夜行バスでマンチェスターリバプールの間にある小さな古い町のチェスターに帰りました。
 私は大学を卒業し、先ほど説明した小さな町チェスターに1年間サッカー留学をしていました。そこで英語を語学学校で学んだのですが、クレアというベリーショートの先生がある日の授業で、「自分のフェイヴァリットアーティスト、グループは誰ですか?フェイヴァリットソングは何ですか?」という質問をしました。クラスには15人くらいの生徒がいたと思います。私は最後の方に答える順番でした。基本的に語学学校はみんなの顔が見えるように机が円になって置かれています。みんな好きなアーティストを言うのですが、イタリア人の可愛い女の子たちが軒並み、「プリンスが好き!曲はCreamが大好きです」とか、他のイタリア人の女の子は、「私もプリンスが好き、Kissがいいよ」と、結局クラスの私を含めて4人くらいがプリンスファンでした。ヨーロッパ、とくに女の子にプリンスは人気があるんだなとその時思ったのと同時に、日本ではこの質問はできないなぁと。嫌いなアーティストNO.1だからなぁと。
 ある日曜日、ホームステイ先でみんなで昼間にTVを見ていた時のことです。音楽番組が始まり、そこで、いきなりPrinceのCreamのビデオが流れました。それをみんなで固唾を呑んで見たあと、私がプリンス好きだと知っているホストファーザーのトムは、「私はプリンスが嫌いだ」と何回も私に言いました。いつも温厚で、私に優しくしてくれているトムにしては本当に珍しい発言でした。やっぱりプリンスの作る曲の歌詞は、英語圏の人にとっては「嫌いだと思わせるものがある」ことを実感しました。逆にホストマザーのベティは、「私は、プリンスは良いと思うわよ。この曲もいいね。」と言ってました。一緒に見ていた14歳の娘さんは・・・何も言いませんでした。ただ、家では汚いFから始まる言葉や、SEXを連想させる言葉、映画などはご法度でした。
 でも、イギリス人の面白いところは、その年にワールドカップのヨーロッパ予選があり、それを家族全員で観ていたのですが、イングランドはヨーロッパ予選で敗退が決まると、トムは「FxxK」の4文字言葉を使って、審判を罵りました。私はイギリス人のそんな二面性と言うか、建前と本音が見え隠れするところが好きです。好きにせよ、嫌いにせよ、プリンスを生活の中に感じる留学でした。
 
 
 
 
 
4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? 
 
1. Little Red Corvette
プリンスを決定的に気が狂うほど好きになった思い出の曲です。
個人的に洋楽を聴くという行為は、究極的なことを言いますと歌詞は二の次です。Little Red Corvetteの歌詞は、その当時ティーンエイジャーだった私にとってどうでもよかったのです。もちろん、プリンスの書く曲は、素晴らしい歌詞の曲がたくさんあります。比喩なども織り交ぜ、内容が深い歌詞ばかりです。ですが、二の次なのです。私はプリンスを歌手というより、ミュージシャンだと考えています。歌詞も、声もその音楽の楽器の一部でしかないと思ってプリンスを聴いています。Little Red Corvetteは、その当時の私が無意識に探して求めていた、聴きたかった曲でした。この曲にはマイケル・ジャクソンの曲にはない邪悪で刺激的な魅力とロックなパワーがあります。プリンスの曲はエロティックですが、それは人間の本性であり、それは哲学者ソクラテスが考える真実の愛の表れでもあります。私は音楽的には初心者なので、音楽性については論じませんが、Little Red Corvetteの重要性の価値は今となっては計り知れないと思います。
 Little Red Corvetteとマイケル・ジャクソンのビリージーンのPVが、MTVが始まって以来、初の黒人アーティストとしてヘビーローテーションされました。なぜ、これが画期的かと言うと、人種のクロスオーバーです。今まで黒人ばかりだったプリンスのliveに、この曲を契機として白人と黒人が半々になったからです。プリンスはパープルレインの前にLittle Red Corvetteで、黒人と白人の間にある壁を突き破ったのです。プリンス初の全米シングルチャートトップ10に入った曲です。最高位6位。最初の一度聴いたら忘れられない印象的なキーボードラインと、プリンスの欲求不満がたまり今に発車寸前の地声と圧巻のデス・ディッカーソンによるギターソロ。この曲を聴くと本当に疾走感があって、Corvetteに乗っているように感じます。今ではライブバージョンのLittle Red Corvetteもお気に入りです。
 
 
 
2. The Cross
これはライブで本当に凄い曲だと思いました。パープルレインの他に最も感動したライブパフォーマンスです。ライブバージョンは最後にホーンセクションも加わるので、最高のバージョンです。曲後半のプリンスの火を吹くようなギターソロとホーンの絡みが圧巻です。The Crossのliveバージョンを観るとキリストが君臨するような崇高な感動が得られます。
 1999年冬にペイズリーパークで行われたRave Un2 The Year 2000 LIVE DVDで、The Christと改題したliveの模様が納められています。ゴスペルを基調とするグループであるサウンズ・オブ・ブラックネスがコーラスで参加しています。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲のようなThe Crossですが、サウンズ・オブ・ブラックネスが参加するとゴスペルのように聴こえるから不思議です。たとえ様々な問題があっても信じ切れば問題は取り去られる、というメッセージです。
 
 
 
3. Nothing compares 2 U
1990年に、シンニード・オコナーのあの全編ほとんどが顔のクローズアップという魅力的なPVと共に世界中で大ヒットとしたNothing Compares 2 U(愛の哀しみ)で、この曲を知ることになりました。語弊があるかも知れませんが、Nothing Compares 2 Uだけは、プリンスが歌うよりもシンニード・オコナーが歌ったバージョンの方がさらに曲の繊細さが伝わるかも知れません。本当に愛した人との別れの哀しみに溢れています。
 元々はプリンスがThe Family(1985年)に提供した曲です。The Familyのアルバムも持っていましたが、このアルバムは実は名曲ばかりだとプリンスが亡くなってから、改めて聴いて気がつきました。この時期のプリンスは、プリンス自身にとっても本当に神がかった状態だったのだと思います。
 この曲はプリンスが亡くなってから、特に好きになりました。失恋の曲だと思っていたのですが、プリンスが亡くなった後にはプリンスが亡くなった悲しみを表す代表的な曲になったのです。「プリンスの音楽と比較できるものは何もない」といった感じでしょうか。プリンスを歌った曲に変わりました。
Nothing compares 2 Uを聴くといつも胸がキュンと痛みます。
Nothing compares 2 Uには、パープルレインやSometimes it snows in aprilと同じような厳粛さがあります。 プリンスのバラードの中でも別格だと思っています。比較できません。
 
 
 
 
5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか? どうして?
 
 プリンスと似たライブ感覚を得られたのは、テレンス・トレント・ダービー(TTD)です。1993年のイギリスで3回ほどライブを見ました。日本でも一回ライブに行きました。彼はもっとうまく自分を売り出せば、ビックスターになれたと思います。それでも最初の4枚のアルバムは特に素晴らしい作品だと思います。
 混血のアメリカ人ですがイギリスから1987年に華々しくデビュー。ファーストアルバムは世界で1200万枚以上も売れ、一躍スターの仲間入りです。1988年のグラミー賞の新人賞にもノミネートされ、度肝を抜くパフォーマンスを見せます。プリンスもTTDに関する全ての情報を集めさせていた、と、当時プリンスの父親、ジョンLネルソンが明かしていました。プリンスもTTDの大ヒット曲Wishing Well、If you let me stayをライブでカバーしたことがあり、プリンスもTTDに一目置いていたことが伺えます
 
新しいプリンス!
新しいマイケル・ジャクソン!とも言われていました。
 
 
 TTDは、彼のライブビデオ(テレンス・トレント・ダービー・イン・コンサート1987)
の中で「プリンスついてどう思う?」の質問に一言「天才!」答えています。1993年に大傑作アルバムSymphony Or Damnをリリース。イギリス音楽雑誌Qの表紙でTTDはヌードになりました。雑誌には当時のヌード写真数枚とインタビューが載っていました。確か、アルバムの評価も5つ星(最高で5つ星)だったはずです。その当時、かなりのインパクトがありました。Lovesexyのジャケットの影響は拭えないですが。その雑誌のTTDのインタビューで彼はプリンスについても話しています。1993年の雑誌Qのインタビューより抜粋します。
 
 『音楽の話がさらに続く。テレンスは息もつかずに30分くらいプリンスのことを話す。初めてプリンスの音楽を聴いたとき、彼は説明しようのないつながりを感じたと言う。実際に会ったプリンスは「すごい勢いで喋った、考えられないくらい」。そして「きみは詩人だ」とテレンスに言ったそうだ。テレンスはプリンスの唇にキスをした。ふたりはいまもときどき電話で話すとのこと(「相変わらず兄と弟って感じが強いけど」)。が、テレンスは警戒して、会話をそのまま再現してみせようとはしない。なぜなら「彼は俺みたいに大口叩いて失敗することがないように、慎重にふるまってきた人だ。それを俺がぶち壊したくない」。彼は長々と続いたプリンス話を、簡単に、感動的な言葉で結ぶ。「俺は彼を愛してる。心から」』
 
 93年当時、イギリスTTDの人気は凄かったけど、その当時レニークラヴイッツの全盛期でもあり、プリンスもまたイギリスではウエンブリースタジアムを満員にするほど絶頂期でもありました。どうしてもこの2人の影に隠れてしまうTTD。ただ、イギリスやヨーロッパでは人気があったと思います。プリンスやレニーと時代がちょっとでもズレていたらと思います。ライブは本当に素晴らしい。最後の方にピアノの弾き語りで歌うlet her down easy やスパニッシュギターバージョンのSign your nameの美しさは今でも覚えています。
 
 
 
 
 
 現在はサナンダ・ マイトレーヤと改名し、自身のホームページを通じて定期的にアルバムを発表しています。昔のカリスマ性はなくなりましたが、以前より幸せそうに見えます。TTDが再評価されて、またライブを見ることができると嬉しいです。


プリンスが突然の死を迎えた翌日の4月22日にサナンダ・マイトレーヤ Sananda Maitreya(TTD)はプリンスの死についてこのように述べています。
 
「私たちのアメリカのモーツァルトは去りました。神が死んだように感じています。私たちの世界を永久に変えてくれた偉大なマエストロに感謝します。」
 
 
6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?
 
「もし心を自由にすれば、理解できるかも」
Starfish and coffee より
 
いつも私の心にあり、この言葉を思い出すと、なんでも自由に思うがままに行動しても良いんだよとプリンスに言われている感じがします
 
次は、「プリンスの言葉」でインタビューを受けた実力派キーボーディストのミスター・ヘイズ(プリンスのバックバンド、NPGのメンバー)がプリンスから学んだこと:
 
「やめない限り、ミステイクではない」
 
 この言葉は、ハッとした気付きと自信を私に与えてくれました。自分のやりたいことをとことん突き詰めろ!自分の人生なんだから。失敗かどうかは人生が終わるまでわからない。とプリンスに言われているように感じ、妙に元気付けられました。それをやめない限り、諦めない限り可能性はあることにプリンスの生き様から気がつかされました。やめない限り、それは失敗でなないのです。
 
最後にプリンスのメッセージで重要だと思ったことは純粋に音楽、アルバムの重要性です。もちろん、一つの曲、シングルも音楽にとって重要です。ただ、アルバムはその時代や、そのアルバムを作った人のその時代の音楽の方向性やトレンドを如実に映し出していると思います。シングルになることはなくともアルバムには入るインストゥルメンタルだったり、小さな短い曲だったり、放送禁止用語連発の曲だったり、社会メッセージ性の強い曲だったり、10分以上の大曲など多様な曲がアルバムにはあります。
 現代ではどんな音楽もストリーミングなどで自由に聴くことができます。そのような聴き方はどうしてもシングルだけに目を奪われがちになると思いますし、実際に世界の流れはアルバムよりもシングルです。
もし、音楽にとってシングルが重要なのであれば、ベスト盤だけで事足ります。プリンスのようにアルバムごとに方向性やアルバムに入る曲の方程式、音色が変わるコンセプトアルバムをつくるアーティストも昔は多かったと思いますが、今はわかりません。
プリンスのLovesexyはその最たる例だと思いますし、パレードやサイン・オブ・タイムスはあの曲順でなければ不謹慎だと感じてしまうほどです。
 
グラミー賞2015のアルバム賞発表のプリンスのスピーチ:
 
「アルバムって覚えてる?
アルバムは今でも重要だよ。本や黒人の命の様に。
アルバムはずっと重要。今夜も、そしていつだって。」
 
 映画「パープルレイン」でプリンスは映画のクライマックスでパープルレインを歌います。冒頭に
 
「君を悲しませるつもりはなかった
君を傷つけるつもりもなかった」
 
と歌います。映画の中で恋人であるアポロニアを殴るシーンや、殴ろうとするシーンもありました。映画の中でパープルレインを歌った後、ステージに戻ったプリンスはI would die 4 Uを歌います。
 
「僕は女じゃない 僕は男じゃない
君には絶対分からない何かだ

絶対に君をたたかない
絶対に嘘はつかない
君が罪深くてもそのうち許すよ」
 
 プリンスのルックスは男とも女とも言えないフェミニンなルックスです。ここでプリンスは「絶対に君をたたかない」と宣言します。つまり、映画パープルレインの劇中で殴って傷つけたことを謝り、I would die 4 Uで、暴力を振るわないことを宣言しています。
 
ちなみに90年代以降、パープルは女性への暴力の根絶を訴える色、国際女性デー、フェミニズムを象徴するシンボルカラーになりました。
 

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LGBTという概念をご存じでしょうか?欧米では1990年代中盤以降に一般化された言葉でレズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーの略です。LGBTという用語は「性の多様性」と「性のアイデンティティ」からなる文化を強調していて、プリンスの価値観に近いように思います。

 
これはLGBTのシンボル・フラッグです。

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 プリンスは2001年にアルバム『ザ・レインボー・チルドレン』を発表。「レインボー・チルドレンとは、インディゴ・チルドレン、クリスタル・チルドレンに続いて地球に転生をしてきた、愛と調和に満ち溢れた子供たち」とされています。プリンスの作品、『クリスタル・ボール』、『インディゴ・ナイト』といった部分にも少なからずリンクしているような気がします。
 
7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?
  
 自分で、できるということではないですが、プリンスのドキュメンタリーや映画、ドラマを作成することではないでしょうか。動画の時代なので、いかにプリンスの音楽の素晴らしさを動画で伝えるか、それとプリンスついての本を出すことで、それを読むNew Power Generationが必ずいるはずなので、好きになると思います。
 モーツァルトやベートーベンのように子供でも読めるプリンスの伝記があると素敵だな、と思います。親は子供に偉い人の伝記を読ませるので。あとは動画でプリンスのライブが検索されるといいですね。
 

プリンス 7 つの質問 08 やすたけ くにこ

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1. あなた自身を紹介してください。

 

 FM東京(現・Tokyo FM)でプリンスを初めて聴いてから今年で37年目のやすたけ くにこです。ジャズ好きな叔母の影響で洋楽を聴き始め、スティーヴィー・ワンダーのLiving in the City(邦題:汚れた街)という曲の歌詞を知って愕然としたのをきっかけに、様々なジャンルのブラックミュージックやそれに影響を受けたアーティストの曲をますます傾聴するようになりました。ブラックミュージックへの興味は徐々にアフリカ系米国人の歴史への興味に発展し、自分の学びやキャリアにとても大きな影響を及ぼしました。

 大学で最初のゼミ論テーマは、1920~1990年代初頭までに録音されたブラックミュージシャンの歌詞題材の変遷。学部生の時カリフォルニア大学に一年留学する機会を得た際は、アフリカン・アメリカン学部を専攻しました。この学部での留学生受け入れは私が初だったそうです。修士論文ミネアポリス市立アフロセントリック・アカデミー(アフリカ系米国人の視点や生活環境に根差した教育法に基づく学校)の創立から10年間における多文化教育カリキュラムの発展についてでした。
 2018年にミネソタ大学で開催された “Prince from Minneapolis”という学術集会では、プリンスによる歌詞のPositive Youth Development(若者の肯定的精神発達)への影響について発表するはずが、その予定日のみキャンセルに。この学会には、結局ボランティア・スタッフとして参加することになったのですが、それだけでも良かったです。これを可能にした様々な人々とのつながりやそのタイミングから新しい気付きを得ましたし、自分の発表のアブストラクトがきっかけでいろんなかたとのご縁もできました。プリンス作品と自分との関わりの中で、この学会は私のランドマーク的なイベントです。
 現在、私は米国ロードアイランド州在住で、多文化間コミュニケーションとエンゲージメントに関するコンサルティング業をしています。ダイバーシティインクルージョンを推進する教育関係の非営利団体医療機関や企業をサポートする仕事です。みんな違うけど共有している部分もある…同じように見える人達にも異なる特性がある…そんなメンバーが集まった組織内で、各々の生産性を上げる文化を築くにはどうします?をお題に、人材研修や管理職向けのコーチングを提供しています。そして食べ物、食べることについての話題にも大変興味があり、「料理通信」という雑誌で米国の食トレンドを紹介するフードライターの仕事もしています。
 プリンス以外で「本当に好きだ!」と思うアーティストは、スティーヴィー・ワンダーマンハッタン・トランスファーエラ・フィッツジェラルド、ニナ・シモーン、ホール&オーツイーグルスレッド・ツェッペリンオリビア・ニュートン=ジョンスティーリー・ダン、レイディオ・ヘッド、Strfkrです。
 
 

2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 私にとってプリンスのイントロダクションとなったアルバムは、 1999 と Purple Rain 。次に手に取ったのがFor You で、その時すでに発売から何年も経っているにもかかわらず、収録曲がすごく新鮮に自分の耳に入ってきたことに大変驚かされました。さらにこのデビュー・アルバムのクレジットには “produced, arranged, composed and performed by Prince”とあります。作詞作曲、楽器演奏、曲作りの仕上げまで一人!びっくり!!さらに録音時はまだ10代の未成年・・・。ピアノひとつマスターできない自分には、プリンスは「音楽の神様」のように見えました。For You で彼の神業に目覚め、さらに続けて当時リリース済みだったアルバム三作を聴破した頃には、今後プリンスが発表するアルバムは全てチェックして行こう、と決めていました。

 

 

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 今思い出しても非常に残念な、でもありがたい気分になる貴重な出来事ーーー2003年の初春、私はミネアポリスに在住。ある日、アップタウンにあるアパートから徒歩圏内にある書店に米国人の友人と一緒に行きました。その書店の中ほどにあった新刊が平積みされたテーブルに “Possessed: The Rise and Fall of Prince”という本が置かれているのを見つけた私は、ちょっと苛立った口調で

 

「何この題名、失礼なっ!こんな本を書いたり出版する人がいる?!

『プリンスの盛衰』だって?はー???プリンスは上へ、上へ、上へ・・・
ずっと上向きでしょっ!!」
 
 と、右肩上がりを示すようなジェスチャー付きではっきり言いました。その時店内にはほとんど客はおらず、私の声は少々大きめに響いたように記憶しています。こうして新刊テーブルを通り過ぎ、背の高い本棚の通路に進んで行くとすぐさま友人が私に囁きました。
 
“Prince was looking at you.”
 
 「プリンスが私のことを見てた・・・」って、まさか。どうせプリンス関連本のプロモーションで、彼の実物大切り抜き看板が置いてあるのだろうと本気にしなかった。が、もう一度テーブルまで戻って辺りを見まわすと・・・
 
なんと・・・ 
 
そこに立っていたのはご本人!
 
 私から5、6歩先にです。それも完全に休日の装いで。メイクは最小限、髪にエクステンションは無く(!)、スウェットタイプの上下(黒地に赤いシーム付きでいかにも品質が良さそうな生地)に白いスノーブーツ(初春のミネアポリスの路上にはしっかり積雪アリ)を履いたプリンス。その隣には髪の長い女性もいましたが、彼女はこちらを振り返らなかったので顔は見えず。実際、彼女に注意を払う心の余裕はゼロでした。オフ感たっぷりで温かい笑顔のプリンスを前に一言も発せず、ただただ彼の左頬にあるほくろを見つめたまま直立不動の私。恐れ多くて目を合わせられなかった。さらに、恥ずかしいことにもしかしたら口は半開きだったかもしれません。あまりの奇遇さと彼の神々しさに驚愕し、ただただその場で凍り付いてしまったのです。
 この日が来るまでに、ペイズリー・パークやミネアポリスダウンタウンでプリンスとニアミス経験がありました。でも周りにボディーガードや他のファンがいたので、とても彼と話せるような状況ではなかった。でも今回は全く違う。障害物は一切ありません。VIPチケット購入者用の紙製ブレスレットをチェックするスタッフ等いないのです。なのに頭の中で
 
“会いたかった…でも会うのは今じゃない”

 

と言う自分がいた。まだなりたい自分になっていなかったから?プリンスの影響を受け、自分の中で長い間育ててきたアイデアがまだ形になっていなかったからなのか?よく分からないまま時間が過ぎて行きます。その場から動けない私。動かないプリンス。その体感時間は少なくとも数分…本当は1分程だったかもしれませんが。同伴の女性がプリンスの袖を引っ張ると、プリンスはゆっくりと雑誌売り場の方へ歩き出しました。やっと正気に戻った私に友人は一言、「長かった・・・ね。」

 そして幾つかスポーツ誌に手を伸ばしたプリンスは、女性のお買い物が済むとすぐに音もなく店を後にしました。そのとたん、店員を含めその場に居合わせた数人が一斉に“はー”っとため息に似た呼吸を一つ。プリンスの横で同じくスポーツ誌を立ち読みしていた男性は、「“Nice boots!”って言おうと思ったけど、なんかカッコ悪くて言葉にできなかった」と、苦笑していました。

 私も本当は「いつも素晴らしい音楽をありがとうございます。あなたの言葉に導かれて、自分の進む方向を見つけました」とだけでも伝えたかった!でも、プリンスがそこにいると気づく直前に、“Prince is rising, rising, rising…(プリンスは上向き)”とはっきり言葉にできたことは幸いでした。それが本人の耳に入ったから、あの時の彼は笑顔だったのだと信じたいです。
 
 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか?

 

3曲に絞るのは難しいですが…

1『リトル・レッド・コルベット』:私が「一耳惚れ」したプリンスの最初の曲です。当時中学生で英語の授業が始まったばかりだったので、歌詞の理解度はゼロだったものの「ザ・大人の曲」という印象でした。好きなラジオ番組からこの曲が流れてきた時、誘い込むようなイントロから惹かれ、曲のテンポ、彼の歌声のトーン、そして全ての楽器が蕩けて作り上げるメローな渾然一体感にすっかりやられてしまいました。ちなみにこの後、スティーヴィー・ニックスの『スタンド・バック』に痺れて彼女の音楽を聴き倒していた時期がありました。そしてプリンス没後、この曲は『リトル・レッド・コルベット』への言わばアンサーソングだったと知り、驚くと共になんだか納得。公のクレジットは無かったものの、『スタンド・バック』曲中のシンセサイザーはプリンスの即興演奏だとか。
 
 
 
 
2『ポジティビティ』:高校卒業後のある日、この曲のブリッジの歌詞の意味が英語のまますーっと理解できたことがありました。日本語に変換しないで分かったこと(和訳を事前に読んでいなかった)と、そこにはその瞬間に自分が受け取るべきメッセージが込められていたことの両方に驚いて、まるで雷に打たれたかのような衝撃でした。
 場所は地下鉄千代田線の新御茶ノ水駅ホームで、電車を待つ間アルバムLovesexyを聴いていました。当時、私は浪人中。高校の担任や両親のアドバイスを聞かず、有難くも合格した大学には進まないと決めての浪人でした。自分にとって正しい選択のはずだったのに、いざ浪人生活を始めてみると大学生になった友人達にどんどん先を越されていくよう。それに比べ自分は一箇所で足踏み状態、もしくはじわじわと後退していくようにも感じ「決断を誤ったのかも」と、自分を疑っていた頃でした。
In every man's life there will be a hang-up
A whirlwind designed 2 slow U down
It cuts like a knife and tries 2 get in U
This Spooky Electric sound
Give up if U want 2 and all is lost
Spooky Electric will be your boss…
…Hold on 2 your soul, We got a long long way 2 go
「誰の人生にも宙ぶらりんになる時があって歩みがのろくなる。すると悪者が『全部あきらめちゃえ』と誘惑するけれど、それを受け入れちゃダメ。自分の内なる魂の声を大切にこの先をずっと進め」というのが概訳です。
 それまで何度もこのアルバムを聴いてきたのに、プリンスがこの曲で何を言わんとしていたのかその時までしっかり注意を払ったことがなかったのです。“宙ぶらりんで歩みがのろくなる”なんて、スーパースターのプリンスでも経験したことがあるの?!それを知らせてくれて、さらにどう対処したら良いのか教えてくれているのだと理解しました。この曲のこの歌詞に励まされ、自分の意志どおり進んで行こう、と勇気が出ました。
 
 
3『ペイズリー・パーク』:プリンスを崇拝する皆さんの聖地、の曲。ミネアポリスには大学院時代から5年間住みましたが、その間ペイズリー・パークでのイベントに出かけられたのはとても運が良かったです。今この曲を聴くと、彼が亡くなるちょうど3か月前に行われたコンサート「ピアノ&ザ・マイクロフォン」を思い出します。ミネソタの冬は長く厳しいことはよく知られていますが、空港から一歩外に出た時、瞬間冷凍しそうなひときわ極寒の夜でした。
 プリンスが「寒さを恐れず来てくれてありがとう」と言ってからピアノを弾き始めると場内はなんともあったかな空気に包まれました。この曲はコンサート中盤で演奏され、プリンスと観客の合唱になったのです。この日のチケットを購入し私を招待してくれたミネソタ在住の友人 Heatherと一緒に、Paisley Park is in your heart ♪と歌えてうれしかった。あの時あの空間を経験できたことを心の底から感謝しています。
 
 
 
 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか? 

 

その芸術性、プロフェッショナリズム、自信と自分らしさの表現の点で、ウェンディ&リサ、シーラ E.、ボニ・ボイヤー、そしてロージー・ゲインズを尊敬しています。プリンスの横に立っても彼と互角に渡り合うステージ・プレゼンスは圧巻です。

 
 ウェンディ&リサ:プリンスが世界的スターになりゆく過程を共にしたザ・レボリューションのメンバーです。 Purple Rain, Around the World in a Day, Paradeという3枚のアルバム制作後、このバンドは一度解散。その後ウェンディ&リサが音楽的にどう進化していくのかが気になってリリースされたアルバムをチェックしてきましたが、1990年発表の Eroica は聴き応えがありました。ザ・レボリューションの時よりも音作りが洗練された印象でしたが、歌声には以前のちょっと粗削りなラフさが感じられます。このギャップこそが彼女達らしさなのではないでしょうか。
 
 
 
 又、2019年に発表されたリサ・コールマンの初ソロアルバムCollageも、いかにもリサらしい柔らかで危ういコードとメロディの中に熟練と新鮮さが混在する秀逸な出来栄え。一聴の価値ありです。
 
 
 シーラ E.:彼女のデビューは鮮烈でした!シーラは “WOW”という感嘆の声を体現化したようなミュージシャンです。立ったままドラムとボーカルさらにダンスをやっつけられる人なんてそういません。彼女の曲では、『ラヴ・ビザール』がデビュー曲に続いて印象深いです。シーラ、プリンスとバンドのメンバーが一列になってスタジオをパレードしながらこの曲を演奏したことがあったと記憶しています。全員さも楽しそうなビデオでした。
 
 
 
 
 シーラが90年代始め『セックス・シンバル』という曲を発表した頃は、彼女がプリンスとのコラボレーションを止めてなんだか寂しかった。でも、その後二人が再びステージを共にするようになったことはうれしい驚きでした。
 
 ボニ・ボイヤー:プリンスのバンドにおいて、パワーハウス系な歌唱を得意とした最初のシンガーです。力強い歌声が印象に残る一方、ステージ上では我を張るタイプには見えなかったのがまた素敵。でも、ここぞという時に伸びある叫びを発するので、それがプリンスのトーンと対照的に栄えました。Crystal Ball収録の『アクノリッジ・ミー』オープニングのあのパワフル・ボイス、ボニです。そしてアルバムSign of the Times ではプリンスのモノローグのようだった曲『フォエバー・イン・マイ・ライフ』。このアルバムをベースに制作された映画では、プリンスとボニ、シーラ、リーヴァイ(・シーザーJR)の対話のような印象に仕上げられています。彼女が90年代半ばに30代という若さで亡くなったことは本当に残念。ボニの温かくも力みなぎる歌声は、プリンスやシーラの他のアルバムでも楽しめます。
 
 
 ロージー・ゲインズ:伸びやかで柔軟性に富み、ベルベットのように艶やかな歌声を持つロージー。彼女の特徴ある声は一度聴いたら忘れられないはずです。1990年のヌードツアーで来日したロージーのステージングは見事でした。東京ドームでのこのコンサートでは彼女の短いソロ・パフォーマンスがありましたが、その出来栄えは素晴らしく、バックコーラスの枠に留めておくにはもったいない程のスキルがある歌手という印象を受けました。プリンスのバンドに参加するにはこんなにも優れていないといけないのだ…有名無名を問わずアメリカ人ミュージシャン達の才能の厚みを初めて実感しました。
 

Rosie Gaines - Nothing Compares To You from Eric Robinson on Vimeo.

 
 躍動感と爆発的なエネルギーが魅力のキャット。彼女のようなダンサーこそ「ダイナマイト」という形容がふさわしい。 既存のジャンルでは簡単に定義できないキャットの振付けと、観客に媚びを売らないユニークな美しさはとても新鮮でした。キレッキレでパンチの利いた動きから、女性的な滑らかな所作までこなすキャット(『アイ・ウィッシュ・U・ヘヴン』ビデオ参照)。
 
 
 
ラップもできます!『アルファベット・ストリート』後半のあのラップ。アルバムLoveSexy発売当時、女性ラッパーはまだ珍しかったので、プリンスがこの曲に彼女のラップを起用したことはとても新しい試みでした。
 
 その幸せ感溢れるバイブとステージでいつも絶やさぬ笑顔が素敵なのは、ジェローム・ベントン、リーヴァイ・シーザーJR、そしてミコ・ウィーバー。彼らがプリンスとステージを共にする時、三人ともとてもとても楽しんでいるように見えます。リーヴァイとミコのパフォーマンスは東京で、ジェロームのダンスはミネアポリスで行われたザ・タイムのコンサートで実際に見ることができました。ジェロームとモーリス・デイがザ・タイムの『ジャングル・ラブ』曲中で見せるちょっと愉快なダンスムーブは、1985年に行われたプリンス&ザ・レボリューションのライブ中、プリンスとジェロームのバージョンでも見ることができます(Purple Rainデラックス版参照)。リーヴァイとミコのライブ映像で個人的に一番印象深いのは、東京ドームでのヌードツアー(1990年8月31日収録)です。
 その独特で崇高なオーケストラ・アレンジメントには常に職人技が感じられたクレア・フィッシャー。ファーストネームの綴りから女性と勘違いしてしまうかもしれませんが、実は男性です。プリンスのアルバム・ライナーノーツに幾度も登場する彼の名前を見る度に、どんな人なのだろうと興味を持ちました。ジャンルを超えた作曲家、編曲家、演奏家として才能を発揮したクレア・フィッシャーは、20年もの長い間プリンスの曲作りに貢献しました。クレア・フィッシャーによる弦楽やオーケストラの音色は、プリンスのメロディーにいつもしっくりと空きなく丁寧に重ねられているように聴こえます。きっとプリンスと何度も曲の方向性やイメージを話し合って音作りをしているものと想像していたのですが、実は生前ほとんど会ったことがなかったそうです。真のアーティストは言葉でなく音符でコミュニケーションをとれるということなのかもしれません。
 クレア・フィッシャーの音彩が効果的にプリンスの旋律に幅と深みを与えた作品のうち個人的に印象深いものは、『アイ・ワンダー・U』『マン・オブ・ウォー(イントロ直前のセグエから)』『ピンク・カシミア』『クリスタル・ボール』『ストレイ・オブ・ザ・ワールド』『グッドバイ』『コール・マイ・ネーム』『テ・アモ・コラソン』です。
 
 
 

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 
 プリンスの訃報を知った瞬間、「今日から誰の言葉を頼りに生きていったらいいの?」という問いが真っ先に頭に浮かびました。英語が母国語か否かに関わらず、プリンスがリスナーを励ますメッセージを数多ある曲中で放ってきたと気付いている人はそう多くいないようです。だから、プリンスは自分のスピリチュアル・リーダーだったと言う私に、「えー!あのプリンスが?!」と驚く人がいます。彼のメッセージ、それを理解するためのヒントが曲の最後に登場することもしばしばなので、プリンスが作り出す音楽だけでなく彼の言葉にも注意していないと文字通り聞き流してしまう。
 
プリンスのメッセージのテーマには、
独立心、能動的リーダーシップ、現状維持体制への抵抗、独自性、愛とセックスの精神的解釈と意義、自由、自己の弱みの認識、不退転の意志、自信、自己愛、肯定的自己評価、思考の現実化、平和、希望、日常と精神世界にひそむ陰陽/善悪、等がありました。
 
私の心に一番大きく響いたテーマは、『“今”至上主義』です。言い換えると、過去も未来もない、あるのは今だけ。今を最大限活かすには、意図的に自分の行動・行く道を選べ…という意味。私には、このことを自ら悟った経験があります。20代半ばのある日、通勤途中で自転車に乗っていた私は20トントレーラーにはねられました(トレーラー運転手の説明)。その後、意識不明は8時間続きましたが、ケガは小さい頭部外傷と脳挫傷疑いのみで済み、事故に遭う30分前からICUで目覚めるまでの記憶は幸いにも全く残りませんでした。聞けば、現場は死亡事故多発エリア。入院から数日間、なぜ自分は死なずに昏睡状態から目覚められたのかについて何度も考えました。そしてそれは昏睡している間、ただただ自分の臓器が休まず動き続けてくれたからだと気付いたのです。私がそう指令したわけではないのに。「さあ、意識を戻そう」と意識的に自分に言いきかせてもいなかったのに、です。つまり、自分の命は自分が100%コントロールしているんじゃない、と。
 この気付きから、目覚めという行為の有難さと、目覚めることで手に入いる“今”という時間の尊さと非凡さを悟りました。その時すぐ「これってプリンスがずっと歌の中で言ってた…」と気が付いた!自分は事故に遭わなきゃ分からなかったことを、彼は何年も前から知っていたのです。驚愕しました。
 
(これに関連する歌詞を含む曲は、『セクュシュアリティ』『1999』『レッツ・ゴー・クレイジー』『サムタイム・イット・スノウズ・イン・エイプリル』『サイン・オブ・ザ・タイムス』『イッツ・ゴーイング・トウ・ビー・ア・ビューティフル・ナイト』『アイ・ノー』『ウィリング・アンド・エイブル』『ウォーク・ドント・ウォーク』『ウィー・マーチ』等。)
 
 限られた“今”の重要さを理解すると、考えを行動に移すスピードがぐんと速くなります。この悟りのお陰で自分が今何をしたいのか、何をすべきかについてより注意を払えるようになりました。でも、能動的に自分の内なる声に従って行動を取ろうとすると、周辺の人たちの流れに逆らわなくてはならなかったり、自分の今までの方向性を公に撤回せねばならない場面も出てくると知りました。自分の今を大事に生きるには勇気が要ることもある。それを忘れず継続するには努力も必要になってくるようです。
 
『“今”至上主義』を体現して行けるだろうか…と迷う時は、アルバム1999収録の『フリー』を聴くとプリンスに励ましてもらえます。
 
Be glad that U are free
Free to change your mind
Free to go most anywhere anytime
意見を変えることができる自由、いつでも自分が選んだところへ行ける自由を今享受できるのは喜び。素晴らしいこと。さあ、もう一度やってみよう!とプリンスが背中を押してくれるはずです。

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?
 
私からの提案は、彼が何をしてきたか(作曲、編曲、作詞、楽器演奏、歌唱、映画/映像製作等)だけでなく、彼がどのようにそれを世の中の人たちに伝えてきたのかにも注意してみるということです。つまり、彼の仕事倫理、バンドメンバーの選択、他アーティストとのコラボレーション、次世代を担う才能の発掘とサポート、アルバム毎に移り変わっていった芸術的表現方法等です。
 プリンスが、自身の作品制作をデビューから旅立つ日までコンスタントに続け、さらに進化させ続けた姿勢は他に類を見ません。たとえ批評家達が彼の音楽や映画に拍手を送らなかった時でも、もしくは私生活で困難な状況に見舞われた時でさえ、彼はネガティブにその場に立ち止まることを良しとしませんでした。40年にも渡るキャリアを通して前進し続けた彼のスタンスは、Crystal Ball収録の『ハイド・ザ・ボーン』のこの歌詞にも表れています。
 
Whatever you do keep it moving
Whatever you do don’t stop
Don’t stop the groove
「何であれ自分の作業をやり続けて、前へ進め、自分のグルーヴを止めちゃいけない」と。
 
 
 又、プリンスは多作なミュージシャンでしたが、他のアーティストとのコラボレーションも数多くこなしてきました。そのやり方はまた多様で、コラボ相手の選び方も民族・人種的バックグランド、ジェンダー、世代、芸術分野といった枠組みにおいて常にインクルーシブでした。これからプリンスを知る皆さんには、プリンスが誰に楽曲を提供してきたか、誰と共作したのか、誰のメンターとなったのかもチェックすることをお薦めします。彼について新しい発見をする機会が必ず増えるからです。
 個人的には、NYを本拠地とする『アメリカン・バレー・シアター』初のアフリカ系プリマとなったバレリーナ、ミスティーコープランドとプリンスの関係が大変興味深かったです。彼女はインタビューや著作の中でプリンスとの関係や彼からのアドバイスについて伝えています。
 
 
 そして最後にプリンスのコスチュームやステージのヴィジュアル、アルバムデザイン、ミュージックビデオ、ユニークな作品発表のアプローチにも注目してみてください。プリンスと、彼以外のブラックミュージシャンとでは自己表現法がどう違っていたのかを探ると、米国ポップ文化の流れやアフリカ系アメリカ人の歴史が垣間見えてくるかもしれません。ここまでじっくり掘り下げると、彼が ”There’ll never B another like me” (Lotusflow3r収録曲)と明言したように『唯一無二のプリンス像』がより明確になるでしょう。
 
 

プリンス 7 つの質問 07 杉山 鉄男

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 1.あなた自身を紹介してください。

 

杉山鉄男と申します。日本🇯🇵の真ん真ん中?の岐阜県岐阜市に生まれ住んでおります!1962年6月21日生まれ、『ふたご座』です!!仕事は家族で小さな織物工場を営んでいますが、私自身が7年前に病気をしまして、現在も闘病中。工場でのハードな仕事は無理なので、アドバイザー的な仕事をしています。趣味は音楽鑑賞〜プリンス、プリンス関連のミュージシャンは勿論の事、ホール&オーツ、マイケル・ジャクソン、クィーン、スティング(ポリス)、ビートルズシャーデーグロリア・エステファンYMO椎名林檎、好きなアニメのサントラなどなど〜を好んで聴いてます!

 映画鑑賞〜ブレードランナーやエイリアン、ブラックレイン等のリドリースコット作品、アベンジャーズX-men等のマーベル作品、スーパーマンバットマン等のDC作品、そしてAKIRA!等が大好きです。勿論、プリンスのパープル・レインやサイン・オブ・ザ・タイムズの映画も欠かせません!!

 そして、イラストを描く事!!実は僕は12〜13歳の頃から漫画家を目指していまして、毎日の様に絵を描いていました。そして中2の頃に、少年漫画雑誌の読者ページに漫画似顔絵(既存の漫画を題材にしてハガキに描くイラスト)の投稿に没頭する様になりました。マガジンやサンデー等の少年誌に投稿しましたが、そんな中でも情熱を燃やしたのが、『週刊少年キング』の似顔絵コーナー! 毎週、読者から投稿される漫画似顔絵から選考された20枚程の作品が、見開き2ページを埋め尽くすわけですが、A、B、Cクラス、金銀銅賞と実力に応じてランク付けされ、その頂に立つのが毎週『第◯代〜』として選ばれ、1番大きなサイズで掲載される最高位『チャンピオン』!更には、半期毎に開催される『チャンピオン大会』では、チャンピオンの中のチャンピオン、グランドチャンピオンが選出され、作品は原寸大(ハガキサイズ)で掲載される!
もう、目指せチャンピオン!!と、各雑誌の漫画似顔絵投稿家は皆んなキングには力作を投稿していました。
 絵の技術やアイデア、レイアウト等をハガキサイズで展開し、腕を競うに最高の舞台でしたね。現在描いているプリンス画などの絵の技術は、ほぼ全てこの時期に身に付けたと言えます。『少年キング』に似顔絵投稿していた方々から漫画家やイラストレーター等のプロで活躍されてる方も沢山おられ、映画化もされた菅田将暉主演『帝一の國』の原作者の古屋兎丸先生もそのおひとりです。

僕の『少年キング』での主な戦績です。
1977年、第33代チャンピオン獲得
1978年、第11代、15代チャンピオン獲得
1980年、第20代、24代チャンピオン獲得
1980年上半期チャンピオン大会、グランドチャンピオン獲得       

 もちろん自分のオリジナルのイラストや少しですが漫画制作もしており、高校生になってからは漫研の運営等の活動もしていましたが、漫画家になるという夢は叶いませんでした。30歳を過ぎて結婚し家庭を持ち絵を描く事からも遠ざかっていましたが、2016年4月にプリンスが亡くなってから、あれだけ沢山イラストを描いていながら、プリンスを描いた事が無い事に気付き、酔ってチラシの裏に描いたプリンスイメージイラストをFBにアップし始め、2017年11〜12月に「プリンス・アート・コンテスト」に自身初となる、リアル系のプリンスを描いてエントリー!そしてなんと、その数ヶ月後に世界発売された英語版の『Words'O'Prince』のアートチームに加えて頂き魂を込めてプリンスアートを描かせて頂きました!“WOP”参加までの1年間の展開は最近では類を見ない劇的なエキサイティングな体験でした!


そして、それは〝This ain't over yet...!〟

 

ドライブも好きで、よく大自然の中、ゆったり車を走らせてます〜♫

 

2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか? 

 

 えーと、実は僕は18〜19歳までは日本のポップスとかも聴いて無くて、ブルース ・リーの映画サントラや好きなアニメのサントラばかり聴いていました。その後、弟の影響などもあり洋楽(ビートルズやクィーンなど)を聴く様になり、そしてテレビのMV番組の普及により、マイケル・ジャクソン、マドンナ、カルチャー・クラブデュラン・デュランなどなどを聴く様になったのですが、当然の事プリンスも見かける様になりました。1999のMVがプリンスの初認識だったと思いますが、「プリンス⁉︎個人名?バンド名?変わった奴、キモい奴だなぁ〜」というのが初印象でした(^_^;)


 音楽番組はしょっちゅう観ていたので、プリンスの音楽が目から耳から入ってくる機会も増えた頃に『Purple Rain』の数々のMVが流れ始め、気がついたらドップリとプリンスの虜になっておりました!何かこう、プリンスは最初は見た目のイメージが先行して、すぐに『聴こう!』とはならなかったのですが、耳にする毎にその音の異質さに気づき、惹き込まれて行った感じかなぁ。

 そして深夜のSONYミュージックTVで観たニューヨーク州はシラキュースでの『Purple Rain』のライヴ映像の質量!熱量!

 

それまで観たり聴いたりしたアーティストとは明らかに別次元なのでは!?と感じました。(専門的な事はわかりませんが、感覚的にそう思いました。)

 それからというもの、聴く音楽のプリンス率はグーンとアップ!CDも出る度に欠かさず手に入れましたが(最初の頃はレンタルしてカセットに録音)、とにかく〝ぼっちプリンス〟(^_^;) 近くにプリンスについて語り合う相手もおらず、名古屋のラブセクシーツアーを観に行くのも独り。サイン・オブ・ザ・タイムズの映画を観に行くのも独り…。

 ただ、横浜に住んでる漫画で繋がった親友はマイケル・ジャクソンがメインですが、プリンスも聴く奴!岐阜から横浜に遊びに行く時はいつもプリンスのカセットテープをドッサリ積んで、高速道路を走る最中や、横浜で親友を乗せて走る時なんかは、車内で掛かる音楽はほぼプリンスオンリーでした!まあ、結婚前後からは横浜に遊びに行く事も無くなり、また〝ぼっちプリンス〟に戻りましたね。ワン・ナイト・アローンです。

そして出る度に購入してた筈のCDも、クリスタル・ボールやロータス・フラワーなどの買い忘れ?が!!1990年代後半から2000年代のCDも買うには買っていましたが、80年代程の頻度では聴かなくなってました。

 しかし『HITNRUN』フェーズワンが出た頃から、聴く頻度の低かったCDを聴き直し始め、『ザ・レインボウ・チルドレン』に衝撃を受けまくり、ヘビロテで聴いていた矢先の2016年4月22日早朝にヤフーニュースで目に飛び込んで来たあの報せ…。今も信じられていない自分が居ます。

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか? 

 

Most memorable "Purple Experience"!!2016.4.21以前なら間違いなく、この目で観た最初で最後の生プリンス!1989年の名古屋でのLoveSexyツアー!!と答えた事でしょう!勿論それは今後も揺るがないと思います。
 ただ、最近それに匹敵する、新たな"Purple Experience"が僕の記憶に強烈に書き加えられました!事の始まりは、2017年の『ラヴシンボル・フラッグリレー』!!2016年秋頃よりSNSでのプリンスファム繋がりが広がりつつあった僕の目に入って来た『ラヴシンボル・フラッグリレー』イベント。なんと、2017.5.13に隣県の名古屋で開催されたプリンス・イベントでトークライヴに参加。その時にフラッグ・リレーに参加出来るチャンスがあるという!これは是非いかねば!せっかくなら、言葉だけじゃなくプリンスのイラストを描きたい!!
 早速、ビールを呑みながらチラシの裏にプリンスイメージのイラストを練習がてら描き始めました。そして念願叶って『ラヴシンボル・フラッグリレー』にプリンスを描く事が出来ました!

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 その後2017年秋頃に「プリンスの言葉チーム」の主催で『プリンスARTコンテスト』開催のお知らせ!せっかく十数年ぶりに絵(プリンス)を描き始めたのだから、このコンテストにチャレンジするのは宿命だな‼️と勝手に思い込み、サラッと描いた1枚をエントリー!
 ただ、「どうせ描くなら魂を込めた作品を‼️」という想いが残ったので、オール点描画のプリンスを7日程かけて描いてエントリーしました。久々の描ききった感!!!(笑笑)そして年が明けて2018年1月後半頃からでしょうか、世界版の『Words'o'Prince』へのART参加の打診があり、2月後半に正式にARTTEAMに加入‼️リアルな画風でのイラストを求められ、過去に描いたイラストの殆どがマンガ風イラスト(プリンスアートコンテストにエントリー作品は除く)しか描いて来なかった僕にとって、新たな、そしてエキサイティングなチャレンジとなりました!!これぞまさに、僕にとっての新たな"Purple Experience"となりました!!

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? 

 

ソウルソング!しかも3つ!!
殆ど音だけで聴いて来たので〝ソウルソング〟と言って良いのかわかりませんが、強いていうなら…。

I would die 4 U 

 英語が出来ないのでさほど歌詞の内容もわからず、何故か!と答えるのも難しいのですが〜。初めて聴いた時から心に突き刺さって揺るがないから!ですかね〜。(I would〜からのBaby I'm a starの一連の流れで聴くのもお気に入りです)I would die 4 Uは朝のアラームやスマホの着信音にしています。

 

 

Gold

こちらは就寝時に聴くプレイリストで、常に自分の側に在る曲です!(勿論、プリンス全般にiPhoneに入っているので他の曲も何時も側に在りますが^^)このキラキラしたポジティヴな感じが好きです。

 

 

The Most Beautiful Girl In The World

テレビで『The Beautiful Experience』で観て曲&映像で感動し、1996年の妻との結婚式の新郎新婦入場シーンで使用した曲なのです(^ ^)

 

 

これら3曲は僕にとって、様々なシーンで聴きたくなったり勇気付けられたりする曲と言えます!!

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

これはもう、何と言ってもSheila E.ですね!多分、Glamorous LifeのMVでその姿を初めて目にしましたが衝撃的だった記憶があります!あんなに美しくスタイルの良い女性が、パーカッション叩きながら歌っている!!!驚きでした‼️そして1985?だったかのAmerican Music Awardで演ったGlamorous Life!真っ暗な中での光るスティックでのパーカッションのカッコよさに完全にノックアウトされました💜

 


  Music Video版のプリンスの〝I would die 4 U〟に出てくるシーラEも大好きです!プリンスのキューからのシーラのパーカッション!あの幾度となく繰り返す掛け合い!サイコーです!!
 そしてそして、映画『サイン・オブ・ザ・タイムズ』のシーラのドラム!中でも中盤のドラム・ソロのシーンが大好きで、『Words'o'Prince』に描いた2枚のシーラEのうちの1枚はそのドラムソロのシーンからのストップモーションを点描で描写しました!!
 あともうひとつ、先にも挙げました1989年名古屋での〝LOVESEXY TOUR〟…。距離的には離れていましたが、プリンスとシーラEと同じ空間の中にいられたなんて、今思い出しても興奮してしまいます!一生忘れる事の無い、最高の想い出のひとつです!!
 アルバムで言えば『The Glamorous Life』『Romance 1600』の2枚は特に好きで、今でも良く聴いております。勿論、『Iconic(Message 4 America)』も!!〝Brackbird〟の歌声…癒されております💜

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

 いつも前に一歩を踏み出せる勇気、志しを忘れない!思い出そう!という魂が宿って来ました。これは2016.4.21以前には意識した事も無かったのですが、プリンスが永遠の存在になって以降、色々な場面でその魂が現れます(控えめですが^^;)

 2016年の夏、選挙関連のニュース番組を観ていてたまたま映った名古屋のBARの壁に『The Rainbow Children』のジャケット画を発見!その週末に妻を連れて、そのBAR『POPLIFE』にGo‼️2016年年末には自身初となるプリンスイベントへの参加‼️
それ以外にもラヴシンボル・フラッグリレー参加やプリンスアートコンテストにチャレンジしたり、『WOP』ART参加などなど、以前なら「どうしようかな?」と考えているうちに終わってしまうケースも多かったと思います。

 まだまだ全てのシーンで前に踏み出せてる訳では有りませんが、その想いは何時も心に持っていようと思います!

 

『さあ立ち上がれ!だって君の人生だろ?』

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 世界中のプリンスから影響を受けた様々なミュージシャン、アーティスト、そしてメディア等がプリンスの音楽や生き様を取り上げ紹介して欲しいですね。映画とかのプリンス曲の使用とかも含めて。そういう事からプリンスの凄さがじわじわと拡散されるような気がします。

 最近ではオリンピック二大会連続金メダリストの男子フィギュアスケート羽生結弦選手が2016-2017シーズンのSPでプリンスのLet's Go Crazyを使用し、プリンスに敬意を表した全身全霊をかけた演技で全世界を興奮の渦に巻き込みました!世界中で大ヒットした映画『Kingsman: The Golden Circle』や『Ready Player One』、そしてスパイク・リー監督の『BlacKkKlansman』ではプリンスの楽曲が使用されました!

 まだまだ認知度の低い日本でもプリンスにスポットライトを当てたTV番組が増えて来ました!この様な動きの中から新たなるプリンス世代が間違い無く、生まれ育って来ていると思います!!

 現に以前、プリンスを特集したTV番組の制作に関わった方の元に「番組を観てプリンスを聴くようになりました!ありがとうございました!」と感謝の気持ちを伝えに来た若い女性の方々に遭遇しました!最近の各地で開催されるイベントでも、高校生、20代のプリンスファムの方々の参加を確認していますし、なんとプリンスの曲でDJする中学生にも出会いました!!2そんな若い彼等ファムから次世代への拡がりも期待出来そうです!!僕個人としてはプリンスの音楽そのものではありませんが、絵で表現したプリンスを少しずつでも発表し続けて行きたいと考えております。https://twitter.com/Otsutema_S

 

プリンス 7 つの質問 06 エスむら

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1.あなた自身を紹介してください。

 

 こんにちは。この度は素晴らしいお声がけ感謝しております。まずは自己紹介ですね。ネット上ではエスむらと名乗らせていただいています。国籍は日本。ライティングやWeb制作に関わるお仕事をしています。10代のころよりプリンスの魅力にとりつかれ現在に至っております。若いころはプリンスのコピーユニットを組み、よく分かりもしないまま打ち込みと生音で恐れ多くもプリンスにアプローチしていました。若さだなあ、お恥ずかしい。

 高校からはプリンスのお導きで芸術系大学へと進学しましたが、当時プリンスが肌身離さず付けていた「十字架のネックレス」とほぼ同じサイズ同じデザインのものを探してお守りとし、ポケットに入れて受験に挑みました。今だったら「シンボルマーク」を握ってるところなんでしょうね。

 大学に入ってからもプリンスファムとしては引き続き天国でした。なにせアートスクール。プリンスへの理解力はひときわ高い。DJなどが在籍(?)するFMサークルに入り、そこで様々な方面の音楽への造詣が深い先輩方の知識と経験の洗礼を受けました。プリンスは主軸の王として私の中で君臨しておりましたが、同時にネオアコースティックやニューウェーブ、アノラック、UK、USの「へっろへろのへなちょこインディーズギターポップロック」や、「ゴリゴリのパンクノイズテクノ」などを好んで聴いており、クラブへ行ってはへろへろと踊っているような大学生でした。まあ綺麗なイギリス人男子が好きだったんですね。高カロリーなゴージャススペシャルフルコースみたいなプリンスミュージックと、まるで対極のさらさらお茶漬けみたいな音楽を聴き、ビジュアルも正反対なものを同時摂取して心のバランスをとっていたんでしょうか。もともとの嗜好性がどこにあるのかもはやわかりませんが強引ゴリ押しのプリンスに押し切られ寄り切られ身も心も降参してしまいました。降参せざるを得ないです。あの魅力と才能には。

 その後仕事とは全く別物で、個人のプリンスファンブログ「Something in the water」を2012年より開設。プリンスへの溢れる愛をただただ無駄に垂れ流しております。またライフワークでプリンスの音の構造を紐解く作業をあらゆる楽器から解体分解アプローチ。まあいずれも趣味です。趣味だけれども本気。「プリンス」は私という人間の基本。人生をかけたライフワークとしているので、ある意味「生活」より命がけ。もうこうなったら言いきれます。

 

2.あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 あれは遡ること30年ほど前。クラシックや古いジャズや映画音楽、ミュージカル音楽などで育った外界を知らぬ若いエスむらはWham!に一時的に罹患。今でこそ大阪のオタクの聖地となっている当時電気の街「日本橋」へ父親と出向き小さなレコード屋でカセットテープを買った思い出。カセットについてきたオマケの下敷きが嬉しかったもんです。その後正式にプリンスに罹患するまでの短い期間、ジョージマイケルとアンドリューリッジリーに下地をならしてもらっていたのかなと今では思います。

 そしてついに運命の時が高校時代のエスむらに訪れます。それはプリンスとの現在まで続く長い蜜月時代のはじまりでした。人からもらったでっかいラジカセでいろんなラジオ番組を聞くのが好きだった当時の私は彼に突然遭遇するのです。当時やたらめったら流行っていたのは「Batdance」でした。プリンスのBatdanceがチャートをにぎわしていた頃、比較的どの番組でもこの曲を耳にする機会がありました。そのやたらめったら世間でかかっていた流行歌の「Batdance」の音楽としての異常さに雷に打たれるような衝撃を受けました。

 

「ヤベー」でした!あれは相当ヤバい音楽でした。

 

「なんじゃこりゃー???」です。

  あんなにポップでアバンギャルド(何か昔聞いたような言い方)な音楽がみんなが普通に聴けるラジオから流れてくるとはなんとも異常で素敵なこと。これがあのプリンスなのか…。そう、なぜ「これがあのプリンス」と感慨深かったのか。当時の私の友達はマイケル・ジャクソンファンやデヴィッド・ボウイのファンやドラム担当の軽音部やら、なかなかに音楽的に恵まれた環境でありました。そんな中にいて、「プリンス」と言う人のビジュアルや置かれているスタンスを必要以上にエスむらに叩き込む学友。それは今考えると超英才教育だったのかも。プリンスにどうしても惹かれていく私に友人はプリンスの情報を毎日濃厚(牛乳)に注入していってくれたのです。

 彼らは愛を持って「プリちゃん」とか「殿下」などのニックネームで呼びプリンスや私にちょっかいをかけてくれていたけれど、エスむらはどうもその愛称が使えなかったなあ。今でもあんまり使えない。プリンスはプリンスだしなあ。この中にデヴィッド・ボウイやUKミュージックに造詣の深い友達がいて、彼女のプリンス観などはとてもとても深かった。エスむらの薄く浅いプリンス観が申し訳ないくらいプリンスをディープに捉え語ってくれて、「ああ~プリンスってやっぱすごいんだなあー」と彼女を通してプリンスの偉大さや深さを再確認するという状態でした。

 大学に進学すると、範囲の狭い電波を飛ばして番組を流すという小さな小さな地域FMサークルに所属します。エスむらは番組をふたつ持たせてもらい、青春時代ひたひたに浸っていたUK、US音楽(かなりインディーズのもの)をひたすら流す番組と、プリンスオンリーの番組を持たせてもらいました。プリンスの番組ではオープニング曲もエンディング曲もプリンス、ジングルもプリンス、もちろん話す内容もメインでかける曲もプリンスです。なんとくどい番組でしょうか。ここには素晴らしく複雑で面白おかしい先輩方が周りに沢山いて、彼らはプリンスやプリンス以外のことを沢山教えてくれました。クラブに連れていってくれたり、レカストー(編注:レコードストアのこと。プリンス支持者はレカストーと呼ぶ)に連れて行ってレコードの掘り方を実践で教えてくれたり、アルバムやアーティストの話をしょうもない事を交えながらいろいろしてくれました。音楽的プリンス的環境に関してとても恵まれていたんだなあ。幅広くフラット&ニュートラルな文化観や音楽観を持たせてくれた家庭環境や学生時代の先輩学友のおかげで、プリンスに対して先入観も思い込みも嫌悪感もなく向き合うことができたため、プリンスの音楽性の深さと凄さにただただ驚くことが出来るというラッキーパターン導入だったのです。

 学生時代の当時の自分に教えてやりたい。あなたは十数年後、こんなところにいるのよ…と。あなたがプリンスや音楽に抱いていた損も得もない純粋な「愛」だけの世界は、ここにつながるのよ、と。

 

3.あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 いろいろあります。困るくらい。海外で見たライブもコピーユニットも、ファムの集い(笑)もそりゃどれもこれも濃厚です。一番なんて決められないから順不同でいうと、国内のものはひとまず置いておいて、ロンドンとノルウェーオスロでの海外でのプリンスライブ体験でしょうか。そのうちのロンドン公演が「海外のアリーナ初体験」でした。ロンドンのウェンブリーアリーナという莫大な大きさのアリーナでプリンスを見られるというラッキーエクスペリエンスは、先のデヴィッド・ボウイファンの友達のおかげでした。

 彼女は丁度この時期イギリスに長期留学しており、私は彼女の住んでいるフラットに間借りする形で数カ月エセ短期留学をさせてもらっていたのです。エスむらが日本の家とイギリスのフラット(間借り)を行ったり来たりしている最中、プリンスがACT2ヨーロッパツアーを開始することになったのです。これは!友達が留学している間にいかなければならない!チケットは彼女にとってもらいました(笑)ライブの様子などは写真では撮れない、ならスケッチブックを持っていこう。毎日持ち歩いていたスケッチブックに記憶出来得る限りのプリンスのライブのモーメントを記録するんだ。ライブ後は灰になるのは分かっているんだ。その時得た感動と情報をもれなくつぶさにこのスケッチブックに書き残すのだ…。そう思いリュックにスケッチブックを突っ込んでいざ当日友達とウェンブリーに向かうのでした。

 ロンドン市内からちょっと遠めのウェンブリーアリーナへ向かう電車の中はプリンスのTシャツ着ている沢山の人が。あなたも、あなたも、そこのプリンスTシャツのあなたもライブに行くのね。高鳴る胸をおさえてニヤつく頬をひくつかせ、到着したかの地に降り立つとこれまた物凄い人が。これ全部プリンスのライブ見に来た人なのか!交通整理、人員整理などで活躍していたのが馬に乗った警官だったってのがとてもイギリス感満載で感動しました。もうこうなりゃなんだって感動する境地だったのですけども。

 さてしばらく並んだ後、いよいよウェンブリーのゲートが開きます。この時のオーディエンスはエスむらたち含め、ダービーの馬の気分。ゲートが開くと同時に私達は走り出しました。状況も分からんまま前方へ行かねばという思い込みだけでイギリス人と突進。思ったよりアリーナ前方に行けたのか?ぎゅうぎゅうです。イギリスはアメリカに比べると背丈など小ぶり。とはいえ日本人のちびっこ二人には相当な壁です。背丈が、前方の背中が、四方の圧がすごい。友人は私より小さかったため前方の長身のイギリス男子に視界を阻まれておりました。

 しかし。プリンス(いや彼に変装したダンサーのマイテだが)は上空から登場するし、プリンス本人は舞台後方からトコトコ出てくるし、大きなスクリーンもあるし、アリーナは流動的だったので立ち位置はどんどん変容していくのでいくらでも見えるのです、プリンスが。観客の楽しみ方も日本とは違います。日本の消防法なんてどこ吹く風の生ライター頭上フリフリや肩車、アルコールを摂取しながらのキス&ハグ。プリンスもものすごく喋ってくれるし。自由だった。

 ロンドンのウェンブリーに引き続きノルウェーにもムーミンじゃなくプリンスにまたも会いにいきました。チケットもないのに(ソールドアウト)ダフ屋からでもなんとしてでも買ってやるという無茶な気持ちで挑んだ突撃プロジェクト。ダフ屋で買う=ある程度はぼったくり覚悟、でしたがそこは関西人。いくらか値切って(もちろん関西弁で)チケットを手にし風邪っぴきの友達をホテルに残し(ひどい)ひとり会場に入り込んだのです。

 ノルウェーは金髪長身碧眼の地、少数派の黒髪黄色人種のアジア人が一人大きなスタジアムに乗り込んでプリンスでノリノリなのが目立ったのでしょうか、すごく周囲から見られました。「あらあの子、東洋人よ。しかも一人でプリンスライブに来てるわ」とこっちを見ているノルウェー女子に図太いポジティヴィティを発動して踊りながらニッコーとほほ笑むと、向こうもニッコーとほほ笑み返してくれたんだ。これぞプリンス的世界。すごく感動したね。そこはアウェイではなかった、プリンスを愛する人たちが集う場所。いい思い出です。

 社会人になってもご迷惑にも「プリンス・スペシャル・ミックスCD」を作っては友達に押し付けるという嫌がらせをしたり、ご迷惑にもプリンスの絵を描いてご紹介エッセイ&レビューなどを作っては押し付けるという、時間とヒマがたっぷりあったからこその暴挙を繰り返しておりました。みんな優しかったなあ。受け入れてくれたどころか面白がって付き合ってくれたもんなああ。毎日プリンスをダシに笑い転げてプリンスってスゲースゲー!って大盛り上がりしていたそんな素敵な青春時代。ありがとうプリンス、ありがとう友達。

 時系列が前後しますが、高校時代例の友人を半ば強引に引き連れて初めて生プリンス体験をした1990年のNudeTour in 甲子園球場スペシャルな思い出のひとつです。半ば強引に、というのも学生にとっては相当高額な外タレのコンサートチケットを「ほれ!取れ!見れ!」と迫っていたのですからね。でもみんなプリンスに興味を持ってくれていたのかちゃんとチケットを買って一緒に行ってくれました。

 行きの道中はいつも通りプリンスをおちょくりながらキャッキャ言っていた彼らも、コンサートが終わり茫然自失の帰り道では「…プリンス凄い。凄かった。エスむらいつもいつもプリンスをおちょくってゴメンよ」的なことをしんみり言ってくれたんだよな、確か(記憶による美しい改ざん?)。プリンスは愛されていた。

 それからプリンス体験として強烈なのはやはり国内で人知れず盛り上がっていたプリンスファンの集い。プリンスファンクラブやプリンスパーティーなどですね。ここで私は自分史上とても大事な人たちと一杯出会いました。誰かが誰かの橋渡しになりつながりが生まれる。知らなかった世界が広がり新しい体験をする。そんな得難い経験をさせてもらいました。プリンスコピーユニットもここが発祥です。素敵な青春の体験と記憶がここにはあります。感謝しています。

  そして最近生まれたプリンスの旅立ちに伴って生まれた新しい出会いと絆。ブログをやっていたため全国に新しい出会いと絆はありましたが、それはプリンスに興味のある人やプリンスファンだったりが大多数です。しかし2016年4月 21日以降、全く交わらないであろうジャンルやエリアの方たちと出会うことになります。プリンスが旅立って間もない数か月後の9月に、フィギュアスケーター羽生結弦選手がショートプログラムでプリンスの「Let’s Go Crazy」を演じたのです。そこで得た体験、体感。それらはプリンスがいなくなってこの身に巨大な穴の空いたようなエスむらを優しく温かく癒してくれました。上質な感動がありました。ブログ内でも「羽生結弦カテゴリー」を作ったほどです。ここはこれからも常に更新されていく予感がします。

  そこで生まれた新しい絆はエスむらにとって本当にかけがえのないものとなっています。羽生選手から受けとる優しさと感動と感謝。羽生選手のファンの方から受けとる優しさと感動と感謝。今も続くこのリレイションシップをより強く美しく育てていきたいという思いがあります。もちろん強引な思い込みもゴリ押しもせずに。

 実はもうひとつ、これが本当の「いちばんのスペシャル体験」というものがあるのですが、それは私の心の中の宝箱に秘めておきます。この体験をエスむらにさせてくれた方には永遠の感謝を送ります。ありがとうございます。死ぬまで大事な宝物です。

 

4あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか?

 

 これまた酷な質問を。プリンスの曲ナンボほどあると思ってるんですか。まあそれでもソレを頑張ってひり出し語り読むという楽しみ、それがこの質問の趣旨ですもんね。多分いずれかはどなたかと被るであろう超名曲。奇をてらえばいくらでも奇をてらえる楽曲が多数あるプリンスカタログの中からでも恐らくベタな選曲となっていることでしょう。でもいいのです。それでいいのです。私の人生を彩る素晴らしいプリンス楽曲のうちの一曲なのですから(前置きが長い)。

 

【The Ballad of Dorothy Parker】

順不同ですが「ドロシーパーカー」これは外せません。ポップス史上外せないと思っています。外したら怒ります(私が私に)。あの進行なき進行、ありえないコード感、ヘンテコなものばかりで構成されているはずのこの楽曲が超絶スタンダードに仕上がっている奇跡。歌詞もまたシックで良いのです。この楽曲は少年から青年、青年から大人の男に成熟して極めていく過程の、何度かある頂点の一部なような気がします。くぐもった音の秘密も近年明かされましたが、だからと言ってあの曲の「奇妙さ」は解消されるわけではありませんでした。白昼夢を見ているような気分になりますね。いつ何度聴いても毎回「おかしな」感覚に陥る楽曲。

 

【Adore】

これは私が天国に訪れる際の出囃子と決めているので外せません。これがないとエスむらはあの世に行けないからなのですね。もし誰もこの曲を私の忌の際に用意していない、用意し損ねていたとしたら脳内自動再生BGMとして勝手に自分内で鳴り響かせるつもりです。聴き込めば聴き込むほど彼が隠したガラス玉がキラキラあふれて出てくるのです。なんだこの音。なんでこんな音量で入れているんだ。この音ここで一回きり!?そういった贅沢すぎる仕込み具合。見つけた後でも遭遇するたび何度だって心がワクワクする、本当に素晴らしい楽曲です。

 

ただ長い長い曲なので一番聴きたい最後のこのセンテンス

Be with me darlin' til the end of all time

I'll give you my heart

I'll give you my mind

I'll give you my body

I'll give you my time

For all time I am with you

(最期の最後まで、僕と共にいてほしい

僕の心を、マインドを、カラダを、時間を君に捧げる。

どんな時も僕はあなたと共にいる)

 

 ここまで息がもつかどうか私の気力と努力の致すところでございます。ここに辿り着くと、生きている今現在にでさえ疑似昇天してしまうほどです。この曲は天国、神、極地。しかも綺麗なだけではなく彼らしいひねりも優しいユーモアも十分感じられます。こんな粋な曲であちらの世界に行きたいなあ。

 

【Black Muse

 迷いに迷って、でもあまり迷わず「Black Muse」です。迷いに迷って、というのは莫大なプリンスのカタログを一から手繰っていけばそりゃ迷うよな、ってことで、それをしないであまり迷わず感覚的に選んだらこれになった、という言い訳です。これは比較的新しい、というか最新、そして最後のプリンスのアルバムからの一曲です。私の中では「Art Official Age」「Phase One」「Phase Two」はもう一緒くたに「最後のアルバム」ひとくくりになっており、その最後シリーズはどれを選んでも名作名曲、珠玉ぞろい。素晴らし過ぎてどれか一曲なんて無理難題。「Art Official Cage」もいい、心が引き裂かれそうな「June」もいい「Groovy Potential」の瑞々しさも「Look At Me,Look At U」の洗練と成熟も…。そんな中でもこの「Black Muse」は外せないのです。

 彼の行きついた芳醇な音楽世界。衝撃で揺さぶられ涙が出ました。豊かで輝かしく優しくキラキラとまぶしい。この広く柔らかい赦しのような優しさはなんでしょう。この胸を締め付けられるような切なさはなんなのでしょう?

 「Black Muse」はここからプリンスの先の世界があったのだと想像できる音楽なのです。彼には先の世界は見えていた、ビジョンは開いていたのだと感じる、だから私には辛く切なく優しく響くのです。この先の世界が見たかったよ、プリンス。

 

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5.素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

 正直90年代までの彼がおすすめするミュージシャンは信じられなかった(笑)。実力もあったのだろうし可能性もあったのでしょう。プリンスの趣味が見え見えでそこも可愛いっちゃ可愛いのですが、あまりに彼の趣味が過ぎて正直信用ならんかったのです(笑)。

 ところが彼がアフロになりだしてからの嗜好性はとても信用できるものに感じられました。なんでだろう?邪念が消えたのか?アンディ・アローもジュディス・ヒルもキャンディス・スプリングもキングも本当に信用できた。良かった。アンディ・アローの「People Pleaser」のMVのカッコよさたるや!

 

ついにプリンス、自分の本当のカッコよさをストレートに開放するようになったのか!と思ったものです。またこの時期のプロジェクト3rdeyegirlの与えてくれるドキドキわくわくスリル感はたまらなかった。プリンスの真実を見通すサードアイへの信頼は私の中で更に一気に高まったのです。

 その中でまあ誰か一人絞ってくれよと言われればリアン・ラ・ハヴァスでしょうか。彼女はエスむらのもともと持っている嗜好性ともマッチしまくって、こんな素敵なアーティストを紹介してくれたプリンスに大感謝をしたものです。「プリンス!すごいよ!ありがとう!」と。 

  大体エスむらは青春時代プリンスと並行して英国音楽、米国音楽を好んで聴いていたので、リアンの暗めな空気感がなんとなく肌に合いました。ロンドンの曇天のようなくぐもったスモーキーで湿り気のある温かな歌声やビジュアルも好みだった。この内向きな湿度とウォーミーさはプリンスの楽曲とものすごく合うような気がします。上手いし。

 

6:プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

 そりゃあ色んなことを教わりました。男とは女とは、人間とは。愛とは生きるとは。覚悟とか格好よく生きるという姿勢もプリンスから見せてもらいました。やり続ける意志と行動力とかも。

 でもそうだな、「最も重要」とは違うかもしれませんが、プリンスが見せてくれ教えてくれた大事なことは「多様性」。これですかね。世界を多角的に見るってこと。一極や白黒善悪の二極で判断したらもったいないよ。間違っちゃうかもよ、っていうスタンスを彼から教わりました。起こる事象を一面一方向からばかりでなく、あらゆる角度から見てアプローチして感じるということ。思い込まずニュートラルに物事をとらえる。そうすると世界は多様性にあふれているんだと知ることになります。この見方が出来たとき「人種」「性別」「国籍」あらゆる壁は溶けてなくなるのかも。究極の「赦し」の境地かもしれません。

 このプリンスの見せてくれた「多角的なものの見方」「世界の多様性」って即分かったことじゃありません。何年も何十年もプリンスを聴き続けてプリンスにその見方を見せてもらってじわじわ知ることになりました。それこそ何十年もかけて彼は私達に教えてくれたんだと思っています。何十年もかけ、繰り返し繰り返し伝えないとみんなには本当の意味が伝わらないと彼は分かっていたから。あらゆる大事なことを、何事も同じようにプリンスは語り続け歌い続けてくれたんじゃないでしょうか。

 

7:次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

 プリンスという文化はこちらが押し付けて教えるものではないと思っています。押し付けたところで押し付けられた人は拒絶してしまいます。勧められ素直に従って疑問も引っかかりも感じないままプリンスの世界に入ろうと思う者をプリンスは弾き飛ばします。いまブログを何年かやっていますが、ここでも「来て来て!読んで読んで!」というスタンスはあまり持たないようにしているつもりです。ここは本当にデータ的なものもなくただただ感覚的なことをだらだらつぶやいているだけの場です。それも同んなじことを繰り返し繰り返し。なぜ同じことばかり繰り返すのか?自身の確認と咀嚼。一回もしくはたったの数回では感情と理解の消化は無理だからだよ!っていうのと、人は一度きりでは興味の無いものに自発的に興味も持たないし、記憶にも残してはくれないから。

 私は彼の世界の入り口まで導くことしかできない。逆に言えば、ほんの少しプリンスに興味を感じた人を入り口まで導くことはできる。プリンスに引き寄せられ抗うことができなくなってしまった人がプリンスのことを更に知りたくなったとき、ちょっとした入口や取っ掛かりとなるような場。「ふうん」と何気なく読み進められるような場、優しく誘導しご紹介し楽しくお招きし、更にプリンスの魅力と引力に「?!?!」となってもらう。ブログはそんな場になってほしいと思っています。お茶でも出しますよ。

 そしてもうひとつずっと心の中に持っている夢。プリンスの楽曲を構成するものを解体分解し、自分のできる範囲内で目の前に広げ、この音の重なりはこうだとかこの進行はこういうもので出来上がっているだとか、小さな発見を実際の音を使ってみんなと分かち合い驚き合い喜び合いたいのです。

 プリンスの楽曲を構築しているものを本格分解するには音楽的な体力知力気力がいります。私にはそれほどの大きな力はないですが、ツンツンと突いてポロリと落ちたキラキラ光る宝石のひとかけらを手にし、みんなと「うわぁ…」と言って眺めたい、そういった夢があります。何年かかるかわからないけれどいつか実現したらいいなあ。

  こうやってプリンスについての7つの質問をいただいた以上、答えを言葉にし形にしなければなりません。それらしい答えを探し自分でも納得のいく言葉を紡ごうとする。こういった機会もプリンスがこの世界から姿を消したからなのかと思うと多くの混乱と葛藤もあり悲しくなります。でも「プリンスについて考え、語り、伝える」ということはプリンスがこの世にいようがいまいが関係なくやっていくべきことなのでしょう。彼のレジェンドを伝えつなげるという行為は私達にとって使命のような気もします。ここでの言葉に嘘はありません。素晴らしい機会をいただいたと本当に思っています。

 何回ライブを見たとかいつからのファンだとかこんな特別な体験をしたとか。そういった比較から生まれる上下関係や感情なんてものが、もっともプリンスファムのスタンスとしてはかけ離れた感性だと思っています。どこでもだれでもいつでもプリンスの世界に入っていけるのです。

 

プリンスが見せてくれた世界は私の人生を確実に動かしました。

そんな人がきっと世界には沢山いるのでしょう。

この世界をもっと広く豊かに広げたい。

Next Generation. Another world.

 

 次世代へ。そして他の世界へ。「プリンス」が広がっていけばいいなと思っています。自身のブログも揺れる気持ちや迷いや確信を行ったり来たりしながら運営しています。これからも長い人生をかけて「プリンス」をライフワークとしていく所存ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

Something In The Water

http://somethinginthewater.blog.fc2.com/

 

エスむら Twitter

https://twitter.com/esumurablog
 

プリンス 7 つの質問 05 中島 和夫

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1. あなた自身を紹介してください。

 

僕の名前は中島和夫。日本の豊田市という車のトヨタで有名な街に住んでます。そしてそのトヨタ関係で働いてます。趣味は旅をする事。ミネアポリスにも行きました。そして勿論音楽を聴く事!プリンスを聴いている時間が1番幸せです。僕の妻もプリンスFamです。彼女とはプリンスのコンサートで知り合いました。会場入りする列の僕の前にいたのが彼女だったのです。こんな偶然あるでしょうか?

 

2. あなたはどうやってプリンスファムになったのですか?

 

 14歳の時、テレビでAMA1985を見ていてパープルレインのパフォーマンスに衝撃を受けました。正に全身に電気が走った様な衝撃です。そこからプリンスに興味を持ち色々当時の音楽雑誌で情報を調べましたが「We are the worldをキャンセルした」とか、「インタビュー嫌い」とか、ネガティヴな情報ばかりで、とにかく普通じゃ無い人だという事は分かりました。当時の自分は普通じゃ無い人に興味があったので益々プリンスの事が気になりました。

 その後ラジオでラズベリーベレーを聴きました。こんなポップな曲も作れる人なんだと一発で夢中になりました。今までこんな音楽やパフォーマンスは体験した事が無かった!すぐレカストー(注:プリンスの支持者はレコードストアをレカストーと呼ぶ)に走りレコードを買いました。AmericaのMVを見た時にそのライブバージョンはアルバムバージョンと全然アレンジが変わってて凄くカッコ良かった!アルバムも凄いがライブも凄い。こんな人は他にいないと感動しましたね。

 

3 .あなたの最も記憶に残る「紫の経験」は何ですか?

 

 2002年に日本で行われたOne Nite Alone Tourの仙台公演です。この日本公演では1番小さい会場でした。手を伸ばせば届きそうな場所でプリンスが演奏しているという夢の様な出来事に感動しました。他のレギュラーショウとは違いプリンスもNPGもリラックスした衣装でセットリストも違ってましたね。ニッカコスタのPush&Pullを初披露したのもこの公演です。The Work Pt.1でのダンスコンテストで日本の有名コメディアンのダンスを踊ったFamがいたのですがプリンスがそのダンスを真似してみせたのはその日最高に楽しい出来事でした。(編注:そのダンスとは「変なおじさん」、そう、日本が世界に誇る天才コメディアンにしてブラック・ミュージックをお茶の間に広めた志村けんさんのダンスを、あのプリンスがカバーした瞬間だったのです。)

中島氏のTwitter https://twitter.com/metallilkazu/status/1244471348086202369

 ラストにDay Of Wildで場内を熱狂の渦に巻き込んでこれでコンサート終了と会場から立ち去ろうとした時、何とプリンスがアコースティックギターを手にステージに戻ってきたのです。そして弾き語りでLast Decemberを演奏しました。その演奏はとても美しかった。会場全体が感動の涙を流したのを覚えてます。

 

4. あなたのトップ3のソウル・ソング(重要曲)は何ですか? なぜあなたはそれらの特定の曲を選んだのですか?

 

Rasberry Beret  

自分がプリンスfamになるきっかけを作ってくれた曲。

プリンスの表現力豊かな歌は他の誰にも真似出来ません。

(カラオケで歌おうとして全然歌えず改めてプリンスのすごさを知りました)

MVも大好きです。ティーンの頃あのヘアスタイルを真似してました。

 

Walk In Sand

 「Nothing's better than 2 walk in sand Hand in hand with u」という歌詞を聴く度に妻と浜辺を手を繋ぎながら歩いてる場面を想像して幸せな気分になります。曲も凄く良い曲ですよね。

 

The Ladder

辛い事や挫けそうな気分になった時にこの曲を聴きます。この曲の歌詞は僕を奮い立たせてくれます。

 

5. 素晴らしいアーティスト/ミュージシャンをプリンスが私たちに紹介しました。あなたのお気に入りは誰ですか?

 

 エリック・リーズです。今までエリックを聴くまで僕はホーンという物に全く関心がありませんでした。エリックのサックスを聴いてこんなファンキーなホーンがあったのかと驚きました。プリンスの音楽にエリックのサックスは凄くフィットしてると感じます。プリンスと一緒にプレイしてる曲は勿論、エリックのプロジェクトであるマッドハウス、そしてソロアルバムも大好きですね。

 彼の名演といえばたくさんありますが中でもザ・ファミリーのMutiny、映画サインオブザタイムズでのHot Thing、チャーリーパーカーのカバーであるNow's The Time、マッドハウスからはファンキーなSix、Ten、Thirteen、スローなThree、ソロアルバムTimes SquaredからLines、The Dopamine Rushが素晴らしいと思います。これらの曲を聴くとエリックがプレイヤーとしてだけじゃなくアレンジャーとしても優れた存在である事がわかると思います。

 

6. プリンスの音楽は人生の教訓とメッセージでいっぱいでした。プリンスがあなたに与えた最も重要なものは何ですか?

 

 彼の音楽から学んだことは人生は常にチャレンジし続けなければならないという事です。Daddy Popで歌われている様に人は過去に生きてしまいがちです。そうなら無い為にも彼の音楽をこれからも学んで行きたいと思ってます。

 

7. 次世代にプリンスを紹介する方法は?

 

日本ではプリンスは元より海外の音楽に若い世代が触れる機会が殆どありません。しかしSNS等でプリンスの存在を知り興味を持ってくれた若い方の存在もあります。プリンスの素晴らしい音楽を伝えられる様なツールがあればどんどん活用して行く時期なのかな?と思います。